傾国のティファナ

 ヴィランが率いる冒険者のパーティが解散になったと、噂に聞いた。

 ヴィラン本人がどうなったかは分からない。ヴィランとよく行動を共にしていたトラグルックに至っては、随分と前から話を聞かなくなった。


 ペノトの裁判の鏃は、冒険者ギルドに返却された。

 通常、冒険者同士の諍いは禁止であるが、裁きの結果によって熊猫団はお咎めなしとなった。大きな損害を受けたヴィランの冒険者たちは抗議したが、受け入れられなかった。裁きの光が圧倒的な答えを放っていたからである。



「金もふんだくれたら良かったけどねえ」



 テイザットが冗談交じりに言った。

 ガビンが「辞めておけ」と宥める。


 ガビンとレンカが戻ってきたのは、騒動があった翌日であった。

 万が一のためとテイザットが連絡をして、急いで戻ってきたらしい。



「……ごめんなさい」



 ティファナは深く頭を下げた。

 熊猫団の有り金すべてを使い果たし、借宿も失ったのはすべて自分の責任だと痛感している。おかげで今の熊猫団は一文無し。今夜も街の外で野宿である。



「…………シルフィ姉さまは……悪くない……」


「……でも」


「…………悪いのは……男衆。……みんな、大天使の姉さまに近付こうとして……烏滸がましい……」



 レンカがティファナに寄り添い、テイザットたちを睨む。

 ティファナの魅了にかかりやすいガビンが苦笑いした。テイザットとアレンもほんの少し背を丸める。なにひとつ悪いことはしていないのに、男衆とひとくくりにされたらどうしようもない。実際、ティファナの魅了にかかりやすいのは男だけなのだ。



「まあ、ま。とりあえず一件落着ってことで」



 焚火の火を熾しながら、テイザットが笑った。

 季節はもうじき冬。星夜の下の野宿は正直寒い。ティファナはレンカとくっ付いて、焚火に手をかざした。するとパチリと火が爆ぜ、火の勢いがわずかに強くなった。



「シルフィちゃんの魔力操作の訓練も、一件落着だねえ」


「そうみたいです」


「どうだい? 魅了も抑えられそう?」


「気を抜かなければ、なんとか」



 そう答えて、ティファナは着けている仮面に手を触れた。

 現時点でも魅了を抑えこんではいるが、なにかの拍子に発動しては困ると、念のために仮面を着けている。熊猫団の中ではガビンが最も魅了を受けやすいので、今はガビンのためだけに仮面を着けていると言っていい。


 ガビンが申し訳なさそうに頭を下げ、「悪いな」と苦笑いする。「とんでもないです」とティファナはすぐに否定し、ガビンよりも深く頭を下げた。


 焚火にかざしていた手を、そっと戻す。

 火がわずかに弱まり、柔らかい熱が五人を包んだ。



 ティファナの魅了の力は、街全体に知れ渡ることとなった。

 仮面を着けているシルフィがティファナであることも。


 魅了以外の、特殊な力の正体は謎のままとなった。

 自動的に身体が治ってしまうことも、手を触れることなくヴィランを気絶させたことも。そもそも溢れ出る魔力をどこから供給しているのかすら分からない。



「もう寝よう。明日からまた、稼がないといけないからな」



 ガビンが火をつつきながら言う。

 四人が頷き、それぞれ布を被った。


 ティファナはやはり、くっ付いて離れないレンカと共に寝転がった。その状況が夢か幻なのではないかと疑いつつ、かみしめながら目を閉じた。



 眠っている間。

 黒い光が何度もティファナの身体の内でうごめいた。


 黒い光によって気分が悪くなることはない。自らがそういう存在なのだと諦めが付いていたため、黒い光に嫌悪感を覚えたりはしなかった。それどころか、感謝している。この黒い光が、魔力を整え、魅了を抑え、ヴィランたちから解放してくれたのだ。


 夢の中で黒い光を撫でる。

 不思議な手触りだなと、ティファナは小さく笑った。



「……ティファナ」



 声。

 黒い光から聞こえた気がした。



「寝ぼけているのか」



 もう一度聞こえる。

 アレンの声だと気付いた瞬間、目の前にあったはずの黒い光がどこかへ消えた。


 焚火の赤が見える。

 その前に、アレンの身体。

 火の番をするため、皆が寝た後に起きたのだろう。



「アレン」


「悪いな、寝ぼけていると分からなくて、声をかけてしまった」


「……どういうこと?」


「お前の右手が、さっきから俺の尻を撫でていた」


「……え、ええ、あ! ご、ごめ!」


「大きな声を出すな。皆が起きる」


「ご、ごめ……ん、なさい」



 ティファナは引っ込めた自分の右手を、左手で撫でる。

 夢を見ていたからとはいえ、なんとはしたない。

 頬と耳が熱くなっていくのを感じ、ぎゅっと唇を結ぶ。



「ティファナ」



 アレンがもう一度声をかけてきた。

 ティファナはアレンに目を向ける。火を見ていたアレンの視線が、ゆっくりとティファナへ移った。目が合った瞬間、アレンの瞳に映っていた赤い色が、青く変じたような気がした。



「ティファナ。もう、大丈夫だ」


「……うん」


「どこにいても俺たちは必ず助けに行く。どんな結果が待っていても」


「もう、分かるよ」


「そうか」


「そう」



 どんな結果になろうとも、手を繋いでくれる人がいる。手を繋ぎたい人がいる。


 迷惑をかけるかもしれない。自らも苦しみ悩むかもしれない。

 どの道を選んでも、それらは一緒だ。形が違うだけで、良いことを悪いことも同じだけある。

 

 手を繋ぐことで、気付ける未来がある。乗り越えたいという想いになる。

 あの夜にペノトが見せた光は、きっとそういうものだ。



「じゃあ、おかえりだ。ティファナ」



 アレンが優しく微笑む。

 火の赤が、アレンの頬を染めていた。

 きっと自分の頬も染まって見えているだろうと、ティファナは少し恥ずかしくなる。



「……ただいま」


「おかえり」



 アレンの大きな手。そっとティファナの頭に乗る。

 分厚く、硬い手なのに、柔らかいと錯覚してしまう。



「…………ふたりで、ずるい……」



 唐突に、ティファナの後ろからレンカの声がひびいた。

 慌てて振り返ると、レンカが嫉妬に満ちた目でティファナとアレンを睨みつけていた。



「…………私も、おかえりって、言う……」


「ありがとう、レンカ。ただいま」


「…………シルフィ姉さま、大天使……おかえりなさい……」


「ちょっとお!? ボクたちもいるんですけどお!?」


「俺もシルフィに言ってほしい」



 テイザットとガビンが飛び起きる。最初から全部聞いていたと言わんばかりの勢いだ。

 しかしティファナが仮面を外していたため、早速ガビンに弱めの魅了がかかった。急いでテイザットとアレンがガビンに魅了用解毒薬を飲ませる。遅れてティファナが駆け寄り、ガビンの麻痺を治療術で取り除いた。



 こうして夜が更け、また陽が昇る。


 まともな生活を取り戻すまで、熊猫団は今日から馬車馬のごとく働きはじめる。

 もちろん、冒険者として。


 傾国と呼ばれるようになるティファナも、ここからはじまる。

 千年語り継がれる物語の一頁。



 そう。これはまだ、ほんの一頁目だ。

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傾国のティファナ 遠野月 @tonotsuki

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