手を伸ばして
シルフィたちが下へ降りたのは、しばらく経ってからであった。
散り散りに逃げたゴブリンも、見える範囲でレンカの魔法が焼き尽くした。
焼けたゴブリンを見て、シルフィは目を逸らす。
気付いたアレンが、戦場となった場所からシルフィを連れ出してくれた。
「大丈夫か」
アレンの声がシルフィを落ち着かせてくれる。
「少し気分が悪くなっただけ……」
「これまで何度も見てきただろう。ずっと苦手なのか?」
「ううん、そういうわけじゃなくて……」
言いかけて、口を噤む。
――自分も魔物みたいなものだから。
そう言ったところでどうしようもないことは分かっていた。
無意味に悩ませるだけだし、自分の悩みも深くなるだけである。
なにより、そこにいる誰かに言ってしまったら、そこにはもう留まれないだろう。
「……なんでもない」
「そうか。……なら……」
「お二人さーん! そこでなにしてるの! そろそろ次に行くよお!」
テイザットの声が割り込んできた。
振り返ると、テイザットとガビンが手招きしているのが見える。アレンが返事をして手を振り返した。シルフィは手を振る余裕がなかったので、頭だけ下げる。その様子を見て取ったレンカが、テイザットの頭を叩いた。なにか失礼なことを言ったのではないかと勘ぐったらしい。
シルフィは慌ててテイザットの元へ駆け寄り、深く頭を下げた。
「あっはー! 平気平気! レンカがボクをどつくのは挨拶みたいなものだから!」
「…………テイザットの頭は……太鼓みたい・……良い音がする……」
「ほおらね! ……あれ? ボク、今馬鹿にされた?? ……まあいっか!!」
テイザットが笑う。釣られてガビンが笑いだした。
しかしガビンは笑いながらも、周囲に目を向けていた。ゴブリンの残党がいないか警戒しているらしい。今全滅させたゴブリンが、巣穴にいたすべてではないと分かっているからだ。
「これから巣穴のゴブリンを全滅させる。準備はいいな?」
ガビンが言うと、笑っていたテイザットが静かになった。お調子者ではあるが、やるべきことははっきりと分かっていて、気を引き締めなくてはならないときも分かっている。
「じゃあ、先行はアレンとボク。最後尾はガビンでいいね?」
「問題ない」
「いいだろう。お嬢様方は俺が後ろからしっかり守る」
「わ、わかりました」
「…………シルフィは……私が守る……」
「あっははー! ガビンの出る幕はないってさ!」
「そうらしい。早々に解雇されそうだが、善処するよ」
ガビンの言葉を最後に、全員は軽口を閉ざして頷いた。
目の前にあるゴブリンの巣穴。
数匹逃げ戻った形跡がある。念のためアレンが巣穴の入り口から中を確認した。特に気配がないことをテイザットに伝える。テイザットが親指を立てると、アレンが頷き、巣穴の入り口へ身を入れた。
入り口は、人間が一人ようやく入れるほど小さかった。
一番背の低いテイザットとレンカは悠々と潜っていくが、シルフィは色々とつっかえた。仮面も外れそうになったので、慌てて付け直す。
「……暗いな。慎重に行こう」
「そう、ですね。少し暗い……」
「魔物はいいよねえ。暗くても見えるんだから」
「……暗くても」
テイザットの何気ない一言で、シルフィははっとする。
松明の明かりが届いていないところでも、少しだけ見えていることに気付いたのだ。それはもちろん、昔からというわけではなかった。確実に、魔力を暴走させて美女に生まれ変わってからだ。
――私……やっぱり……
唇が震える。
本当に人間ではなくなってしまったのか、と。
「…………シルフィ……どうかした……?」
「う、ううん」
「…………足元、暗い……気を付けて……」
「うん……ありがとう」
レンカに礼を言って、足元を見る。
やはりそれほど暗いとは思えなかった。昼間と同じぐらいに見えるというわけではないが、不便に感じるところはひとつもない。気になることがあるとすれば、妙な気配がここそこにあるということだろうか。しかし誰も気に留めている様子がないので、シルフィは口を閉ざしていた。
奥へ進むほどに、静かになっていく。
五人の足音が、異様なほどひびく。
シルフィは背筋に冷汗をかいていた。
どうしてか。これ以上進んではならない気がして息苦しくなる。
それを言うべきか?
何度も、前にいるテイザットに声をかけようとした。
しかし伸ばそうとした手が、すぐに止まる。
新参者の自分が、なにを言うのか。
烏滸がましい。
「……テイザット」
先頭のアレンが足を止めた。
テイザットが首を傾げる。
「どうかしたあ?」
「一度引き返したほうがいい」
「勘かい?」
「勘だ」
「よしきた、引き返そう! ……さあ、お嬢さ……ま……た、あ、っと!?」
振り返ったテイザットの表情が引き攣った。
同時に足元ががくりと揺れる。
なにがあったのか? そんなことを考える暇は、まったく無かった。
傍にいたレンカの身体が、がくんと下へ落ちる。
目の前にいたテイザットとアレンの身体が、どんと上へ持ちあがる。
「っわ、あ、あ! き、きゃああああ!!」
シルフィは叫んだ。
叫びながら、なにが起こったのか理解する。
崩れたのだ。歩いてきた通路が、広範囲にわたって一気に。
レンカがまず最初に落ちた。つづいてシルフィの身体も落ちた。突然のことに思考が追い付かないテイザットの表情が固まっている。その後ろで、アレンがシルフィに向かって手を伸ばしていた。
――駄目だ。
一瞬、アレンの手を掴もうとした。
その手を掴めば助かる。それは分かっていた。
しかし先に落ちたレンカはどうなる?
レンカだけ、一人にしてしまうのか?
悩んでいるうちにアレンの手が遠くなる。
シルフィは覚悟を決め、翻った。突然開いた穴の底に目を向ける。少し下の方で、目を丸くさせているレンカがいた。テイザット同様、思考が追い付いていない表情だ。
「レンカ!!」
恐怖に耐え、レンカに手を伸ばす。
状況をようやく理解したレンカも、シルフィに向かって手を伸ばした。
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