願い
ぷつり。
糸が切れたように人間が倒れた。
床にくずれ落ちた人間の前に、テイザット。腕だけを熊猫のそれに変えている。
「……見事なもんだ」
アレンは素直に感心した。
対峙する人間の意識だけを断つなど、容易いことではない。それをテイザットはやってのける。アレンでも、相手を思いきり殴り飛ばせば意識を奪えるだろう。しかしそうすると後々障害を残してしまうことがある。テイザットのように後腐れなく眠るように意識を断つのは、芸術に等しい。
「まあ、魔法も使ってるからね」
「使えれば出来るわけじゃないだろう」
「これが熊猫ちゃんの強さってわけさあ」
「……絶対に違うと思うが、今はそういうことにしておこう」
崩れ落ちた人間の懐を探るアレン。
鍵束を見つけると、持ちあげてテイザットに見せた。
「さあて、こいつのどの鍵で、シルフィちゃんの場所までたどり着けるかな?」
アレンから鍵束を受け取ったテイザットがにやりと笑う。
アレンとテイザットは、シルフィを連れて行った冒険者パーティが集う館にいた。
もちろん、招かれて来たわけではない。無断で侵入し、今のように見張りの者を気絶させながら侵入しつづけている。
「だが、見張りの数が増えている」
「そうだねえ。そろそろ正攻法ではシルフィちゃんに近付けないかもしれないね」
「どうするんだ?」
「うーん。まず、見張りの配置からして、シルフィちゃんは地下にいる」
「だろうな」
「でも、それはフェイクだ。シルフィちゃんは地下にいない」
「……なに?」
テイザットの言葉に、アレンは首を傾げる。
人間同士の駆け引きは本当に面倒だと、アレンは思った。なにをどうすればいいかまったくわからないのだ。魔物相手ならば剣を振っていればなんとかなるのだが。
ぴんとも来ないアレンを見て、テイザットが小さく笑う。
仕方ないと、短く説明をしてくれた。
テイザットが言うには、地下にシルフィがいないと思える理由が主にふたつあるという。
ひとつ目は、見張りの配置が誘導的であること。
あからさまに地下への見張りが多いというのだ。それどころか、地下へ向かう通路がどこにあるか教えてくれているようにすら見えるという。
ふたつ目は、ここの冒険者パーティのリーダーがヴィランだということ。
ヴィランの名を口にしたテイザットが目を細め、小さくうなった。
「ヴィランってやつが、なんだっていうんだ?」
アレンは再び首を傾げる。
街にいる他の冒険者のことに対して興味を持ったことがなかったからだ。
「知らないのかい? ヴィランは乱暴者だけど、狡猾な悪党ってことで有名だよ。なんで冒険者なんてやってるんだってくらいにね」
「つまり?」
「まあ、ボクらが今夜シルフィちゃんを奪い返しに来る可能性があるってことくらい、予想してるってこと」
「地下に誘い込んで罠に嵌めようってわけか?」
「それだけじゃない。悪党ってのは逃げ道もちゃんと確保するもんさ。地下は退路が限定されるからね」
テイザットが自信あり気に言う。まるで似た経験があるかのように。
アレンは訝しんだが、問いただそうとまでは思わなかった。今はそれどころではないと分かっている。唇の端を結んで頷いてみせると、テイザットの片眉が上がった。
今いる場所は、館の一階。
通路の隅。
地下へ繋がっているであろうところに、見張りが二人いる。
テイザットが、「二階へ行こう」と提案してきた。
確証はないようだが、経験からくる勘が、そう告げているのだろう。
二階へ上がるための階段はだいぶ先であった。
屋内から行くとなれば、館にいる全員に見つかるのは必至である。
「外から、壁を登って二階に行くしかないな」
「だねえ。そこの部屋に入って、窓から外へ出てみる?」
「外の見張りに見つからなきゃいいがな」
「それはもちろん。一瞬で駆けあがって、音なく二階の窓をぶち破ってよ?」
愉快そうに笑うテイザットの声を背に受け、アレンは傍にある扉を開ける。
扉の先は、物置らしき部屋。奥に小窓があった。
アレンは小窓をわずかに開け、外の様子を窺う。
幸い、周囲に明かりはない。近付いてくる明かりも見当たらなかった。
「行けそうだ」
「よしきた」
テイザットが頷くと同時に、小窓を開けて外へ飛びだす。
二階に見える窓。近くに三つ。いずれも木窓が閉じていたが、ふたつの窓からかすかに明かりがこぼれでている。
「あの部屋だけ、だれもいない」
「ぶち破れる?」
「やるわけないだろう。音がひびく。外から掛金だけ斬る」
アレンは抜剣し、明かりがこぼれでていない窓を見据えた。
長く息を吸い、全身に力を込める。
高く飛び上がり、壁にあるわずかな突起を掴んだ。出来るかぎり音を立てず、次々と壁にある突起を掴み、目的の窓の傍まで登っていく。後ろからテイザットが付いてくる気配を感じた。アレン同様に音なく壁を登ってきている。
テイザットが後ろから迫ってきているのを感じつつ、アレンは剣に力を込めた。
鋭い一撃で、木窓の掛金を斬り落とす。
かすかな金属音が鳴った。耳を澄まさなければ分からない程度の、小さな音。
二人はすぐさま窓から二階の部屋へ侵入した。
窓を閉じ、吸い込んでいた息を長く吐きだす。
「さあて、シルフィちゃんを捜そう」
涼しい顔をしたテイザットが、耳を立てた。
館内はいまだに静かなもの。侵入者を捜そうとする声はひとつも聞こえない。
「本当に二階にいると思うのか?」
「たぶんね。というより、館に入る前に外からだいたいの目星は付けておいたんだ」
「そこまで遠いか?」
「三つほど先の部屋かな。通路に出ればすぐ分かるはず。古い造りの一角があるはずだよ」
通路に繋がる扉へ近寄ったテイザット。
アレンはテイザットを追って、扉の先の気配を窺った。
五人ほど、通路を歩いている。
それ以外に、幾つかの声。
遠くから、曇った声が聞こえてきた。
腹の奥底をくすぐるような、気分を悪くさせる声だ。
「アレンも気付いた?」
「……ああ」
「たぶん、あの声がする部屋にシルフィちゃんがいる」
テイザットが腰にあるナックルダスターを小突いた。
銀色の鈍い光が揺らぐ。
アレンも剣を握り、再び長く息を吸い込んだ。
「ボクが通路の奴らを落とす。アレンはシルフィちゃんがいる部屋の手前まで行って?」
「その勢いで連れ出せばいいんじゃないか?」
「それはどうにもならなくなった時の最終手段だよ。ボクらは最低でもシルフィちゃんの同意が欲しい。シルフィちゃんが嫌がった時点で、ボクらは完敗ってわけ」
冷静なテイザットの言葉に、アレンは胸の奥がずしりと重くなった。
吸い込んだ息が、練り込んだ闘気が、揺らいでしまいそうになる。
――ティファナ。
願うようにして、アレンは部屋の扉を開けた。
アレンの横をテイザットがすり抜ける。
通路にいた数人の冒険者が、一瞬にして落ちた。
それを横目にアレンは駆け、奥歯を噛み締めた。
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