アンドラズスの足の底

 冷気が、背を刺した。

 シルフィは驚き、目を開ける。



「……ここは?」



 こぼした声が、幾度も反響した。

 光はない。なにかがかろうじて見えるが、どのような場所でどのような状況なのかまでは分からなかった。手のひらには、岩の手触りと冷気が伝わってくる。どうやら洞窟のような場所にいるらしい。



「……ん、ぅうっ……」



 シルフィ以外の声が聞こえた。

 その声はシルフィの上にいて、声を漏らすと同時に身体を震わせていた。



「レ……レンカ??」


「…………ん、ぅ……シルフィ……?」



 シルフィの身体の上に、レンカが乗っていた。妙なことに、重さを感じない。しかしシルフィはそんなことなど気にも留めず、レンカの身体を揺すった。揺らされたレンカが、言葉にならない声を何度も絞りだす。



「……レンカ、生きてた。良かった……」


「‥………奇跡……」



 レンカがシルフィの身体の上から降りる。やはり重さを感じなかった。シルフィは不思議に思って、レンカが乗っていた自身の腹部を撫でる。しかし特に違和感はない。



「…………真っ暗……」



 レンカが辺りを見回していた。

 釣られてシルフィも周囲を見る。暗闇に慣れてきたからか、先ほどより周りがよく見えるようになっていた。



「岩をくりぬいたような……部屋みたい」


「…………シルフィ……見えるの……? …………驚き……」


「あ、う、うん」



 驚くレンカに、シルフィは気まずそうにして答えた。

 たしかにこの場所には一切の光がない。なにかが見えるはずもないのだ。

 人間離れしていると思われても否定しようがない。



――ど、どうしよう。



 言い訳を探していると、レンカが突然シルフィの手を掴んできた。



「…………シルフィ、お願い……」


「え、え? なに??」



 レンカの顔が近付いてくる。

 暗くて見えないからか、シルフィの身体にゆっくりと手を這わせて。



「ふぇ?? な、え??」


「‥………燃えるもの、その目で、探してきて……」


「え……あ……ああ! うん、わ、わかった!」



 慌ててシルフィは周囲を隈なく見て回った。

 ほとんど石ばかりだが、木片も幾つか散らばっている。いずれもよく乾いていた。燃やすには都合がいい。シルフィはその木片を拾えるだけ拾い、レンカの元へ戻った。


 木の乾いた音。レンカの前に並べるたび、よくひびく。

 その音にレンカが向き、金属の杖をかまえた。



≪ 歩いて回れ 火竜の末裔 暗穴一 乙女の髪を奉げよう ≫



 唱えてすぐ、レンカは自身の髪を数本引き抜いた。

 現れた火トカゲが、引き抜かれたレンカの髪を食べ、少しだけ歩き回る。するとレンカの前に並べられていた木片に火が付いた。火が付くと同時に、火トカゲはどこかへ消えていった。



「…………これで、安心……」



 レンカがちろちろと燃えている火に手をかざす。

 やわらかな赤が、暗闇の中で揺れた。

 二人の身体をゆっくりと照らしだす。



「……温かい。ありがとう、レンカ」


「…………どういたしまして…………あ……」


「……あ?」


「…………仮面、取れてる……」


「……え、う、うそ!?」



 レンカの指摘に、シルフィは慌てて自身の顔に触れた。

 たしかに仮面を付けていない。そういえば先ほどから、ずいぶんと視界が広いと思ってはいた。

 シルフィは急いで四方へ目を送る。

 火の明かりが届いていないところに、壊れた仮面が落ちていた。



「わ、割れてる……」


「…………直せそう……?」


「今は、無理かも……。でも、付けられないことは……ないかも」



 手に取って仮面を着ける。

 左目側が完全に割れていた。ズラして着けようと試みたが上手くいかない。どうしてもどちらかの目が見えてしまう。



「…………そんなに、顔……隠したい……?」



 レンカが不思議そうに見つめてきた。

 シルフィはレンカに顔を見られないよう、すぐさま顔を隠す。するとレンカが小さく笑った。どうやら仮面を逆さまに着けてしまったらしい。



「…………ふふ、シルフィ、美人……なのに……」


「……え、あ、私は……」



 褒められたのに、複雑な想いがシルフィの内に満ちた。

 レンカが褒めているのは、偽物のシルフィの顔なのである。本物の、ティファナではない。




『脳なし不細工のティファナ!』



 ふとトラグルックの声が、脳裏にひびいた。



『お前はなにも変わっちゃあいない!』



 シルフィの心を暴くように、脳内のトラグルックが蔑んでくる。


 魔石の暴走によって美人に生まれ変わっても、なにも変わらない。

 こうやって息を潜めて生きている。



『魅了のせいで迷惑をかけるから、息を潜めているのかって? そうじゃあない!』



 災いを生むことで、また悪意に満ちた目を向けられたくないだけだ。


 迎え入れてくれたテイザットたちに。

 目の前にいるレンカに。

 見た目だけ着飾った、『不細工な存在』だと思われたくないだけなのだ。




「…………シルフィ……?」



 レンカが、心配そうに顔を近付けてくる。

 壊れた仮面の隙間から見えている、『不細工』を覗いている。



――ああ、ダメだ。



 涙があふれた。

 自分が嫌いで仕方ない。


 なにより嫌いなのは、心配そうにしてくれているレンカを騙す自分だった。

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