クラヴァナの魔法紋
優しい日々
波が立つ。
街のどこかで、小さく、しかし確実に。
「も、もう一度お願いします……!」
同じ街の別の場所で、シルフィは息を切らせていた。
シルフィの目の前には、小さな木片が置かれている。
「もう一度気を失ったら、今日は終わりだよ?」
シルフィの隣に立っていたテイザットが、頷きながら答えた。そのさらに隣で、レンカが心配そうにシルフィを見ている。当然だ。今日だけですでに五回も気を失っているのだから。
「じゃあ、意識を集中して。じっとあの木片を見て?」
「はい!」
「もっと集中して? そんで自分の魔力を絞って絞って絞りまくって」
「……う、く……は、はい」
「絞った魔力で、あの木片をほんのちょっと押すんだ。ゆっくり、ゆっくり。いいよ、いいよお!」
「う、う……く……」
唸るシルフィ。目の前にある木片がカタカタと揺れる。しかし自らの意思で揺らしているわけではなかった。溢れ出た魔力がぶつかっているだけである。その証拠に、木片だけでなく周囲の小物もすべて揺れていた。
魔力を絞ろうとすればするほど、揺れがひどくなる。
シルフィの意識も遠くなっていく。
そうしてついに――
「……まあ、昨日よりは良くなったねえ!」
テイザットの慰めの声が聞こえてきた。そして、またも気を失っていたシルフィを起こしてくれる。
レンカも傍にいた。先ほどより心配そうな表情だった。とはいえ、もうやめるようには言ってこない。やらねばならないというシルフィの気持ちを汲んでくれているからだ。
やらなくてはならないこと。
それは魅了を制御することであった。
『それ、たぶん出来るよ?』
ゴブリン退治から戻ってすぐ、テイザットがそう言ってくれた。
本当だろうかとシルフィは数瞬訝しんだが、魔力を扱う魔法使いのレンカもまた、テイザットの考えに賛同してくれた。しかし確実に制御できるかは分からないとも、言い加えられる。腕輪の力をもってしても、多少の向き不向きがあるからだ。
――それでもいい。
魅了を少しでも抑えられるなら、なんでもする。
シルフィは藁をも掴む思いで、魔力を操作する訓練をつづけていた。
訓練は想像以上に過酷であった。テイザットとレンカが想定していた以上に、シルフィの身体から膨大な魔力が溢れていたからである。操作しようとすると、溢れ出る魔力が暴発した。外側へ暴発すると、シルフィの周囲にあるものが吹き飛んだ。逆に魔力の暴発がシルフィの内側に起こると、先ほどのようにシルフィ自身が気を失う。
「まあ、そのうちなんとかなるよ!」
「本当ですか?」
「今は突然手に入れた力に身体がついていってないだけ。たぶんね。もう少し身体も鍛えたほうがいいかもしれないなあ。毎朝ガビンと一緒に走り込みでもするかい?」
「おう。いいんじゃないか? 良い精神は、良い筋肉に宿るってもんだからな」
ガビンが笑う。これまで何度か不慮の事故で魅了にかかっているというのに、まったく滅入っていない。むしろ最近は慣れてきたのか、魅了にかかる直前に自ら魅了用解毒薬を飲み干している。麻痺毒を受けることにはなるが、魅了かけた本人が目の前にいるため、解毒治療が遅れることはない。
「そろそろ麻痺耐性が付きそうだね。ガビンガビーン?」
「おい、それやめろ。……まあ耐性はともかく、麻痺そのものには慣れたな」
「ガビンってドMだよねえ」
「紳士は皆、ドMなんだよ。知らなかったのか?」
「…………全世界の紳士に……謝ったほうが、……いい……」
レンカが突っ込みを入れる。
苦笑いするガビン。テイザットがそれを囃す。
シルフィはその様子を見て、ほっとした。同時に、まだ頑張れるという気持ちを新たにする。この素敵なパーティで、誰の足も引っ張らないようにと。
そうやって気合を入れ直そうとした瞬間。
とんと、シルフィの頭に優しさが触れる。
「頑張りすぎも毒だぞ」
シルフィの頭に手を乗せたアレンが、声をかけてくれた。
「うん」
「テイザットが張り切りすぎたら、俺に言え」
「優しくしてくれてるよ」
「そうか」
「そう」
「……くうー! シルフィちゃん、天使!!」
テイザットがシルフィの声を拾いあげ、目を輝かす。
シルフィは恥ずかしそうにして俯いた。するとテイザットがさらに目を輝かせる。シルフィの挙動ひとつひとつが、「娘が出来たようで可愛い」らしい。パーティの団長であるため、親心のようなものが強いのかもしれない。
優しい一日が、ゆっくりと暮れていく。
赤く滲む陽。明日も昇ってくれるだろうかと、シルフィは数瞬憂う。
波が立つ。
街のどこかで、小さい声。
『……ティファナ』
街のどこかで、渋みのある声がこぼれた。
小さく波紋を作り、滲んで沈んだ。
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