クラリッサの初恋



「アルジェント君……」



 ベルティーナを抱えて大神官と共に行ってしまったアルジェントの後姿を見つめながら、初めて彼を見た時の事を思い出した。

 街中で『拾ってください』と書かれた箱に何故か、彼は入っていた。身形は綺麗で毛先に掛けて青くなる銀糸、紫と金の不思議な配色の瞳の、とても綺麗な男の子。子供の時から誰にでも可愛がられてきたクラリッサでも見ないその美少年が欲しくなった。その日は、偶然父ルイジと母アニエスとで買い物に来ていた。普段は平民がよくいる街中にはあまり来たがらない母だが、父がお勧めのケーキがあるカフェに行こうと誘った為来ていた。

 店から出た時に見えた綺麗な男の子が欲しくなり、拾ってくださいとあるのだから彼は誰かに拾われたい。支払いをしている父はまだ店内。一緒にいるのは母。



『お母さま、あの子ほしいです!』

『なあに?』



 クラリッサが指差した方向を母と一緒に見てショックを受けた。

 美少年の側によく知る少女がいた。

 毛先にかけて青くなる黄金の髪、大きな濃い紫水晶の瞳をした従姉――ベルティーナが。


 クラリッサは従姉のベルティーナが苦手だった。母の伯父がいるアンナローロ公爵家に行くと伯父もおばも従兄も自分を可愛がってくれるのに従姉だけ可愛がってくれない。

 クラリッサにばかり構う伯父やおばの気を引こうとしているのを何度も見たがどれもクラリッサを可愛がるのに夢中でベルティーナは邪険にされ、従兄からも可愛いクラリッサが優先だと邪魔者扱いをされていた。最近ではベルティーナは何も言わなくなり、しなくなり、クラリッサが来ても部屋に閉じ籠るようになった。

 何をしているのかと気になって部屋を覗くと侍女と楽しそうに人形遊びをしていて、自分も交ぜてほしくて部屋に入ったらベルティーナに追い出された。

 他人に優しくされてばかりのクラリッサは初めての事で戸惑い、次第に悲しみで涙が止まらなくなり、泣きながら両親達に訴えた。


 伯父に叱られ打たれているベルティーナを見て少し怖くなった。自分が泣き付いたせいでベルティーナが叱られていると。

 頬を叩かれ、泣きそうに顔を歪めながらも涙は流さまいと唇を噛み締めるベルティーナの瞳と目が合った。

 ビクッと震えたせいでクラリッサを睨んでいるとベルティーナはおばにも打たれた。


 自分は悪くない、ベルティーナが悪いんだと言い聞かせ無理矢理部屋に連れて行かれたベルティーナを見ないようにした。



『わたしがさきに見つけたのに……!』



 美少年と幾つか言葉を交わしたベルティーナが手を差し出し、その手を迷いなく取った美少年を連れて行った。

 母に慰められても全然嬉しくなかった。先に見つけたのは自分で、連れて帰るのも自分の筈だったのに。


 ベルティーナの従者となった彼がアルジェントという名だと知り、名前を呼ぶ機会をずっと窺ってもそんな日は来ず、常にベルティーナの側にいるアルジェントへの気持ちは募り、彼を侍らせるベルティーナが憎い。

 王太子の婚約者になったベルティーナにアルジェントは必要ないと思い、母にアルジェントが欲しい旨を伝えたら。



『どこの馬の骨かも分からない相手をクラリッサの従者には出来ません。わたくしがこうなんだから、お兄様に言っても無駄よ』と一蹴された。それでもめげずにお願いし続け、折れた母が伯父に言ってくれた。が、最初の頃の母と同じ意見で却下された。



「やっとアルジェント君と一緒にいられると思ったのにっ」



 婚約破棄をされても、家族から見放されてもアルジェントはベルティーナを見捨てない。クラリッサの許へ来てくれない。

 やはり、王太子の愛情が本当はベルティーナにあって、アルジェントがいなくてもいいと思わせないとならない。



「……そうだわ」



 リエトはきっと話していない。

 湖で溺れた自分を助けた少女を初恋の君としているのは知られている。だが、その相手がベルティーナだとは打ち明けられたクラリッサ以外は知らない。

 どうやって湖に溺れたリエトを助けたか不明だが、毛先に掛けて青くなる黄金の髪色を持つ少女はベルティーナしかいない。


 ベルティーナは自分がリエトの初恋の君だと分かれば、きっとアルジェントを手放す。ペットだ、なんだと言って彼を縛り付けているがリエトに愛されればペットは不要になる。



「ベルティーナお姉様……お姉様には王太子殿下がいるのだから、アルジェント君は私が貰います」



 ――大聖堂に着いたアルジェントとベルティーナの背中を凍える何かが走り、二人揃って身震いした。



「どうしたの~?」とイナンナ。

「いえ……とても嫌な感じがして……」

「……あんまり、良くない事が起きたりしてね……」



 不老の大神官が悪魔のアルジェントと同じ魔法を使える時点で正体は悪魔? と問うも、違うと否定された。イナンナの転移魔法であっという間に大聖堂へ移り、大神官の部屋に通された。まずは赤く腫れたベルティーナの頬の治療が優先だと、魔法でアルジェントが癒した。反応が遅れて殴られた事をかなり気にしているようだが、反応が遅れたのはベルティーナも同じ。アルジェントを責める気にはなれない。


 元通りの頬になると魔法の偉大さに感謝すると同時に、公爵邸を出る際にイナンナが口にした魅了とは何かと気になった。



「先程、クラリッサではなく叔母様が魅了を持っていると仰っていましたよ?」

「そうよ〜あたしてっきりクラリッサちゃんが魅了の力を使って周りを良い様にしていたものと思っていたの〜」



 魅了とは文字通り、他者を魅了する力の事。マリアの愛し子とどう違うのかと言えば、マリアの愛し子は魅了されても他人に悪意は向けない。あくまでも愛し子を愛し、愛し子を阻むあらゆるものから守るという……簡単に説明すると超の付く過保護となる。愛し子に愛された国は繁栄し、人は幸福となる。

 対して魅了は他者に愛されるという点では同じだが、自分の意のままに操る点では同じじゃない。他人に悪意も向けない。意図的に悪意を向けさせ、陥れようとするのも可能となる。



「叔母様が魅了を持っているなら、使用者はお父様とお母様、それにモルディオ公爵様。他には誰が」

「有り得るとしたら王族じゃない? それこそ、あの王太子だったり」

「拗らせ坊やは魅了に掛かってはいなさそうだったけど〜……後は陛下辺りね」



 王妃については何とも言えないがクラリッサをアンナローロ家の養女にする件やベルティーナを修道院へ送る件を国王は知っており、許可している。



「魅了を使って叔母様は何をしたいの……クラリッサを養女にしたいのが目的? もしくは……」

「もしくは?」とイナンナ。

「王家と叔母様の思惑が一致したから……」



 国王が王太子時代だった婚約者の公爵令嬢に婚約破棄を突き付けて以来、令嬢の生家は王家の権力を奪おうと虎視眈々と狙っている。王太子リエトの婚約者にアンナローロ公爵家のベルティーナが選ばれたのはその家を抑える為。

 けれどモルディオ公爵家のクラリッサがアンナローロ公爵家の養女となり、新たなにリエトの婚約者となれば、王家はモルディオ公爵家とアンナローロ公爵家、二つの公爵家の力を借りられる。リエトの地位も盤石となり、第二王子派の貴族達も誰も歯向かえなくなる。

 長年王太子妃になるべく努力し続けたベルティーナの事を、誰も気にも留めない。リエトが妙に拘るのはクラリッサに王太子妃の役割が熟せるか不安があるからで。王太子妃の代わりをさせる為に留めておきたいのだと考えるだけで腸が煮えくりかえる。ベルティーナが歩み寄ろうとした時は拒絶して、必要になったら逃げようとするベルティーナを捕まえようとして。自分勝手にも程がある。



「あの王太子は初恋の人がいるんじゃなかったっけ」

「いるわよ。昔、お忍びで湖に遊びに行って溺れた殿下を助けた貴族のご令嬢よ。どこのご令嬢かはまだ判明していないみたいだけど」



 ベルティーナは何度も聞いた話に大した興味はない。初対面の時から初恋の人と一緒になれず、政略結婚で一緒になるベルティーナを嫌っていたリエトから詳しい話を聞ける筈もない。



「その頃って、俺とベルティーナは双子の振りをしてよく遊んだよね」

「懐かしいわね。アルジェントったら、ノリノリで私そっくりな女の子になるんだから。ドレスを着る抵抗はなかったの?」

「背丈だってそう変わらなかったし、ベルティーナが楽しそうだったから付き合ったんだ」



 双子設定なら髪の毛の色も同じ、と指示されたアルジェントは自身の髪をベルティーナと同じ毛先に掛けて青くなる黄金に変えた。瞳の色は変えなかったが髪色だけで見たらベルティーナと似ていて二人はしゃぎ回った。



「そうだ、アルジェント、クラリッサの前で女装してみなさいよ。きっと幻滅して貴方に拘らなくなるかも」

「女装は無しの方向で方法を考えよう。大体、こんなデカい女いないって」

「身長は高いけど着痩せするタイプだから、案外イケると思うのだけど」

「俺は嫌」

「仕方ないわね」

「うん、諦めて」



 本人が嫌がるのなら強制はしない。

 話を戻し、王家と父の目的が分かっても別の謎が増えた。



「モルディオ公爵は納得しているのかしら。あの方、相当にクラリッサを可愛がっているのに」

「モルディオ公爵も夫人の魅了に掛かっている可能性はある。夫人が王家の為、国の為とか言ったら納得しそうかな」



 アルジェントの言葉には一理あり、どうにかしてアニエスの魅了を解く方法はないかとイナンナに振ってみた。面白く二人の話を聞いていたイナンナは緩く首を振り、国の為なら尚の事解除は勧められないと語った。



「恐らく、精神の深層部にまでアニエスちゃんの魅了は浸透しているでしょうね~そうなると解除しようとすると凄まじい副作用が発生して、良くて廃人か悪くて死ぬかのどちらかになるわ~。クロウ君は親としてはともかく、公爵としては有能だから精神は保ったままでいてもわらないと。ルイジ君もね」

「……」



 解除するよりも、関わらなければ良いだけと語られ、悔し気に下唇を噛んだベルティーナ。仕返しをしたい気持ちはあり、散々好き勝手してきたアニエスとクラリッサに吠え面をかかせてやりたかった。精神面に大きな影響を及ばすなら、国を思えば選択は消えていく。



「では……クラリッサをアンナローロ公爵家の養女にして叔母様にどんなメリットがあるか考えます」

「あたしの考え当たってると思うわよ~? クラリッサちゃんはクロウ君とアニエスちゃん兄妹の子で、クラリッサちゃんにクロウ君をお父様って呼ばせたいのかも」

「異常よ、異常だわ」

「世の中にはね~ベルティーナちゃんが知らないだけで色んな恋の形があるの~」



 知りたくもない恋だ。

 ベルティーナが一つ溜め息を吐いた時、一人の神官が焦りの様子でやって来てイナンナに耳打ち、困ったように笑いながらリエトが来ているとベルティーナに告げた。一体何故ベルティーナが此処にいると知っているのか、有り得るとしたらアンナローロ公爵家に内通者がいる。



「追い返しても帰ってくれなさそうね……会います。殿下は何処に?」

「いいわよ、此処に通してちょうだい~」



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