第5話 負けヒロイン、負けヒロインに出会う
「えっ……二人ってそういう関係じゃないのっ!?」
夕食も終わってしばらくしたころ、何やらリビングで佐倉さんと会話に花が咲いていた真希姉が突然素っ頓狂な声をあげた。
キッチンで夕食後の皿洗いをしていた俺はその声に驚いて手元の皿を落としそうになってしまうが、シンクの角にぶつかりそうになる直前に寸でのところでそれのキャッチに成功する。
「いや、まぁ、はい……」
夕食中、真希姉は随分と積極的に佐倉さんへと話しかけていた。どうやら佐倉さんの何かが真希姉の琴線に触れたらしく、かなり彼女のことを気に入っているように見えた。
けどあれか、さっきの発言を踏まえるに完全に佐倉さんを俺の彼女だと勘違いして、俺をからかう材料でも探していたんだな。
「たぁー、あの陰キャ気質のロクにもようやく春が来たのかと喜んだのになぁー!」
悪かったな陰キャ気質で。というか俺のオタク趣味は完全に姉の影響だ。陰キャ気質の原因の一部はアンタにもあることに気づいているんだろうか。
「で、それじゃあなんでロクはこんな可愛い子を家に連れ込んでるのよ」
まぁ、その疑問はごもっともだよな。
どう話していいものかと思い佐倉さんへとアイコンタクトを飛ばすと、彼女は小さく肩をすくめて真希姉へと事の顛末を話し始めた。
「いやぁ、実は屋凪君にたまたま私が失恋したところを見られてしまいまして……」
それから佐倉さんは自分には滝川というよく出来た幼馴染がいること、そしてこの一年で出会った超絶美少女の親友がいること、そしてそんな二人の関係をずっともやもやとした気持ちで見続けていたことなど、俺との公園での会話では明かされなかった情報まで事細かに真希姉へと語って聞かせた。
途中柊木さんへの若干の毒も見受けられたけど、これは佐倉さんと柊木さんの名誉のために俺の心の中にだけ留めておくことにしよう。
そしてそんな話を、缶ビール片手に一喜一憂して聞いている真希姉。まぁそりゃ確かに酒の肴には最高の話だろうな。洗い物の傍らで聞いている俺だってそれなりにソワソワするような話だったし。
「とまぁ、このようにして失恋を果たしてしまった私こと佐倉瑞姫は、雨の降る公園で捨てられた子犬のように震えているところをそこの屋凪君に拾われたわけです」
あれ、俺の知ってる事実とちょっと違うぞ。俺は佐倉さんに見つかって鬼のような形相の彼女にブランコまで引っ張られていったのだけれど。
そう思って佐倉さんを見るも、ちらりとこちらを一瞥して見せたその視線が、余計なことを言うなよとこちらへ語り掛けてきた。その表情はあの時俺をブランコへと引きずっていった時の表情に非常によく似ていた。
「うわぁ……なんというかあれだね、完全に負けヒロインだね、瑞姫ちゃん」
缶に残ったビールの中身を胃の中に勢いよく流し込むと、真希姉はしみじみとそう呟いた。
「……負けヒロイン、ですか?」
あぁ、そういえば佐倉さんにこれ以上ないほど似合う言葉があったじゃないか。
『負けヒロイン』
ラブコメ系のマンガや書籍のような基本的に結末が一つしか描かれないタイプの作品において、主人公への恋心が成就しないまま失恋してしまう女性ヒロインに用いられる言葉だ。
例えばマルチエンディングの存在するゲームのようなものにおいてはあまり見かけられない言葉だが、ストーリーが一本道のようなものだとまた別だ。
一般的な用語とはあまり言えないが、ことオタク界隈においては比較的メジャーな言葉ともいえよう。
「互いに近すぎるがゆえに恋心に素直になれない幼馴染、なんてまさにその典型だね」
普段はただの自由奔放な大学生である我が姉だが、実はもう一つの顔は界隈ではそこそこに名の知れたコスプレイヤーでもある。
つまり当然のごとくそういったサブカルチャー的なワードには造詣が深く、彼女の口からそんな言葉が出てくるのは別段驚くことではない。
しかしまぁ、この状況に置いていえばなんとまぁ適切な言葉を捻りだしたものだと感心するばかりである。まぁ、当の本人においてはそれが喜ばしいことかと言えば否なのだけれど……。
「負けヒロイン……ふむぅ……」
が、俺の想像とは裏腹になぜか佐倉さんはその言葉を妙に満足げに噛み締めている。
「漫画やアニメなんかで主人公と結ばれなかったヒロインたちがよくそんな風に呼ばれるのよ」
「うわぁ、まさに私じゃん」
そしてそんな佐倉さんを姉はしてやったりの表情で見つめていた。いや、あの人ただこの状況を楽しんでるだけだろ。
「そういやロク、もう遅いからそろそろ瑞姫ちゃんを送ってやりな」
「え、もうそんな時間か?」
部屋の壁に掛けられた時計は午後八時を少し回ったところを指していた。確かに、色々ありすぎてすっかり時が過ぎるのを忘れてしまっていたけれど、女の子が一人で出歩くには少々よろしくない時間になってしまった。
「わかった」
携帯と財布をポケットに突っ込むとそのまま俺は佐倉さんへと帰り支度を促した。
「そうだ屋凪君、一つお願いがあるんだけど……」
家を出る直前、不意に佐倉さんがそう俺に尋ねてきた。
「ん、どうかした?」
「あぁいや、さっき貸してもらった漫画、全部借りれないかなって……」
おいおい、この子は自ら地獄に足を踏み入れようってのか。俺としては好きな作品に触れてもらえるのはオタクの端くれとして嬉しくはあるのだが、いかんせん幼馴染が負けるラブコメってどうなんだ。
「まぁ、いいけど……オチはなんとなくわかってるよな?」
「うん、その上で、私は向き合ってみたいんだ」
向き合う。そう言った彼女の意図はわからない。だけどなぜかそれがとても重要なことのように思えて、俺は姉がコスプレ活動の一環でもらってきたお菓子の空き袋に漫画本を丁寧に詰め込んだ。
「……それじゃ真希姉、佐倉さんを送ってくよ」
「お邪魔しました真希さん」
「あいよ、また瑞姫ちゃんに会えると嬉しいね」
それは難しい相談だ。俺がこんな陽キャの美少女と絡む機会なんて金輪際あり得ないだろう。
「そんじゃ二人とも気をつけてな」
姉の見送りの言葉を背に受けながら二人で自宅を後にする。さっきまでさんざん降っていた雨はいつの間にか上がっていた。
「その……ありがとね、色々と」
佐倉さんの家の近くであるというコンビニまで歩いていく道すがら、彼女は不意にそんな言葉を俺へと零した。
「……大した事出来なくてむしろ申し訳ない」
本当はもっと彼女の失恋の傷をうまくぬぐってやれたんじゃないだろうか。俺の心をぐるぐると渦巻いているのはそんな思い上がりにも似た罪悪感だ。
「それでもその、嬉しかった」
「……そりゃどうも」
それから二人で他愛のない話をしながらコンビニまでの道を歩く。主に話題は滝川のすごいところだったのは俺も俺なりに彼のことを尊敬しているがゆえのことだったのかもしれない。
「……そだ、漫画っていつ返せばいい?」
無事にコンビニまでたどり着き、俺がずっと右手に持ち続けていた紙袋を彼女に手渡した時だった。
「そういえば考えてなかったな」
「あはは……なにそれ」
いや、布教活動ができる嬉しさからそんなこと微塵も考えていなかったのだ。
「新学期……だと、別のクラスになった時に手間かけさせちゃうな」
「んー、確かに。それじゃあこうしようっ!」
そういって佐倉さんはポケットからスマホを取り出す。
「連絡先、交換しようよ」
「え、あ、俺と!?」
「それ以外誰がいるの」
「あ、はい……」
こうして数少ない俺の連絡先に佐倉さんの名前が加わった。
「それじゃあまた、新学期に」
「うん、また新学期に」
一見すれば陰キャの春休みにふと沸いたご褒美のようなひと時である。だがこの偶然の出会いが俺の新学期を大いに変えていくなんて、この時の俺は微塵も思っていなかったのであった。
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