第17話 SMS同好会作戦参謀

「……なんですそれ?」


 これでもかというぐらいにカッコつけた俺の宣言に、しかしお嬢はあまりにも気の抜けるような疑問の声をあげた。


 まぁ、当然のリアクションであるとは思う。


 作戦参謀なんてワード、このご時世どこぞのお堅い軍隊か痛い子どものごっこ遊びぐらいにしか出てこない。そりゃ素っ頓狂な声だって漏れるというものだ。


「あんま細かく説明するとごちゃつくから止めるけど、ちょっとしたお手伝い集団ぐらいに思っといてもらえると嬉しいかな」


 世界中の負けヒロインを幸せにする同好会。通称SMS同好会。こんなもん一体何から説明したらいいんだって話である。


 そこそこにご立派な矜持はあるけれど、サブカルチャーにあまり縁のなさそうな目の前のご令嬢相手にいちいち説明していると一晩じゃ足りないかもしれない。


 それにきっとヒメの大切な話もしなきゃならないだろう。


 あれは本人の了承なしにおいそれと他人に話していい話じゃない。それは例え似たような境遇を持つお嬢にだって例外じゃないはずだ。


「急に協力を申し出ておいて自分たちの目的も明かさないってのはお嬢からしたら随分怪しい集団だと思う。でも、一つだけ誓って言えることがある」

「……なんでございましょう」

「それは、俺たちは絶対にお嬢を自ら傷つけるような真似はしないということだ」


 聡明な彼女ならこの言い回しできっと気づいてくれるだろう。


 この言葉には『お嬢自身の行動の結果が彼女を傷つけてしまうことがある』という意味も含まれている。だれもそんなこと望んじゃいなくたって、目の前に現れた現実が彼女を傷つけにかかるかもしれない。


 それはもうどうしようもない世界の真実なのだ。


「……わたくしはやっぱり納得がしたい」


 ぽつり、そう答えたお嬢の目には確かな意思が宿っていた。


「自分ではどうしようもないことだとすっかり諦めてしまっていました。でも、もしそんなわたくしを手伝ってくださる方がいらっしゃるというのなら……。わたくしは、ちゃんと自分自身と向き合ってみたい」


 いつだったか俺はこんなことを思った。


 『負けヒロイン』というのは、一つの強さの形なんだと。


 ヒメが滝川のいない新しい生き方を模索しているように、お嬢も自分の恋心の納得できる終着点を探し求めている。


 そう決意するのに、一体どれだけの涙を流したのだろう。


 そう思うだけで胸が張り裂けそうだった。


「……どうかされました?」

「あぁいや、お嬢は強いなって思って」

「わたくしが……強い?」

「こっちの話だよ」


 なんのこっちゃという表情を浮かべているが、その表情ですら俺には眩しく思えてしまう。俺にこの先、そんな覚悟と決意を持てる日が来ることはあるのだろうか。


「屋凪さん」


 不意に名前を呼ばれて顔をあげると、やたらと真剣な表情のお嬢と視線が交差した。最初に出会った時も思ったが、相変わらず綺麗な目をしているな、とふとそんなことを考えてしまった。


「……もしよろしければ、お手伝いしていただけますか?」


 俺にこの先彼女たちみたいな確かな強さを背負った人生が歩めるとは到底思えない。じゃあ俺にできることって一体なんだろう。


「あぁ、当たり前だ。男に二言はないよ」


 そんなこと分かり切ったことだ。そんな彼女たちの強さを、少しでも支えてあげる事だ。


「さて、そろそろお暇させていただきたく思います。乾燥機にかけていただいた服も乾いているでしょうし」


 いつの間にか随分と時間が経ってしまっていたようで、お嬢の視線につられるように見た壁掛け時計は午後7時と半分ほどを刻んでしまっていた。


「……そうだな、送るよ」

「まぁ、助かりますわっ!」


 それからお嬢が着替えてくるのを若干悶々としながら待ち、俺は彼女の鞄を片手に二人で家を後にした。


「どこまで送ればいい?」

「うーん」


 俺の問いかけに不意にお嬢は視線をどこかへと逸らす。一体何を見ているのだろうと同じようにあたりを見回すも、そこにはただ見慣れた光景が広がっているだけだった。


「……どこか分かりやすい大通りまで、お願いできますか?」

「一人で大丈夫か?」

「家の者の誰かがきっと拾いに来てくれますゆえ」


 あぁなるほど、今の視線の動きはそういう訳か。きっとどこかで見てるんだろうなぁ、小早川家のSPさん。


 それから他愛のない日常会話をいくつか交わしながら歩いていくと、すぐに大きな幹線道路へとぶつかった。片田舎の地方都市とはいえ夕方から夜にかけてのこの時間は車通りが多い。


 道路脇の歩道に沿いながら多種多様な車両が行きかうのをぼんやりと眺めていると、不意に先ほどまで隣で流暢に言葉を発していたお嬢がぴたりとその口を閉じた。


「お嬢?」

「…………申し訳ございません。小田切君と歩いていた時のことを思い出してしまったもので」


 言葉に発したものと同じかそれ以上のものをその綺麗な顔に浮かべながら、ペコリとこちらに頭を下げる。


「そんなこと謝られるような間柄じゃないだろ」

「それでも…………ふぃっ!?」


 あまりにも暗い表情を浮かべるもんだから、ちょっとだけ腹が立った俺は思い切り柔らかそうな頬を両方の手のひらで挟みこんだ。


「ななななにするんですか!?」

「……元気出せよ」

「ふぇっ!?」

「今からそんな顔してどうするんだよ。納得の理由を探すんだろ。そりゃぁ、簡単に好きだった奴の記憶は消せないけど、だからってそんな悲しそうな顔をすんな。人を好きになるって、きっといいことだと思うからさ」


 数秒ほどじっとこちらを見つめたお嬢は、やがて一つだけ小さく首を縦に振った。


「そうですよね、うん、頑張ります」


 そんな時だった。


 真っ黒な一台の車がするりと道路脇に流れ込んできた。ピカピカに磨かれた車体と後方に鎮座するエンブレムから明らかに高級車だということが分かる。


「……全く、タイミングが良いのか悪いのか」


 そう呟いたお嬢は流れるように後部座席のドアノブへと手をかけた。


「ここまでで良さそうだな」

「はい」

 

 後部座席の窓ガラスはお金持ちの御用達車らしく外側からは中が確認できない謎原理が施されている。そんなドアにするりと身を滑らせたお嬢は、去り際に首だけをドアから外に出してこちらに声をかけてくる。


「あの……改めてありがとうございます」


 そう言って小さく口元に笑みを零した。ここまで面と向かって顔を見合わせてきた中で、その笑顔が一番彼女によく似あっていた。


「お、おう……。それじゃ、また」

「……はい」


 そのまま幹線道路の波の中に消えていく車を見送ると、俺は朧げにもと来た道の方へと踵を返した。


「こんばんは」


 不意に背中越しに声が聞こえたのは、自宅までの帰路もあと半分ほどといったところだった。


「だ、だれだ?」


 突然の出来事に驚いて咄嗟に声の方へと振り向くと、街灯の下、街路樹の間に設けられたアーチ形の車止めに腰を掛けるようにして一人の女性が佇んでいる。真っ黒なスーツに後ろ手にまとめられた長い黒髪が似合う若くて綺麗な女の人だった。


「……お嬢のお世話をさせていただいております、影山と申します」


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