クラリッサに渡しなさい③


 

「アルジェント……クラリッサと仲良しだったの?」

「そんな訳ないでしょ……個人的に関わった覚えもありません」

「よね……」



 お互いの記憶を照らし合わせてもクラリッサが親し気にアルジェントを呼ぶ出来事は何もない。クラリッサはショックを受けたような顔をしてシクシク泣いている。しまった、と思った時には遅く。血相を変えたアニエスがクラリッサに駆け寄って慰め、意識が其方へ行ったせいでベルティーナは気付けなかった。頬に強烈な痛みと衝撃が走り、視界が揺れた。「お嬢様!」焦りの声を上げたアルジェント。ぐらついた足元。横に倒れようとした体をアルジェントが支え、床と対面する羽目にはならなかった。



「ごめんベルティーナっ、向こうに気を取られてっ」

「いえ……大丈夫よ、ありがとう……」



 今までも何度か打たれてはいたが今のは一番強烈だった。

 きっと時間が経てばリンゴみたいに腫れ上がって見られない顔になるだろうと抱きつつ、痛む頬に手を当て、アルジェントに支えられながら鼻息荒く睨んでくる父を見上げた。



「クラリッサを泣かせおって!」

「お父様の娘はクラリッサなのですか? それとも私はお父様が別の女に産ませた娘だから可愛くないのですか?」

「なんてことを……! 今すぐに謝りなさいベルティーナ!」と母。

「お父様に愛されてもいないお母様は黙っててくださいな」

「なっ」

「だってそうでしょう? いくらお父様と叔母様が仲良しな兄妹だとしても限度があります。良い歳した妹がいつまで兄の体にベタベタベタベタしているのです。それなのにお母様は何も言わず、微笑まし気に二人を見るだけ。ああ、それとも、お母様の方がお父様を愛していないのでは?」



 どうして誰も疑問に思わない。

 仲良し兄妹にだって限度があるのに。

 指摘された母は最初は激昂しても、ベルティーナの言葉に段々と困惑し始め、また殴り掛かって来そうな父の手を掴んだ。



「そう……言われると……旦那様、……旦那様は昔からアニエス様との距離があまりに近過ぎるような……」

「な、なにを」

「私……私はそれを…………あれ、どうして今まで嫌と思わなかったの……?」



 段々と瞳から光が消え、虚ろとなる母はベルティーナに指摘されて漸く疑問視するも、口から言葉を出していくと虚ろが強くなり。母の異変に先程まで激怒していた父でさえオロオロとし始めた。

 ベルティーナは見た。相当な焦りを浮かばせたアニエスを。母は本心から、あの兄妹の仲を認めていたんじゃない。得体の知れない力に強制されていた節が出てきた。アルジェント、と呼ぶと彼もベルティーナと同じらしく注意深く彼等を見ていた。

 クラリッサをビアンコに渡し、様子がおかしい母に近付いたアニエス。



「な、何を言っているの。わたくしと旦那様は兄妹なんだもの、仲が良くて当然じゃない」

「そう……です、よね……でも……私……」

「ベルティーナさんの言葉に惑わされないで」



 ——あ……


 アニエスが語り掛けるだけで母の瞳に光は戻る。困惑は消えた。けれど、さっきまで疑問視していた父とアニエスの仲の良さを途端に肯定し出した。あからさまに安堵するアニエスに強い不信感を抱いたベルティーナは父を一瞥した。母の異変におろおろとしていたのに、元に戻ると父も元通り。ベルティーナに抱いていた怒りを思い出したようで強い感情をぶつけた。


 アルジェントに此処を離れましょう、と言いかける前に訪問者が現れた。


「ごめんあそばせ」と妖艶な美女の声が室内に届き、皆の視線が一斉に急な訪問者——イナンナに集中した。


「だ、大神官様?」狼狽する父と母。大聖堂の最高責任者が突然前触れもなく現れれば驚愕する。固まる彼等に構わず、頬が腫れているベルティーナを一目見るなり眉間に似合わない皺を寄せた。



「おやまあ、可愛い顔が台無しじゃない。誰かしら、こんな可愛い顔を傷付けたのは」

「親が子供に躾をしただけです。大神官様であろうと口出し無用です」

「公爵が殴ったのね。貴方、赤ちゃんのベルティーナちゃんを大聖堂で洗礼を受けさせた時、無事に産まれて良かったと公爵夫人と揃って泣いていたのに。年月が経つと赤ちゃんだった時に持っていた気持ちは無くなっちゃうのね。悲しい」

「な……あ、え……」



 イナンナの言葉に固まり、言葉を失った父は何度も視線を泳がせ顔色が悪くなっていく。生まれた時から両親に嫌われていたと思っていたベルティーナは初耳な話を疑ってしまうも、イナンナが嘘を言うとは信じられず。事実だとすれば、尚更父や母の気持ちが不明となった。


 今度は父が母と同じとなり、より焦りを強くしたアニエスが父の腕に触れ、母の時と同じように言葉を掛けていく。



「ああ……そういう事だったの……」



 何かを納得したらしいイナンナの声にアニエスが反応し、恐怖で顔を青褪める。イナンナはクラリッサを一瞥し、軈てベルティーナとアルジェントに向いた。



「ベルティーナちゃんに用があって来ちゃったのだけど、手ぶらで帰るのは嫌だから暫くこの二人は大神官権限で預からせてもらうわ」

「なにを——」

「クロウくん、ベルティーナちゃんの名前を必死で考えて、幸せな女の子に育てるって意気込んでたお父さんはどこへ行っちゃったのかな?」

「あ…………」



 イナンナの言葉を受けた父はひたすら呆然とし、ベルティーナと視線が合わさった。無言のまま逸らしたベルティーナはアルジェントの胸に顔を埋め、抱き上げてもらい部屋を出てもらった。背後から「アルジェント君を置いて行って!!」だの「待ちなさいベルティーナさん!! クラリッサの為に従者は置いていきなさい!!」と叫ばれるが早足で屋敷を出たアルジェントのお陰で最後まで聞かずに済んだ。


 後から合流したイナンナに遅いと文句を零すと「ごめんなさい〜でもお陰で分かった事があるわ〜」と満面の笑みで、魅了の力を持つ者がクラリッサではなくアニエスだと放った。


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