第3話 たとえ間違ったって

 一体何がどこでずれてしまってどうしてこうなってしまったんだろう。


 洗面台横に山積みになっているバスタオルから洗濯済みのものを手に取ると、俺は呆然としながら玄関で待つ佐倉さくらさんのもとへと向かった。


「と、とりあえずこれ使って」

「ありがとう……」


 公園でのとんちき発言から数分後。俺が口にしてしまった通りに佐倉さんはトボトボと後ろをついてきた。


 その間にお互いの間に会話は一切無し。いや、そもそもなぜ彼女が俺の提案を了承したのか分からないし、だからと言ってそれを遠巻きに尋ねられるような気の利いた会話をできる訳もない。


 こういう時、本当にいつの間にか魂に刻み込まれてしまった自分の陰キャ根性が恨めしい。


「上がってってよ。濡れたままなのは気持ち悪いだろうし、シャワーとかも喜んで貸すからさ」

「何でもかんでもお世話になっちゃって本当にゴメン」

「まぁ、知らない仲じゃないし……」


 それからすぐに佐倉さんを浴室へと案内すると、姉のタンスから適当に着替えを見繕って脱衣所へと渡しに行く。


「佐倉さん」

「あれ、屋凪君もなかなかにダイタンだね。覗きに来た?」


 俺の声が届いたのか、扉の向こうで先ほどまで勢いよく流れていた水音が途端に小さくなっていく。


「……着替え持ってきただけだよ」

「ホントにっ!? 助かるっ」


 浴室と脱衣所を隔てる扉は、いかに向こう側が透けないとはいえその先で動いている色ぐらいは判別できる。


 当然佐倉さんはその向こう側でシャワーを浴びているわけで、扉一枚を隔てて動く肌色をできるだけ視界に入れないようにと気を使いながらすぐさまその場を後にする。


「いやぁさっぱりしました」


 それから佐倉さんがリビングへと出てきたのは更に15分ほど経った後だった。


「あ、うん……」


 何か温まれるものでも、と思いこの冬大変にお世話になったインスタントのココアを入れると、佐倉さんはそれを何か言いたげな視線をこちらへと飛ばしつつ受け取った。


「どうかした?」

「あぁいや、随分と気が利くなぁと思って」


 自分なりに気を遣ったつもりではあったけれど、どうにか俺の精一杯は彼女に好意的に受け取ってもらえたらしい。

 

「ま、まぁね……。女の子家に連れてくるのなんて初めてだし、それなりには……」

「ふぅーん、初めてなんだ……」


 近くのソファへと腰を下ろした佐倉さんは、なぜか俺の言葉に満足そうな表情を浮かべながらマグカップへと口を付けた。


「屋凪君も浴びてきなよ、シャワー。待ってくれてたんでしょ?」

「そうだね、お言葉に甘えて」


 我が家は2LDKのよくある都市型マンションだ。そのためリビングから扉を挟んですぐ俺の自室が存在する。


 佐倉さんの言葉に甘えてそこから着替えを取り出すと、俺もすぐさま冷えた体をシャワーで流すことにした。


「あ、そだ」


 浴室へと向かう傍ら、不意に佐倉さんが声をかけてきた。


「屋凪君の部屋、お邪魔していい?」


 なぜに、と口に出かかったところで、確かにリビングで待たせるだけなのも悪いと思いそれを了承する。


「何も面白いものはないと思うけど……」

「漫画くらいなら置いてるでしょ?」

「それはまぁ……」

「なら十分じゃない?」


 それから軽くシャワーを浴びてリビングへと戻る。途中、余計な煩悩が脳内を支配しそうになるのを冷水で何とか収めたせいで、あまり温まった気がしないのはここだけの話だ。


「お帰り。いくらか漫画借りてるね」


 リビングに戻ると、俺の部屋から持ってきたのだろうありったけの漫画がテーブルの上に積み重ねられていた。


「ベルリンの壁かよ」

「崩れないようにちゃんと積んでるから大丈夫だって」


 そう言いながらも壁の上の漫画が既に2、3冊ほどぐらついているのはどう誤魔化す気なのだろう。


「ってか想像の3倍ぐらい寛いでるじゃん」

「あはは……甘えられるときには甘えとかないとね」

「だからってわざわざここじゃなくてもいいだろ。ほら、滝川たきがわんちとか」


 と口にしてしまったところで、やってしまったと後悔する。


 恐る恐る佐倉さんを見ると、彼女は冗談きついぜーと俺の言葉を笑い飛ばす。しかしその表情とは裏腹に、やっぱりその瞳の奥は悲しみに包まれていて、それが俺の罪悪感を抉っていった。


「はぁ……それにしても幼馴染かぁ」


 読んでいたページに器用に指を挟みこむと、佐倉さんの視線は未だ雨が降り止まない窓の外へと移っていった。佐倉さんが今持ってるのって、確か主人公が幼馴染と結ばれるタイプのラブコメだったはず。


 運がないのかそれとも勘が悪いのか。なぜこのタイミングでその本をチョイスしてしまったのか甚だ疑問だ。


「私さ、実際奏太にずっと甘えてきたんだよね……」

「その……さっきの言葉は悪かった」


 フラれた、と言う訳では決してないけれど、状況だけを見るならば滝川の心はもう既に柊木ひいらぎさんにあるのだろう。それを佐倉さんもわかってる。なんなら彼女はそんな滝川の背中を押した張本人だ。


「屋凪君は気にしなくていいよ。幼馴染って立場に甘えて、ずっと自分の気持ちと向き合ってこなかった。悪いのはぜーんぶ私だ」


 失恋直後の相手に思うことではないけれど、まぁ正直12年も一緒にいて想いを伝えられなかった佐倉さんにも悪いところはあると思う。でもそれを差し引いてもなんというか――


「人生ってのは本当に思い通りにいかないことばかりだなぁ」


 俺の言葉なんかの数百倍も、佐倉さんの言うその言葉は重たかった。


「バカだなぁ……。もっと早くに自分の気持ちに向き合えてればもっと違う結末もあったかもしれないのに。ねぇ、屋凪君。私、間違ったことしちゃったかなぁ……?」


 本当に俺は不甲斐ない。目の前で傷ついている女の子を何とかしてやりたくてもその権利も気概も、何一つ持ち合わせてやいないのだ。


 こんなときぐらい気の利いた言葉の一つでもかけられたらいいんだろうけど、自分の不器用さを自覚している身としてはただ思いついたことを口にするしかない。


「……間違ってるか間違ってないかっていったら間違ってると思う」

「たはは……なかなか手厳しいね」

「でも……それはまぎれもなく佐倉さんの優しさだよ。滝川と柊木さんを思う気持ちが、佐倉さんに滝川の背中を押させたんだと思う」


 いつの間にか佐倉さんの視線が俺の方へと向いていた。


「佐倉さんが後悔してるってんなら、やっぱりそれは間違いだった。でも俺は、そんな間違いを選ぶことのできる佐倉さんの誰かを想える優しさが素敵だと思う」


 交差した視線の先で、佐倉さんはどこか驚いた表情を浮かべていた。


「…………やるじゃん」


 それがどういう言葉の意味なのかは分からなかった。そう口にした本人は俺からそっぽを向くように顔を背けてしまったからだ。だけどまぁ悪い意味ではないのだろうとみて、俺は小さくありがとうとだけ返した。


「……ねぇ、屋凪君」

「ん?」

「もうちょっとだけ、ここにいていい?」

「それは……」

「奏太んち、こっからの帰り道にあるんだよねぇ」

「じゃあさ…………晩御飯食べていく?」


 そんなこと言われてしまったら、今すぐに帰れなんて言えやしない。


「なに作るのっ!?」


 さっきのアンニュイな雰囲気はどこへ行ったのやら。俺の言葉に目を輝かせる佐倉さんはさっきとはまるで別人のようだった。


「寒いからポトフでも作ろかと思って」

「いいね、君は天才だ」


 悪だくみを聞いた時の下っ端ギャングのような表情を浮かべながら小さく舌を出して見せる佐倉さん。料理一つでその顔に光が戻るのなら安いもんだ。


 女の子の表情に笑顔を取り戻せた。


 そんな貴重な成功体験に思わず口が緩んでしまう。しかしそれが彼女にバレてしまわないように、そそくさとキッチンへと姿を消したのはここだけの話である。

 

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