私のせい

 風が震えている。

 ゴブリンの喚き声は、もうどこにもない。


 洞窟内で暴れ回ったテイザットは、まだ熊猫の姿のままでいた。

 一度変身すると、数時間は人間の姿に戻れないらしい。



「今回はなにもしない予定だったんだけどねえ」



 テイザットが笑う。

 ところどころ崩れている洞窟の通路をよじ登りながら。



「洞窟の中だと、その身体では狭いから……ですか?」


「そんなとこ! それにボクってば、考えて戦うのがあまり得意じゃないからさあ!」


「そ、そう、みたいですね……洞窟、結構崩れて、こ、恐かった……」


「あっははー! でしょー!? まあ、こういう時にアレンがいると助かるんだ。ボクがヘマした分は大体アレンがなんとかしてくれるからね! ねえ、アレン?」


「……俺は、俺に出来ることをするだけだ」



 名を呼ばれたアレンの肩が揺れる。

 たしかにアレンの動きは速かった。崩れる洞窟内でシルフィを抱きかかえつつ、素早く動けていたというだけではない。テイザットが撃ち漏らしたゴブリンもすべて倒して回っていた。熊猫団の皆がアレンを頼りにしているのも納得である。



「アレンはすごい剣士になったんだね」


「まだまだだ」


「これ以上強くなんて……なれるの?」


「強くならねばならない。……そう、誓ったからな」



 そう言ったアレンの目が、遠くを向いた。瞳の色が暗い。あまりいい思い出ではない過去を覗いたのだろう。お互い、冒険者になってから十年経ったのだ。シルフィにも色々とあったが、アレンにも語り難いなにかがあるに違いない。



――余計なこと、言ったかな……。


 

シルフィは唇を結び、アレンの服の裾をそっと摘まんだ。

 それに気付いたアレンが、口の端をかすかに上げる。



「気にすることじゃない」


「……うん」



 うなだれるように頷くと、アレンの大きな手がシルフィの背をとんと叩いた。

 その分厚い手に、シルフィはほっとする。硬い手なのに、ふわりとした温かさを感じるからだ。アレンの手はいつも、シルフィの心の奥底をそっと緩めてくれる。



「……う、ぐ……う……」



 ほっとしていたシルフィの耳に、うめき声が届いた。ガビンのうめき声だ。

 ガビンは熊猫と化していたテイザットの背で、ずっと眠っていた。やむを得ない事情があり、意図的に気絶させていたのである。



「おおっと、ガビーンなガビンが起きたよ? ほら、シルフィちゃんは顔を隠せえ!」


「は、はい!」



 シルフィは慌てて布を被る。

 仮面が壊れてしまった今、シルフィの顔を隠せるものは布切れしかなかった。しかし今布を被ってしまうと上手く洞窟を歩けなくなる。シルフィは壁に手を突き、ゆっくり、よたよたと歩いた。


 しばらくそうして歩いていると、アレンがシルフィの手を掴んできた。

 どうやら危なっかしくて見てられなくなったらしい。

 軽々とシルフィの身体を持ちあげて抱きかかえ、歩いてくれた。



「……あ、あれ……ここ、どこ、だ??」



 テイザットの背で、ガビンが左右に首を振る。



「起きたあ? ガビンガビーン!」


「おい、それ、やめろ……。それより、いったい俺はどうしてたんだ……??」


「あっははー! 覚えてないんだねえ。そりゃあ、あんだけ解毒薬飲まされちゃあねえ!?」


「げ、解毒薬??」



 ガビンの顔が引き攣った。しかし未だ朦朧としているようで、目の焦点が合っていなかった。

 身体もまだまともに動かないらしい。テイザットの背でぐったりとしたままだ。


 ガビンがこのようになったのは、ゴブリンとの戦闘中にシルフィと目が合ったためであった。

 仮面が壊れていたために、ガビンを魅了状態にしてしまったのである。


 ゴブリンと同様に暴れだしたガビンは、テイザットの手ですぐさま叩きのめされた。が、上手くはいかなかった。魅了状態になると身体の痛みをあまり感じなくなるらしい。すぐに暴れだしたため、アレンが強引に魅了用解毒薬を飲ませた。それでもガビンはなかなか大人しくならなかった。追加で何本も飲ませ、ようやく静まったのだった。



「魔物用の魅了解毒薬って……麻痺毒付きじゃなかったっけ……?」


「そうだよねえ。今はしっかり麻痺してるけど、飲ませている間はほとんど効かなかったんだよねえ」


「俺……何本飲まされたの……?」


「十二本!」


「じゅ、十二!??」


「飲ませた後、シルフィちゃんが必死で致死量の麻痺毒分を解毒してくれてたから平気平気!」


「め、面目ない……」


「……いえ、私のせいですから」



 被った布の中で、シルフィがうなだれる。


 結局、隠そうと思っていた魅了のことは、皆に迷惑をかける形で知られることとなった。

 テイザットにはなぜか効かなかったが、それは運が良かったからとしか思えない。結果だけ見れば皆こうして笑えているが、そうではない結末になる可能性の方が高かったのだ。最悪の場合、全滅もありえただろう。



「……本当に、ごめんなさい」



 震える声が、洞窟に染みる。

 抱きかかえてくれているアレンの腕に、少しだけ力が入った。

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