第18話 似たもの同士
彼女が名乗った名前には心当たりがある。というか先ほどお嬢の口から耳にしたばかりの名前だ。
「おじょ、じゃなかった。小早川さんからお名前は聞いてます」
「……左様でございますか」
「なんでも昔気質の真面目な方だとか」
「私としてはそんなつもりはないのですが……。お恥ずかしい限りです」
「それで、俺になんの用です?」
人通りの少ない道へと足を踏み入れた途端のこれだ。彼女の行動は忠告か、はたまた――
「そんなに構えないでください、
お嬢と出会ってまだ3時間も経っていない。それなのにこちらの名前をしっかり調べ上げられているあたり、さすが小早川家の優秀な人材といったところだろうか。
「あの……家に連れ込んだのはさすがに不味かったですかね」
「……なにか不味いことをしたのですか?」
誠心誠意否定しないと、このままだと小早川グループに俺という存在を抹消されかねない。生命の危機を感じた俺は勢いよく彼女の元へと駆け寄り両膝を付くと、そのまま地面にこすり付けんばかりの勢いで頭を下げた。
「い、いえっ、誓ってそのようなことは一切行っておりませんっ! いや、ちょっとだけ不埒な目で見たのは事実ですけど、そのっ、それはいわゆる不可抗力というやつでしてっ! そのような目的があったわけじゃなく、その親切心といいますか、俺なりの優しさといいますかっ!」
「ふっ……ふふっ」
絞り出すような笑い声とともに、先ほどまで張り詰めていた緊張感が一気に弛緩するのが分かった。口元に浮かべられた笑みと僅かに下がった肩口が、俺の強張った体を少しだけリラックスさせてくれた。
「似ていますね、あの子に」
「……似てるって、誰にです?」
敵意がないのが分かったおかげか、俺もなんとなく彼女と言葉を交わしたくなった。影山さんが腰を掛ける車止めまで近づくと、彼女の隣になんとなく腰を下ろした。
もたれるようにして背もたれにした鉄製のパイプがひんやりと冷たい。今日一日色々とあってずっと緊張しっぱなしだった体に、その冷たさがよく沁みた。
「
「小田切って……確かお嬢の。もしかして俺の部屋での会話も丸っと聞かれてたりします?」
「まさか。そこまではさすがの小早川でも無理ですよ」
そう聞いて安心した。家での俺とお嬢の会話まで筒抜けだったら恥ずかしくて顔で目玉焼きでも作れてしまいそうだ。
「……それにしても、俺とその例の小田切って男が似てるなんてありえませんよ。俺なんかじゃあのお嬢に好かれるような男になんて足元にも及ばないでしょうに」
「そうでしょうか?」
「……どういうことです?」
自虐を多分に含んではいたが、紛れもなくそれは事実のつもりだった。生まれもよくて、品もあって、可憐でその実割と強か。小田切ってやつのことは全く知らないが、そんな女の子に好かれるような男に俺なんかが似ているはずもない。
影山さんは社交辞令のつもりなんだろうが、俺としては改めて自分のスペックを自覚させられて凹んでしまいそうだ。
「顔、ですよ」
「……顔?」
「見てらっしゃらなかったのですか? お嬢が車に乗り込む際の顔ですよ」
「……俺の近くには誰もいなかったはずなんですが」
お嬢がドアを開けたとき、後部座席には他に人の姿はなかった。ついでのごとく運転席や助手席からはあの位置のお嬢の表情は確認できないだろうに、一体それをいつ確認したというのだろう。
「それは業務上の守秘義務という奴です」
「さいですか……」
そういう言い回しをされてしまうとそれ以上の追及は無駄なんだろう。
「それで、顔っていうのは……」
「小田切さんの前だけだったのですよ、お嬢があんなに素敵な笑顔を浮かべられるのは」
「……たまたまじゃないですか?」
「そうだと私は安心なのですが」
そう言うと影山さんはその整った横顔を少しだけ崩した。
「万が一にもあり得ませんって。俺がそんな男に見えます?」
「思春期の女の子には何が起きるかわかりませんから」
ほの暗い声色とは裏腹に、だけどそう告げる影山さんの顔はどこか楽しげだった。
「まぁ、久しぶりにお嬢の心からの笑顔も見られましたし、私はここらでお暇させていただきます」
「……結局影山さんは何が言いたかったんです?」
お嬢の付き人として彼女が心配だったということは分かる。だけどそれならわざわざ俺に接触してくる理由もない。
仮にもし今後俺が彼女に悪影響を及ぼすような存在だと認識したのなら、それならばこんな中身のない会話なんてせずに小早川の名前で関わるのを止めることだって出来たはずだ。
「……そうですね、強いて言うなら――」
甘さの中に爽やかさが混じった、暖かな春風のような香りが鼻腔をくすぐった。気づけば影山さんの顔が真横にあり、彼女の柔らかい吐息が俺の右耳を撫でていく。
「うちのお嬢をよろしくお願いいたします」
「なっ……っ!?」
咄嗟のことに驚いて身を捩ると、いつの間にか彼女の背中は街灯のない真っ暗な路地裏へと吸い込まれていた。
まるで妖怪にでも化かされたかのような気分だ。だけど俺の周りに僅かに残った香水の香りが、先の出来事がすべて現実だったことを告げている。
「はぁあぁあああ……っ」
思わず漏れ出た深いため息の後、俺はたまらず夜空を見上げた。
「…………帰るか」
思い返せば内容の濃い一日だった。今日ばかりは夜更かし気味の俺も今すぐにベッドにもぐりこみたい気分である。
「おう、お帰り」
家に帰ると相も変わらずだらしない格好の
「……そうだ、ロク」
空き缶を片付けるためにキッチンに向かっていると、不意に背中越しに名前を呼ばれた。
「……なに?」
「今日もまた瑞姫ちゃんを家に連れ込んだ?」
真希姉は妙なところで勘がいい。その指摘は外れだが、ニアピンなことには違いなかった。
「いや、そんなことないけど」
「……おかしいなぁ。流しに使い終わったマグカップが二つ置いてあったんだけど」
違う、これはあれだ。カマをかけられたんだ。勘なんてものじゃない。真希姉は家に誰かが来たことを前提で俺にそんな質問をしたのだ。
問題はそれがヒメかどうかを確認するため。しかしなぜそんなことを。
「……なるほどね。ロク、面白いことを一つ教えてあげよう」
「な、なんだろう」
別に後ろめたいことをしたつもりはない。だけどどうしてだろう。背中を伝う汗が妙にその冷たさを主張してくる。
「……瑞姫ちゃんってさ、コーヒーにお砂糖たっぷり入れる子なんだよね。ロク……今日、あんた誰連れ込んだの」
「面白いことってそれだけか? あいつ、たまたま今日砂糖の気分じゃなかったんだろ」
いやいやいやいや待て待て待て待てっ、知らないぞそんなこと。そうだったのか……毎度好きに飲めるようにと砂糖とミルクを持ってってただけだから気にしたことなんてなかった。
そうか……そういえばお嬢はミルクだけってお願いしてきたな。って……本当にそれだけでカマをかけたのか? 我が姉ながら発想が突拍子もなさすぎないか。
「へぇ……じゃあなんで瑞姫ちゃんじゃないって誤魔化そうとしたの?」
「ほらっそのっ……そういう関係じゃないのに二人で会うのも変じゃないかって思ってさ」
疑ってるのかいないのか、真希姉は「じゃあそれでいいや」とだけ言うと四本目の缶ビールの蓋を勢いよく開けた。
「じゃ、俺は部屋に戻るから」
そんな真希姉から逃げるように部屋に戻る。
勢いよくベッドに倒れこむと、今日一日の疲労感が一気に襲ってきた。身体的には何ともない一日だったが、メンタルで言えばボロボロだ。
「ちょ、ロクっ、シャワーぐらいせめて浴びなさいよっ!」
ああ、そういえば今日のことヒメになんて伝えよう。
僅かに残る太陽の香りに包まれながらそんなことを考えていると心地よい睡魔が俺を夢へと誘ってくる。リビングの方から真希姉の声が聞こえるが、それもいつの間にかまどろみの向こうに消えていく。
こうして俺のSMS同好会作戦参謀としての初日の活動は、柔らかなベッドの誘惑に敗北するという何とも締まらない結末で終わりを告げるのだった。
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