第14話 ずぶ濡れのご令嬢
「ちょ、だ、大丈夫かっ!?」
幸い欄干から川まではそんなに高さはない。おまけに普通に立てば胸まで程の高さの水深しかないということもあって落ちても大きな怪我には繋がらなさそうだ。
おかげで盛大に水しぶきを上げた少女はそのまま何とも言えないしかめっつらを浮かべながらヌルヌルと川岸へと向かってきた。すぐさまそちらに向かった俺は、川岸から手を伸ばして彼女を引き上げると、そのまま近くの草原の上へと彼女を案内する。
「いやはや、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
背中まで伸びた綺麗な黒髪の下から覗く照れくさそうな表情がなんとも魅力的な女の子だった。
品がある、というのだろうか。川に落ちてずぶ濡れだというのに一挙手一投足に育ちの良さを感じられた。
「えっと、あまり見つめられると困るのですが……」
俺の視線に気づいたのか、彼女は小さく身をよじると自らの両手で上半身を覆って見せた。
「わ、悪いっ、気の利かない男で!」
通学鞄からハンカチを取り出すと、すぐさまそれを押し付けるように彼女に渡す。大きめのタオルを持ち合わせていなかったことが悔やまれるが、そんなことも気にせず彼女はありがたく受け取ってくれた。
「うーん、お約束的にはすぐにわたくしを助けようと抱き着いて、そのまま一緒に川に落ちるのがベタだと思われるのですが……」
「そういうのは俺の役目じゃないんでね」
というよりあの距離から一瞬で助けに迎えるほどの身体能力がそもそも備わっていないのだが。
「というかその制服とそのタイ、青ヶ峰の二年生だろ」
「……ええ、そうですが」
彼女が身に着けていた制服は、ヒメと全く同じものだった。つまり俺と同じ学校の同じ学年。しかしまさか同級生にこんなに美人がいたとは、いやはや俺の世界はなんと狭いものだったのだろうか。
しかし俺の反応とは裏腹に、彼女のリアクションは全く別のものだった。
「わたくしのこと、ご存じないのです?」
「え、あ、……えっ?」
キョトンとした表情の彼女と視線が合う。しかしどれだけ俺のありふれた顔を見られようと、分からないものは分らない。
「……悪い、あんま同じ学校のやつに詳しくないんだ」
「あぁいえっ、わたくしもお恥ずかしい限りですが勝手に自分が有名人であると思い込んでいたものですから」
自分でそういうぐらいなんだから本当に俺が学校の事情に疎いだけなんだろう。そう思うと急に去年一年の自分の行いが情けなくなってくるな。
「では改めまして、こほんっ。わたくし、青ヶ峰高校2年B組の
「小早川……。ん、ってことは、お、お嬢っ!?」
俺ですら噂程度に耳にしたことがある。同じ学年にかの小早川グループの一人娘が在学している。
小早川グループとは造船や鉄鋼で財を成した日本でも有数の企業グループだ。そんじょそこらの男子高校生でも一度はどこかで聞いたことがあるような名前。
そんな大会社の娘が同じ学校にいるというのは有名な話だった。
「な、名前は聞いたことあったけど顔は知らなかった」
「ふふっ、こんな顔をしております」
超がつくほどの金持ちの娘。しかもそんな子がまさかこんなに容姿端麗だったとは。天は二物を与えずなんて言うが、彼女はいったいどれだけのものを得てきたんだろうか。
そう考えると軽いめまいすら覚えてしまいそうだ。
「そ、そうだ、鞄っ!」
不意に先ほどまで穏やかな雰囲気を見せていた小早川さんが態度を変えた。何かを探すように慌てて周囲を見回すと、焦ったような表情を浮かべる。
「ついでに回収しといたよ」
そんな彼女を安心させるように、俺は橋の上に置きっぱなしになっていた学生鞄を手渡した。
「え、あ、わたくしの……」
「あのまま放置しておくのもあれだったからな」
「えっと…………良かった、写真も無事だ」
あまり女性の鞄の中を覗き込むのはあれだったが、その時に不意に鞄の中から小さな手帳のようなものが見て取れた。
中身までは見えないように気を使ったが、それを見た小早川さんがどこか複雑そうな表情を浮かべたのがどうしてだか妙に印象的だった。
なぜその顔に俺は気を取られてしまったのだろう。そんなことをふと考えたその時だった。
「くしゅんっ」
小早川さんの整った横顔から、可愛らしいくしゃみが一つこぼれた。
「あ、そ、そうだよなっ、気が利かなくて悪い。その、家に連絡とかした方がいいよな、携帯とか無事か!?」
春先とはいえ彼女は未だずぶ濡れのままだ。小さなハンカチ程度じゃ抵抗虚しく濡れた衣服なんて乾かせないし、このまま放っておくわけにはいかない。
「あー、実はそれなんですけど……家の者には今日黙って出てきてしまって」
露骨に視線を逸らしながらポリポリと頬を掻いて見せる小早川さん。今までのやりとりで勝手にお淑やかなお嬢様というイメージを抱いていたけれど、その実意外と行動派らしい。
「じゃ、じゃああんまり連絡しづらいのか」
「……多分どこかで見ているとは思うのですが」
なんだそれ、陰からお嬢様を守るSPかなんかが居たりするのか。
「あー、だからなんというか、自分から言い出すのはちょっと気まずいと」
「察しが良くて助かります。だからえっと……」
「あぁ、ごめん、まだ名乗ってなかったな。C組の屋凪。
まぁ、名乗ったところでこんなお嬢様に名前を覚えてもらえるとは到底思えないのだが。
「えっと、屋凪さんですね。それでお願いなのですが……お恥ずかしい話なのですが、お手を貸してはいただけないでしょうか?」
「協力することはやぶさかじゃないけど、俺にしてやれることなんて……」
近くにシャワーを浴びられて服も乾かせそうな公共施設なんてないし、唯一頼れそうな真希姉は朝からコスプレイベントでどこかに姿を消している。
数瞬の逡巡ののち、結局俺が行きついた答えは――
「俺の住んでるとこ、この近くなんだけど寄っていく?」
数週間ほど前に別の女の子にかけた言葉とほぼ同じような言葉が口をついた。
「よ、よろしいので?」
なぜ俺は彼女にそんな言葉をかけたのだろう。そう思った瞬間に、不意にヒメの顔が脳裏をよぎった。
「その、君が男の家に上がり込むのが嫌じゃなければ」
「そ、それではお邪魔させていただきますわっ!」
きっとあの時と同じだ。
手帳を確認したときの彼女の顔が、いつかのヒメの表情と重なった。
「気の利いた言葉ってなかなかうまく出てこないもんだな」
「何かおっしゃいました?」
「あぁいや、ただの独り言だよ」
そんなこんなで俺は美少女お嬢様を伴って帰路を急ぐことになったわけなのだが、これがSMS同好会初めての活動になるとはこの時の俺はまだ知らなかったのである。
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