覚醒の端

「っはー! 水晶のアレン! てめえを倒せば俺の名はさらに上がる!」



 ヴィランが叫び、アレンの剣を弾く。

 赤く煌めく剣が、鮮血を纏っているように見えた。


 ティファナは震える足を引きずり、走った。

 ヴィランの剣に揺らいだアレンが、完全に体勢を崩したからだ。その瞬間をヴィランが逃すはずもない。赤く染まった眼をぎらつかせ、笑いながら次の一撃を繰りだそうとしている。


 止めなければ。


 だが、どうやって。


 刹那の間。思考が巡る。

 その間もティファナは駆けた。いつの間にかアレンとヴィランの傍まで走り寄っていることに気付く。自分の行動そのものと、その結果の危うさに背筋が凍る。



――だけど……!



 今手を伸ばせば、アレンが助かる。

 自分の身体は、ヴィランの剣によって斬り裂かれるかもしれないが。


 かすかにでも過ぎりそうな迷いを噛み殺し、ティファナはヴィランの剣の前に立ち塞がった。

 目前に迫る、真っ赤な剣。

 背後から、アレンの声が聞こえる。



 ドン、と。

 全身に衝撃が走った。


 直後に、火で炙られたような痛み。肩から、胸にかけて。

 見ると、ヴィランの赤い剣がティファナを身体を斬り裂いていた。真っ二つになるかもしれないと思っていたが、咄嗟にヴィランが力を抑えたらしい。目の前の、剣を握っているヴィランの顔がひどく歪んでいる。



「こ、の! 脳なしティファナっ!! 余計なことをっ!! ほん、とに!! 使え、ねえええっっ!!!!」



 ヴィランが喚き散らした。

 手に入れようとしていたモノを失うかもしれない焦りより、思い通りにならないことが許せないという想いが、ティファナに浴びせられる。


 意識ががたがたと震える中、ヴィランの喚き声が傷口をさらに抉った。

 胸の痛みがさらに増す。痛みが苦しみを呼び、呼吸を潰す。



「ティファナ……!!」



 崩れ落ちたティファナの身体を、後ろにいたアレンが抱き、支えた。


 ゆっくりと落ちる。


 なにもかも。



「っはあああ!! なにもかも失敗だ!! この!! ゴミが!! さっさと死ね!! なにもかも役に立たねえ、ゴミが!! この!! 脳なし不細工のティファナアア!!!!」



 喚き声。


 震え。


 アレンの腕。



 なぜ。



――なぜ、震えているの。



 暗闇の底へ落ちていく中で、ティファナは首を傾げた。

 なぜ、アレンが震えているのか。


 私のせいなのか。

 余計なことをした、私のせいなのか。


 それとも――



 落ちていきながら、ティファナは首を傾げる。

 暗闇の底に、黒い光が見えたからだ。


 黒というものも光るのかと、ティファナは不思議に思った。

 しかし手に取って見ると、黒い光はしっくりと手に馴染んだ。


 身体の奥底まで光が染みわたる。いや、闇が染みわたっていくのか。


 どちらにせよ、奇妙な感覚が身体を満たす。



 死が、遠ざかっていく。





「……ティファナ!!」



 アレンの声が耳元で鳴った。

 喚き散らすヴィランのことなど気にも留めず、ティファナを抱きかかえ、泣いている。



――アレンも泣くんだな。



 不謹慎にもティファナは小さく笑った。

 その声に気付いたのか。アレンの身体がぴくりと震えた。ティファナの顔を覗き、頬を撫でる。



「泣いていたの?」


「……泣いてない」


「そう」


「……ティファナ……どうして……?」



 突然息を吹き返したティファナに、アレンが再び身体を震わせた。

 ティファナもまた、自分が死んでいないことに驚き、ゆっくりと自らの胸に手を当てた。



「傷が……ない」



 いや、傷だけではない。流れでていた血もなくなっていた。

 斬り裂かれたはずの衣服も元通りになっている。

 当然のように痛みもない。どちらかというとすべての感覚が鈍くなっているように思えた。



「……治療術を?」


「ううん、なにもしてない」


「じゃあ、どうしてだ……?」



 アレンが混乱している。


 喚いていたヴィランもまた、混乱していた。

 殺してしまったはずのティファナが蘇ったことに喜ぶべきか。

 致命傷を早々に治したティファナに驚くべきか。

 とにもかくにも現状を理解できず、狼狽えている。


 ティファナはヴィランの姿を見ているうちに、変だなと思うようになった。

 全身に赤い光を浴びているヴィランが、どうしても弱々しく見えたからである。


 これまでの十年。

 恐怖そのものであったヴィラン。

 先ほどまで、ひとつひとつの動きに反応してしまうほど恐れていたが、それがもう欠片ほども無い。



「アレン、もう起きあがれるわ」


「痛くないのか?」


「身体はどこも痛くないよ」



 そう言ってティファナは起きあがり、アレンの腕から離れた。

 身体の状態を見て、他にもなにか変化がないかと確かめていく。



「……ティファナ、てめえ……そいつあどういうことだ?」



 何事もなかったように立ち上がるティファナに、ヴィランの声が震えた。

 一歩、二歩と、退きながら。



「分からないわ」


「……わ、分からないだと??」


「どうして聞くの?」



 ティファナはゆっくりとヴィランへ歩み寄る。

 一歩進むたび、ヴィランが一歩退いた。



「……ど、どうして、だと?」


「そう」


「……お、ティ……ファナ、いってえ、どうしちまったんだ」


「だから、どうして聞くの?」


「なんだ、おい! く、来るな!! や、……う、っく、ぐっ――」



 詰め寄るティファナを前にして、突然ヴィランの顔色が変わった。


 ティファナを見る目。

 虐げていた者を見る目でも、女を見る目でもない。

 いや、人間を見る目ですらない。


 魔獣を見るような目のヴィランが、顔を歪ませる。

 呼吸を止め、藻掻き、震えていく。


 やがて真っ青になって白目を剥き、崩れ落ちた。

 崩れ落ちながら、ヴィランの口から泡が吐き出される。


 意識が断たれたヴィランを見て、ティファナは自分の中の力に気付いた。

 これまでのあやふやなものとは違い、整えられた魔力が満ち溢れている。

 魔力をどう扱えば、どのような結果を得られるのか、身体の隅々が知っている。


 ティファナの魔力が、ヴィランの意識を締め潰したのだ。

 未だ溢れる自らの魔力。その絶大さを、ティファナは冷静に覗いていた。


 黒い光が、身体の奥底に染みている。

 感情をも、黒い光が染み、冷やそうとしている。



――これって……



 自らの手を見る。

 魔力に満ちた手。震えもしていない。



「……ティファナ」



 アレンの声が、ティファナの背をとんと叩いた。

 ティファナははっと我に返り、振り返る。


 崩れ落ちたヴィランを見て、アレンが呆然としていた。

 テイザットも、テイザットに襲いかかっていた館の冒険者たちも。



「え、シルフィちゃん、すっご」



 あっけらかんと、テイザットが言う。

 その言葉を皮切りに、館の冒険者たちが逃げ出すのだった。

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