シルフィ姉様、大天使
巨大な熊猫になれるテイザット。
一見魔獣に変じたのではないかと心配になるが、どうも違うらしい。
「これはねえ。どっちかというと熊猫ちゃんを着ているって感じかなあ?」
そう説明したテイザットが、にかりと笑った。
熊猫の姿になったときは、元となるテイザットの身体が熊猫の中に残っているのだという。つまり魔力操作によって新しい身体を作りだしているに過ぎないのだ。しかし熊猫になるためには大量の魔力を使う。勿体ないのではないかとシルフィが首を傾げると、テイザットが大きな声で笑い飛ばした。
「だってカッコいいじゃない?」
「熊猫が、ですか?」
「そう! ボクはこれが最高にカッコいいと思うし、強いと信じてる! 誰になんと言われてもね?」
断言するテイザットが鼻息を鳴らす。
効率などクソ食らえ、というわけだ。
とはいえ今回、テイザットの魔力の使い方が、シルフィの訓練で役立つこととなった。シルフィも魔力で外見を変え、魔力の副効果で魅了を発動しているからである。とすれば魔力の調整さえできれば魅了も調整できるのではないか? テイザットはそう目論見、シルフィを指導してくれた。上手くいけば、シルフィはただの美少女治癒術士になれる。
「……じゃあ魔力が消えれば、元の姿に戻るのでしょうか?」
シルフィは複雑な想いを抱きつつ、尋ねた。
元に戻りたいという気持ちと、戻りたくないという気持ちが心の内で犇めいている。
誰にも迷惑をかけずに済むならば、元に戻りたくはない。
しかし偽りの姿でいることの罪悪感から、逃れられる気もしない。
「んー。たぶん無理かなあ」
「……無理、ですか?」
「たぶんシルフィちゃんの身体は、ボクと違うんだ。ボクは本体が残ってるけど、シルフィちゃんは本体が変わってる……いや、もっと複雑かも」
「複雑……?」
「はっきり分からないけどね。なにしろ魔力が暴走した結果だから。色々とこんがらがってるんだよ」
ううんと唸るテイザット。その答えに、シルフィは顔をしかめながらも少しだけほっとした。
答えを得られないもどかしさはあるが、元に戻れるかどうかを先延ばしにしたい想いもある。そしてなにより、知りたくない答えもあった。「人間じゃない」「魔物のようなものだよ」という最悪の答えだ。そう突き付けられたら、どうしたって立ち直れないだろう。
「…………テイザット、……シルフィ姉さまを、いじめた……?」
突然、レンカの声が耳元で聞こえた。
しかめ面をしていたシルフィは驚きの声をあげ、跳ねあがる。レンカだけではない。ガビンもすぐ傍に来ていた。訓練の様子を見にきたのだろう。
「いじめられてないよ」
「…………本当に……?」
「本当に。テイザットさんは優しいし、可愛いし、教え方も上手いの」
「…………たしかに、テイザット……小さい……」
レンカがテイザットを見下ろす。
レンカも背が低いほうだが、テイザットはさらに低かった。高身長のガビンに比べれば、半分ほどである。しかし当の本人は低身長であることをまったく気にしていない。むしろ喜んでいる節がある。
外見が可愛らしいテイザットは、シルフィにとって救いになっていた。
虐げられつづけていた過去から、男性に対してやや恐怖心があるためである。
「そうね。テイザットさんは小さくて。弟みたいな可愛さというか……」
「お……弟!? ボクがかい??」
「あ、……あ! ご、ごめんなさい!」
「……つまり、つまりボクもシルフィお姉ちゃんって言って、甘えてもイイわけかい??」
「あ、え……え? え??」
「…………テイザット……歯を食いしばって……?」
「え、なに? レンカおねえちゃ、がぶふぉおっっ!!」
ふざけるテイザットの顔面に、レンカの拳が飛び込む。
小さなテイザットの身体が空中で一回転し、地に伏せた。
あまりに勢いよく倒れたので、シルフィは咄嗟に治癒術をかけ、テイザットを治す。その素早い行動にガビンとレンカが驚き、感動した。治癒術士の鏡、天使に過ぎると。
しばらくして目を覚ましたテイザットに、ガビンが近寄った。
「団長。昨日言った通り、俺とレンカはしばらく出掛ける」
「……ん? ああ。そうだったね」
テイザットが頷き、ガビンが見せてきた数枚の紙に目を通していく。その紙は冒険者への依頼内容が書かれたものであった。ぱっと見た限り、どれも遠方へ行く必要があるものばかり。報酬も多い。
ガビンがこれらの依頼を請ける提案をした理由はただひとつ。
治癒術士であるシルフィを訓練に集中させるためであった。
治癒術士は基本、希少で貴重な存在である。今は魅了によって不安定なシルフィであるが、魅了さえ抑え込めれば純粋に貴重な戦力となるだろう。無事に訓練を終えれば、熊猫団が大きく安定するのは間違いない。しかし訓練をつづけるためにはひとつ問題があった。冒険者というものは常に貧乏暇なし。とにかく生活費を稼ぎつづけなくてはならないのである。
そのため、ガビンはレンカを連れて熊猫団の生活費を最低限稼ぎにいくことにした。
二人が遠出中、テイザットとアレンがシルフィを教えることに注力する。そうすることで、より早くシルフィの魅了が抑えられる、かもしれない。
「全部で二、三十日はかかるが、どれも危険な仕事じゃない」
「分かった。後は任されたよ!」
「ああ」
「…………シルフィ姉さま……なにかあったら、すぐ呼んで。……ガビンを置いて……すぐ帰る」
「おい、やめろ?」
ガビンがレンカの頭をとんと叩く。
痛いふりをするレンカがシルフィの傍へ走り寄り、擦り付いた。シルフィは困り顔を見せながらもレンカの頭を撫で、微量の治癒術をかける。これは最近のレンカの定番行動だ。シルフィが年上と分かった直後から、なにかにつけて甘えてきてくれる。
「シルフィちゃん、本当に天使だねえ」
「天使に過ぎる」
「…………シルフィ姉さま、大天使……」
こうやって三人が揶揄ってくるまでも定番となっていた。そのたびにシルフィは顔を真っ赤にさせる。仮面を付けていても分かるくらいに。冗談と分かっていても慣れないのだ。この先もずっと慣れないだろう。
しばらくして、ようやく赤らめた頬が落ち着いたころ。
シルフィは、ガビンとレンカを見送った。
「……ご迷惑をおかけします」
「気に病むことじゃない。こういうのは持ちつ持たれつってな。今はお互い、出来ることをやろう」
「……はい!」
シルフィが返すと、ガビンが片眉を上げて小さく笑った。
それから数日間、シルフィは一層訓練に励んだ。
訓練中最も驚いたことは、アレンが家事全般得意だと知ったことであった。これまで分担していた料理はもちろんのこと、掃除洗濯すべてひとりでこなしていく。節約もしなくてはならないため、可能な限りすべての食材を自力で取りに行くという徹底ぶりも見せた。しかも割と楽しそうにこなしている。
「アレン、私も手伝うよ」
「ダメだ」
「でも」
「俺は俺の出来ることをする。少しでも、シルフィに気分よく過ごしてほしい」
「訓練のため?」
「いや」
アレンが首を横に振った。
シルフィは首を傾げ、「違うの?」と尋ねる。するとアレンが少しだけ笑い、窓の外へ目を向けた。
「シルフィに笑っていてほしいだけだ。そう思っているのは俺だけじゃない」
遠出をしてるガビンたちを見るようにして、アレンが口の端を結ぶ。
その言葉にシルフィははっとした。ほんの少し思い違いをしていた自身の心を叱咤する。
昼食後。
シルフィはいつもよりも集中し、訓練に励むのだった。
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