あなたの手
「こっちだ、ティファナ」
腕を掴んだ誰かがそう言って、ティファナを引っ張る。
振り返るとそこには、同じ冒険者であり、幼馴染でもあった剣士のアレンがいた。
ティファナはアレンに引っ張られるがまま酒場を出た。すると背後で激しい音がとどろいた。ティファナが逃げたことで狂乱し、酒場の木戸を蹴り破ったのである。
ティファナは逃げた。アレンが導くままに逃げつづけた。
道中、街中の人々すべての目が、ティファナに向いていることに気付いた。それらの目もまた好意的なものだけではなかった。酒場にいた客たち同様に、欲望を満たしたいと語っている目ばかりであった。
ティファナはぞくりとし、首をすくめた。
これまで生きてきて、欲情を向けられたことが一切なかったからである。
「……ごめんなさい、アレン。私、こんなつもりじゃ」
「分かってる。とにかく今は走れ」
アレンが駆けながら応える。
ティファナは頷き、アレンの顔を覗こうとした。しかしアレンがティファナと顔を合わせることはなかった。まるで怒っているように、ティファナから目を背けたまま走りつづけている。
「アレン……ごめん、ごめんね」
「問題ない。喋ると舌噛むぞ」
「……うん」
うつむき、息を吐く。すると、艶っぽい吐息がこぼれでた。
自分の身体のはずなのに、やはり違う。
まるで借り物の身体に、自分の意識だけが入っているようであった。
結局ティファナとアレンは、街を出るまで逃げることになった。
どこに行っても、街中では誰かの目がティファナへ向くからである。
かくまってくれた人もいたが、その人もまたティファナの容姿を見て、理性を失った。刃物を振り回して襲いかかってくるほどに豹変した者もいた。
――気持ち悪い。
ティファナは心底そう思った。
欲望を向けられただけではない。妬みや憎しみなどが混ざった感情などもぶつけられた。
それらすべての感情から、ティファナは必死に逃げた。
「……大丈夫? アレン」
街を出たあと、ティファナはアレンの怪我を治癒術で治していた。
街の人々がティファナに危害を与えそうになるたび、アレンが身を挺して守ってくれたからである。
「問題ない」
アレンが短く応える。少し、冷たい声。
幼馴染のアレン。冒険者になったのも同時である。
しかし二人がこれまで同じパーティになることはなかった。見習いとはいえ、治癒術を扱える者が多くなかったためである。ティファナは冒険者になった直後、半ば強引に大規模なパーティに所属することとなった。
実のところ、荒れ狂った酒場でアレンに会えたのは久しぶりのことであった。
「本当に怪我はないか?」
治癒を受け終わったあと、アレンが言った。
街を出てから、この言葉をもう三度聞いている。
「大丈夫よ。本当に。全部、アレンが守ってくれたから」
「……そうか」
「もう少し……自分の心配をしてよ」
「そうだな」
やはり短く応えるアレン。
子供のころからずっと、変わらない。
あの頃も今のように、口数は少なかった。
しかしティファナが助けを必要としている時、アレンは必ず来てくれた。
今日も、アレンは来てくれた。
あの頃と違うのは、アレンの身体がずいぶん大きくなったことか。
身長が高くなっただけではない。筋肉が付いた分厚い身体。顔にはどこにも幼さが残っていない。
それに比べて自分はどうだ。ティファナは自らの細腕を眺めた。
変わりはしたが、成長して変わったわけではない。
美人になったが、すべて偽物の身体なのだ。
ティファナは、陶器のようになめらかな自分の肌に触れてみた。
ちゃんと自分の肌に触っている感触はある。しかしやはり、自分の身体とは思えなかった。
「私、失敗ばっかりね……」
うつむき、うめく。
いつの間にか溢れでていた涙が、いくつもこぼれ落ちた。
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