クラリッサに渡しなさい①
出掛ける準備を終え、アルジェントを連れて玄関ホールを出た。今日は菫色のドレスを選んだ。ドレスを選ぶ時はその日の気分によるのでこれじゃないと嫌は特にない。日傘をアルジェントから受け取り、馬車まで差した。待機させてあった馬車に二人が乗ると馭者は発車させ、ゆっくりと過ぎていく景色を眺める。今日はリエトから呼び出しの手紙は届いていない。届いても応じる気は更々無い。
街の広場に着き、差し出された手を取って降りた。
「何処に行く?」
「何処、って特に決めていないの。アルジェントはない?」
「俺は元からないよ。べルティーナが行く場所に付き合うだけ」
「そう。うーん」
欲しい物はなく、行きたい店もない。気分転換をしたかっただけ。店巡りでもすれば欲しい物は見つかるとベルティーナは日傘を差して歩き始めた。
過ぎて行く人々は様々で。家族連れであったり、恋人達であったり、忙しく歩く男性だったり、買い物を楽しむ女性だったりと。
時折、雑貨店に寄っては小物を見て楽しみ、気に入れば購入した。
店を出て「ドレスはいいの?」と聞かれ、首を振った。
「要らないわ。部屋に着ていないドレスは沢山あるから。アルジェントこそ、新しい服は要らないの?」
「いいよ」
「そう」
アルジェントが着ているのはベルティーナがデザイナーに作らせた特注の従者服。
日頃鍛えている割に着痩せするタイプなのか、そういう風には見えない。子供の時はよく上を裸なまま室内を歩かれて叫びそうになった。現在はシャツのボタンを全開にしている程度なので騒がずにいる。文句を言いたいがアルジェントはベルティーナが恥ずかしがっていると解ると必ず意地悪をする。長年一緒に過ごしていれば相手の性格も大体把握する。意地悪をするのが好きなのは彼が悪魔なのもある。
次は何処に行こうかと歩きながら考えていれば、屋台で果物を販売している店を見つけた。丁度喉が渇いていたからすぐに決めた。アルジェントを連れてその店に近付いていると「きゃっ」と聞き覚えのある声がした。
後ろを見るとアルジェントの側で座り込んでいる少女がいて。見慣れたプラチナブロンドにまさかと思いつつ、顔を上げた少女が予想通りの相手クラリッサだと解るとげんなりした。
昨日の今日でまた会う羽目になるとは……と。
「どうしてこんな所にいるのよ、クラリッサ」
「ベルティーナお姉様こそ、もう少し危機感を持って過ごされては? このままでは、本当に家を追放されますわよ」
「追放で結構だわ。あんな家、今すぐにも出て行きたいくらいなのに」
アルジェントに言えば、すぐに連れ出してくれる。しないのは知りたい事が多すぎるから。知らないまま消えるのは癪に触ってしまう。
アルジェントを連れてその場から離れようにも、倒れた拍子に足を挫いたクラリッサは動けないと涙目でアルジェントを見上げた。周りの目もあり、盛大に溜め息を吐いたべルティーナは紫と金の瞳に目配せをした。
苦笑しながら肩を竦めたアルジェントは「失礼しますね」と言い、クラリッサを抱き上げた。時だった。
「っ!?」
アルジェントに抱き上げられたクラリッサが首に腕を回した時、何故か顔を近付け紫と金の瞳が彼女に向けられる前に引き寄せた。
瞠目して固まるアルジェントを初めて見た……と現実逃避しかけたべルティーナだがハッとなり、どさくさに紛れてアルジェントにキスをしたクラリッサを引き剥がそうと動き掛けた時、更に面倒な声が飛んで来た。
「クラリッサ!! わたくしのクラリッサに何をしているの!!」
普段高級店にしか行かないと自慢している叔母アニエスとクラリッサが何故平民がよく利用する街にいるのかと考える暇もなく、相当面倒くさい事になったとべルティーナは頭が痛くなった。
――人が多くいる道中で口付けを見せ付けたまま、何事もなくクラリッサを置いて叔母アニエスから逃げる術はなく、個室付きのカフェに入ったべルティーナとアルジェント。クラリッサにキスをされたアルジェントは落とす訳にもいかず、下ろしたくてもクラリッサが意地でも離れないと強く抱き付いてきて長くキスをする羽目に。アニエスがきつめの声でクラリッサを呼んでやっと離れられた。
人目があり、場所を移しましょうと言うアニエスの言葉に従い、歩けないクラリッサを仕方なくアルジェントに抱かせたままカフェの個室に入った。
「ベルティーナさん、一体どういう事ですか?」
「どういう事も何も、足を挫いて歩けないとクラリッサが言うのでアルジェントに運ばせようとしただけです」
「運ばせるだけ? なら、何故先程あのような事に?」
こっちが言いたい! と更に痛くなる頭に悩みつつも、顔を赤くしながら泣くクラリッサに苛立ちが募る。
「私が聞きたいくらいですわ。アルジェントは動けないクラリッサを抱き上げようとしただけ。顔を近付け、キスをしたのはクラリッサからでした」
「わたくしの可愛いクラリッサがはしたない真似をするとでも!?」
「現にはしたない娘ではありませんか。婚約者のいる殿方に近付いて平然と目の前で――」
ベルティーナの言葉は最後まで続かず。
激昂したアニエスに水を掛けられた。飛沫は側に控えるアルジェントの服にも飛んだ。
「なんて無礼な娘! わたくしのクラリッサを従者を使って汚しただけではなく、あくまで自分は悪くないと!?」
今までのクラリッサの行いを棚に上げてベルティーナを責める様は父と全く同じ。血の繋がった兄妹とはこういうのを指す。やられっぱなしは性に合わない。おろおろとしながらも時折ベルティーナへ勝ち誇った余裕の笑みを見せるクラリッサに更に苛つき、水を掛けられた際に濡れた手袋を両手から外し二人に投げ付けた。
固まった二人へ嘲笑うように「まあ、ごめんなさい! 濡れた手袋が煩わしくて投げたらお二人へ吸い寄せられてしまったみたいで! 濡れた手袋に好かれるなんて流石ですわね!」と嬉々として言い放てば、瞬く間に顔を赤くして怒気を露にしたアニエスがテーブルから身を乗り出しベルティーナに掴みかかろうとした。
咄嗟にアルジェントが間に入りアニエスの手を掴んだ。
「モルディオ夫人、如何なる理由があろうとお嬢様に手を上げるのはお止めください」
「その手を離しなさい! お兄様に言い付けて解雇させるわよ!」
「どうとでも。俺は公爵に雇われてはいませんので、どうぞご自由に」
「な!?」
アルジェントはアンナローロ公爵から一度も給金を貰っていない。ベルティーナが個人的に給金を払うと言っても断る。定期的に実家から仕送りをさせている上、物欲がない為貯まる一方。
アルジェントが雇われ従者でないと今知ったアニエスとクラリッサは衝撃を受けている。言った事がないから知らなくて当然だ。
「俺はお嬢様に仕えているので公爵に何を言われようと無関係なので」
アニエスの手を離し、ベルティーナの真横に立ち、懐から出したハンカチを差し出した。
渡されたハンカチで濡れた顔や手を拭くベルティーナは目を泳がせ戸惑うクラリッサに目をやった。
「ねえクラリッサ。何故アルジェントにキスを? 貴女、殿下という恋人がいるのに随分な尻軽ね」
「なっ!? そ、それを言うならお姉様だってそうではありませんか!」
「私?」
「殿下という婚約者といながら、その従者をずっと側に置いて……殿下の気を引きたいからってやり過ぎです!」
「はい? 私が殿下の気を? 何故?」
「な、何故って……ベルティーナお姉様は殿下を……」
「好きじゃないわ。今は嫌い、大っ嫌いよ。顔を見たくもないくらいに。貴女も叔母様も同じよ。殿下に愛されてくれて寧ろ感謝しているわ。何時婚約破棄か解消をしてくれるか待っていたの」
本音を淡々と言っているだけなのにクラリッサは段々と顔を青褪め、アニエスの方は憎々し気に睨みながらも……それだけではない只ならぬ熱量を持つ感情をぶつけてくる。それが何か考えると鳥肌が立ってしまう。
顔や手を拭いたアルジェントのハンカチを鞄に仕舞い、席を立ったベルティーナは声を発し掛けたアニエスや俯いたクラリッサに告げた。
「クラリッサにキスをした責任を取れとお父様に訴えても無駄です。アルジェントは私だけの従者でお父様に指図される謂われはありません。行くわよ、アルジェント」
「屋敷に帰ったらタダで済むと思わないで」
退室する間際、アニエスから放たれた言葉に焦りも恐怖も見せず、ベルティーナは美しく笑って去った。
「ベルティーナ、大聖堂へ行こう。このまま戻ればモルディオ夫人達の思い通りになる」
「分かった……クラリッサの狙いは何なのかしら」
リエトの恋人でありながらアルジェントにキスをするなんてどうかしている。今までアルジェントに気がある素振り等一度たりとも見せていないのに。ベルティーナの側にいるから欲しくなったとか、馬鹿な理由ではない。ベルティーナの持つ者を欲しがる娘じゃない。
部屋に置いてある荷物はアルジェントに頼めば何時でも運べる。濡れたドレスや体を魔法で乾燥してもらい、急いで大聖堂へ移動をした。
個室に残ったままのアニエスとクラリッサ。
クラリッサは泣きながらもアルジェントにしたキスを思い出しては顔を真っ赤にする。
一方、ベルティーナに去られたアニエスは最初は怒りを見せていたのに、今では恍惚とした表情で強気な態度を崩さないその姿に兄クロウを重ねた。
「ああ……忌々しい子。忌々しくて……お兄様にそっくりな愛しい子……ビアンコなら良かったのに、どうして、女の子に産まれてしまったの……」
――アニエスが恍惚とした表情で呟いた直後、大聖堂付近までアルジェントに飛ばしてもらったベルティーナは連続四回のくしゃみをし、寒気を感じ体を震わせた。
「風邪?」
「わ、分からないわ。今、ものすごくぞわぞわした」
「風邪かな。大聖堂に着いたら、温かい飲み物を貰おう」
「そうする……」
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