除け者

 


 リエトが目覚めるまで待つつもりのないベルティーナはアルジェントを連れて大聖堂を出た。帰る間際、宝石が不規則に散りばめられた悪趣味な手鏡をイナンナから「あたしと思って受け取って頂戴~」と渡され、返そうにもイナンナに押し付けられ渋々持って帰った。



「アルジェントは何か分かる?」

「さあ? ただ、俺が触ると手が焼けそう」

「嘘?」

「どうだろう。貸して」



 物は試し。アルジェントに手鏡を渡した刹那、触れた掌が燃え上がった。すぐさま手鏡をアルジェントから奪ったベルティーナは手鏡が離れた事で炎が消えて安心するも、今度は手に大火傷を負ったアルジェントの心配をした。



「帰ったらすぐに医者を……!」

「いいよ。自分で治せるから」



 淡く小さな粒子が大火傷を負ったアルジェントの掌を包み、たんぽぽの綿のように飛んで行くと肌は元の状態に戻っていた。

 人間では扱えない超常現象を悪魔は意図も容易く実行してしまう。悪魔とは人間に恐怖される対象。実際に悪魔に出会っている人間は王国だけでも何人いるんだろう。

 ついさっきまで大火傷を負っていた手に触れ、両手で包み触っていく。



「嘘みたい……」

「嘘みたいな現実さ。君達人間には使えない」

「使えなくていいわ。傲慢な人間の傲慢さが増えるだけだもの」

「そっか。あ」

「ん?」



 そろそろアンナローロ邸が見えて来る。アルジェントが不意に声を発したからべルティーナも釣られて外を見た。見慣れた馬車があった気がした。

 気のせいだと自分を言い聞かせても、いざ馬車から降り外に出ると気のせいではないと現実は突き付けてくる。

 見慣れた馬車はクラリッサの実家モルディオ公爵家の家紋が刻まれている。大方、来ているのはクラリッサか公爵夫人かその両方か。

 見つからないよう裏口から入りましょうと提案したベルティーナだが一歩遅かった。屋敷の方からベルティーナを除いたアンナローロ家の面々とクラリッサとモルディオ公爵夫人が出て来た。

 お洒落な姿をしている。集団で出掛けるようだ。


 ベルティーナはきちんと出掛ける旨を伝えて屋敷を出た。

 装いから見ても昨日今日で決まったのではなく、もっと前から決められていた。最初からベルティーナを除け者にするつもりだったのだ。



「まあ、あの集団に入りたいって気持ちは微塵切りも程もないわ」

「何の話? 姿、見えなくする?」

「うーん」



 今此処で顔を合わせようが、集団が帰宅してから顔を合わせようが面倒なのはどちらも同じ。注目すべきは面倒度がどちらに重く傾くか、である。



「今合わせても、戻っても絡まれそうね」

「だろうね」

「二度の面倒は嫌。アルジェント、意識を逸らして」

「了解」



 ベルティーナに絡むのが大好きなクラリッサとクラリッサ可愛さのあまり王太子妃となるベルティーナを敵視するモルディオ公爵夫人。クラリッサもだが公爵夫人も苦手で嫌いな人だ。

 リエトに可愛いと愛されているクラリッサが王太子妃になれず、リエトにも家族にも可愛げがないと嫌われているベルティーナが王太子妃になれるのだと。

 可愛さだけで王太子妃になれるのなら、現王妃は苦労せずもっと伸び伸びとしている。

 苦手な理由はもう一つ。



「悪魔って兄弟は仲良しなもの?」

「個人差だよ。ベルティーナが何を言いたいか分かるよ」



 ベルティーナとアルジェントに気付かず、横を通り過ぎた集団にいる父と公爵夫人。公爵夫人は父の妹で昔から仲良しだと聞いているが、良い歳した大人になってもベタベタ体を触るものだろうか。

 ビアンコは気にしているようだが母は然程気にしていない。

 実の妹とかなり仲良しでも夫婦の関係は良好なのだからよく分からない。



「ベルティーナお姉様も来れば良かったのに。今から食べるスイーツはとても絶品なのに残念だわ」

「済まないなクラリッサ。最近のベルティーナの反抗的な態度は目に余る。近々、キツイ罰を与える。王太子妃となる者が――」


「あらあ? クラリッサを養女にして私を修道院へ追い出す計画を陛下と話しているお父様の台詞と思えませんわね」



 あまりに聞き捨てならない台詞を父が紡いだ為、折角アルジェントに姿が見えない魔法を掛けて邸内へ入れるところだったのを我慢ならずベルティーナは声を遮った。出掛けてまだ帰っていないベルティーナがいつの間にか屋敷の扉付近にいて集団は驚きのあまり声が出ない。

 更にベルティーナはつい先日、リエトに婚約破棄をされクラリッサが婚約者になると発した。陛下や王妃殿下も知っていると付け加えて。



「な、なんだそれは!? そんな話聞いてないぞ!」



 リエトは父クロウに婚約破棄の件をまだ伝えていなかった。待っていても何も言ってこないものだと呆れつつ、そこにいるクラリッサが証人だと示した。皆の視線を受けたクラリッサは顔を青褪め、怯えた表情で公爵夫人に泣き付いた。



「お、お母様ぁ、ベルティーナお姉様は何か勘違いを……」

「クラリッサ、まさか貴女王太子殿下が嘘の婚約破棄をしたと言うの?」

「ち、ちが」

「なら勘違いではないわ。大体クラリッサ、貴女婚約破棄された私の前で殿下にとっても愛されている言葉を掛けられていたじゃない」



 何だか面倒になってきたベルティーナはアルジェントに目配せをし、強く困惑する集団の意識を一時的に支配させ、目的地へと向かわせた。目から光を失い、命令するアルジェントに従い集団は去って行った。

 どっと疲れが出て頭が痛くなった。



「私が婚約破棄をされたとお父様達に知られるのは拙いようね」

「どうしてかな」

「そこが問題よ」



 詳細は部屋に戻ってから考えようと決めた。



 途中、侍女に紅茶を持ってくるよう言って部屋に戻り、早速先程の予想を立てていく。



「クラリッサのあの様子から、婚約破棄は殿下とクラリッサの虚言って事になるわ」

「でもさ、君が言うように王太子は嘘が嫌いなんだろう? いくら君が嫌いでクラリッサ可愛さで嘘を吐くのかな?」

「そこなのよ」



 婚約破棄が嘘だとしても、嘘が嫌いなリエトがアルジェントの言う通りの理由で嘘を吐くのか、甚だ疑問。疑問はもう一つ。父の様子から婚約破棄は望んでいないと窺えるがそれならベルティーナを修道院へ送る意図が不明だ。問題のある令嬢を送る最後の受け皿たる修道院行は、二度と家に戻れず結婚も出来ないと意味する。そうなる前にアルジェントを連れて家を出る気満々なのだが、修道院送りはベルティーナを従わせる手段として準備されていると予想が立てられた。



「王太子妃になるのが私の夢だと思っている節があるのよね、お父様は」

「王妃は王国の貴族令嬢なら誰もが夢見る地位だから、だっけ」



 更なる権力を手に入れる頭しかない父が政略結婚の駒としか見ていない娘を愛するが故の将来を考える訳もなく。どれだけリエトから嫌われようと冷遇されようと王太子妃にさえなればいいと考えていた。クラリッサがリエトに気に入られるとベルティーナに執拗な程嫌味を言い、裏ではクラリッサを養女にする手配を進めているときた。国王も知っているとなると、愈々ベルティーナはお払い箱。王妃も知っている。王妃の気持ちが知りたいものの、ベルティーナよりクラリッサを選ぶと言われると今までの思い出が泡と消えていくのを恐れ、聞かないでおくとした。



「あの集団の意識は何時戻る様にしたの?」

「目的地に着いたら解けるようにしたよ。今頃、どうしてそこにいるのかとあたふたしているだろうね」

「見てみたかった」

「行く?」

「行かない」



 その時、侍女が紅茶を部屋に運んだ。手慣れた動作で紅茶を注ぎ、テーブルに置くと退室した。一口サイズのクッキーも忘れずに置いて。



「ただ家を出るだけじゃ、追手を差し向けて来るわね……。アルジェント、私が殺された偽装って出来る?」

「出来るよ」

「アルジェントも私を庇って殺された風を装いましょうか」

「何時するの?」

「今よ!」



 決めたら即行動をするのが吉。「待った」とアルジェントは制止した。



「もう少し様子を見てみよう。幾つか、気になる事も出来たし」

「気になる事?」

「その内教えてあげる。家出はちょっと待って」

「……分かったわよ」



 アルジェントがそこまで言うのならと、仕方なく待つ道を選んだ。


 ——夕刻前に集団が戻ったと報せを受け、出迎えに行く義理もないとアルジェントの髪を梳いている。ペットの身形を綺麗にするのも飼い主の役目。アルジェントの着ている服は全てベルティーナが選んだもの。偶に本人がこれがいいと言う物があれば購入している。

 鼻歌を披露しながら上機嫌にアルジェントのサラサラな銀糸を丁寧に櫛を通していれば、執事が来て集団が呼んでいると来た。仕方なく手を止め、アルジェントを連れてサロンへ向かった。


 向かう前とは違い、微妙な空気を醸し出す集団に対し吹き出したい気持ちを抑えた。



「お帰りなさいませ、お父様、お母様、お兄様。モルディオ夫人やクラリッサも」

「……ベルティーナ。向かう前、王太子殿下から婚約破棄をされたと言うのは本当なんだな?」

「嘘でこんな事言いませんわ」

「……」



 期待していた反応と違い、戸惑いを覚えた。てっきり激昂して勘当を言い渡されるか、今すぐに修道院へ行けと叫ばれるかのどちらかと予想していたのに。神妙な面持ちで溜め息を吐いた父クロウは——



「お前に可愛げがないばかりに、王太子殿下に要らぬ決断をさせてしまうとは……」



 ——は?



「クラリッサも済まないな。ベルティーナのせいで」

「い、いえ、私は」

「クラリッサに王太子妃は務まらない。可愛いお前にあんな魔窟で生活をさせるなんて、アニエスも私も望まない。王太子の側妃として嫁がせてあげたいがまずは……」



 放心するベルティーナの耳に父の声は届いていない。

 可愛げがない可愛げがないと連呼されてきた中で最も意味不明な台詞に呆然としてしまった。

 可愛いクラリッサが王太子妃にと望まないなら、何故クラリッサを養女にしてベルティーナを修道院へ送る話が出ているのだ。ベルティーナを排除し、クラリッサをベルティーナの代わりに王太子妃にさせる為じゃないのか。他人の思考を完璧に読み取るのは困難、政治の前線にいる者は特にと王妃教育の教師が常々口にしていたが範疇を超えている。父が、否、父達が何を企んでいるのか分からなすぎる。


 ハッとなったベルティーナは好き放題言っている父の前に座るクラリッサが、身を小さくしスカートを握り締める姿に違和感を抱いた。最初暴露した時もクラリッサは勝ち誇らず、寧ろ、焦りを見せていた。


 ——……まさか、あの嘘嫌いな殿下が嘘の婚約破棄を私に宣言したというの?


 側にクラリッサを置き、次の婚約者になるというのも嘘ならば、別の問題が浮上する。

 こうしてはいられない。



「アルジェント、部屋に戻るわよ」

「はい、お嬢様」

「待ちなさい! まだ話が終わっていない!」



 呼び止める父にうんざりとした顔で振り向くと激昂され、罵声を浴びせられるもベルティーナは余裕の態度を崩さない。



「近い内に養女となるクラリッサと父娘の団欒をされては? お父様にとって私は娘ではなく、アンナローロ家の駒ですから」

「父親に向かってなんて台詞だ!!」

「あら? 昔、お兄様に泣かされてお父様に泣き付いたら『お前はただの駒だ。駒が私に泣き付いてくるな』とのお言葉と一緒に平手打ちをされましたわ」

「な……わ……私がお前にそんな事をしたと……?」



 今度は父が呆然とする番となった。

 確か十歳の時。ビアンコも覚えがあるのか気まずげにし、顔が青い。

 父の異様な雰囲気に考え事が増えたと溜め息を吐きつつ、アルジェントを連れて部屋に戻った。



「さっきの見た? ベルティーナ」

「ええ」



 サロンを出る間際見えた。

 泣きそうになりながらアルジェントを連れて出て行くベルティーナを睨むクラリッサと強い眼力で睨んでくるアニエスを。



「家を出るのは後回しにして、徹底的に調べるわよ」

「OK」



 ふと、イナンナから手渡された鏡が光っていると気付き近付いて見ると。



『あ〜? やっと見てくれた〜』

「うわ!」



 鏡の向こうは今日訪れた大神官の部屋を背景にしたイナンナを映していた。


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