第55話 地味男子、母親を知る

「おかえりなさいー、みそら君ー」


 ボクの妹だと誤解されかねないほど若作りの母さん。

 そんな母親が、スク水エプロン姿で玄関でお出迎え。


 メンタルがごりごりと削られていって、絶対解毒できない猛毒がボクの全身を蝕んでいくよう。


「母さん……なんて恰好をしているんだよ……」

「この恰好? ビックリしちゃった?」


 母さんは朗らかに微笑んでいる。

 ピンク色のもやがホワワーンとでているような気がした。


「…………舌を噛みちぎりたくなったよ」

「そ、そんなに酷かった……?」

「ひどくはないよ……違和感ないよ……?

 でもさ、ほんとさ、母親がスク水エプロン姿で出迎えてきた息子の気持ちを考えて……?」


 神はボクになにを望んでいるのか。

 つつましく生きることを許してくれないのか。


 人生でも上位だと思える過酷なイベントに、ボクは俗世を捨てて出家したくなった。


「まーまー。みそら君も色々言いたいでしょーけど、まずは家に入って入って」


 ボクの背中を、母さんはぐいぐいと押してきた。


 調理中だったようで、キッチンではシチューとパスタがほぼ出来上がっていた。

 どちらもボクの好物だ。

 数日ぶりに家族が顔を合わせたわけだし、はりきったらしい。


 そんな母親な部分に安心しつつ、食卓テーブルに座る。

 それから母さんは対面に座った。


「みそら君、晩ご飯の前におかーさんとお話ししよっか」

「話……?」


 母さんは真面目な表情だ。


「……母さん、研究所でなにかあったの?」

「うん……。おかーさん、倒れたときのことはよく覚えてないんだけど、次元変数が乱れて? 標準世界への次元浸食に巻きこまれたらしくて?

 おかーさんの精気吸収ドレインスキルを暴走させたみたいね……」


 そんな風に説明されていたんだ。

 まあこっちの世界でスキルを使えたとは言えないか。


 ……あれ?


精気吸収ドレインスキルを最初から持っていたみたいな言い方だね?」

「う、うん……すっごく珍しいユニークスキルなのよね?

 前からおかーさんのスキル画面にはあったんだけどね……」

「前からあったんだ⁉」

「あ、あったよー……。言わなかったのは……そ、その、ほら? 

 スキルって個人の資質が反映されるって言うじゃない……?

 それでーそのー……」


 母さんはモジモジしている。

 そういった流説はあるけど……。


 いやでもミコトちゃんも『まあまあ当たっている』と言ってたしなあ。ボクの666シリーズのこともあるし、スキルはその人の可能性が反映されるのかな。


 と、母さんが居住まいを正す。

 どうしたのかと思ったら、母さんはどこまでも澄んだ瞳で告白してきた。


「おかーさんね、実はえっちな人間なの」


 メガトン級の告白に、ボクはもうこの世から消え去りたくなった。


「………………………………いっそ殺してぇ」

「みそら君⁉ どうしたの⁉」

「どうしたのじゃないよ⁉ 

 母親から『自分はえっちな人間だ』ってカミングアウトをされた息子の気持ちになってくれよ⁉⁉⁉」

「ち、ちゃんと節度ある大人でいるつもりよ⁉」

「節度ある大人はスク水エプロン姿にならないんだよ‼」

「ふ、ふしだらに過ごしたいとか、そういうことじゃないの!

 こ、これはガス抜きであって……!」


 母さんは顔を真っ赤にしながら固まった。

 どう言えばいいのか悩んでいるみたいだ。


 ボクのメンタルはもうメタメタボロボログズグズだけど……カミングアウトになにか意図があるのなら、聞いたほうがいいのかも……。


 ボクは重い口をひらく。


「…………ガス抜きって、なにさ?」

「わ、わたしも自分のそーいった側面は知っていたけど……。

 やっぱり良い大人だし、母親だし、今まで見ないフリをしていたの」

「……うん」

「でも研究所の人が言うには、ドレインスキルの暴走は『その側面』を抑えすぎたゆえの反動かもしれないって……。

 だから適度なガス抜きはあったほうがいいって言われてね」

「それが……スク水エプロン姿?」

「うん……自分を認める、開放的な姿でいることは大事だと思ったの」


 母さんは、ボクの顔をじっと見つめてきた。


 ……もしかして、ボクが巷の魔王ボクだって気づいている?


 研究所が説明しなかったとしても、さすがに察しているのかもしれない。

 なんだかんだでボクをしっかりと見てくれる母さんだ。


「…………母さん、あのさ。アルマの様子はどうだった?」


 そんな母さんなら、アルアのことでなにか気づいたはず。


「普段と変わらないように見えたけど……」

「けど?」

「あの子はなかなか表情に出ない子だからねー。

 悩みは抱えこんでいたら……わたしにはわからないな」


 でも、みそら君はちがうんでしょ。

 母さんの瞳には、そう書いてあった。


「みそら君、言いたくても言えないことってあると思うの。

 考えすぎて自分自身をがんじがらめにしたり……他人を思うがゆえになーんにも言えなくなっていたり……人それぞれだと思うけれど」

「……」

「言えないには言えないだけの理由がある。おかーさんはそう思うな」

「母さん……」


 それをボクにわかってもらうために、スク水エプロン姿を……?

 母さんはやっぱり母さんなんだな。


 ……いや。

 本当にスク水エプロン姿になる必要はあった?

 スク水エプロン姿になる必要なくない???????

 なくない???????? 


 どこか悟りめいた表情からは、母さんが新たなステージに到達したことしかわからない。

 心中複雑でいるボクに、母さんは明るく告げた。


「さーさー、晩ご飯にしましょーか」

「…………うん。まあ、そーだね。

 母さんの料理、楽しみだな」


 晩ご飯はファミレスで食べてきたけれど、まあシチューとパスタぐらい胃にギリ入るかな。


「うんうん、楽しみにしてね。明日はチャイナ服で中華料理を作ってあげるー」

「コスプレ衣装は家だけにしてくれよ…………?」


 ガス抜きとはいえ……コスプレ中の姿は他の人には見せたくないなあ……。

 こんな母親はそうそういないだろうと悩んでいたボクのスマホに、メッセージが届く。


 アルマからだ。


『みそらさま。明日、甘城博士がお会いしたいそうです』


 ※※※


 次元断層第一研究所。

 放課後、授業を終えたボクは送迎用の車で連れてこられた。


 科学館をさらにお金をかけて設備投資したような綺麗な研究所に、正門から堂々とはいる。

 受付でゲスト用入館証をつくってもらい、そのままゲートをくぐった。


 あまりにもスムーズな入館に肩透かしを食らう。

 ゲートをくぐった先では武装した警備員がいっぱい詰めているかと思ったけど、職員が忙しそうに歩いているだけだった。


「……いや」


 要所要所にいる警備員の視線は、ボクに向けられている。

 この様子じゃあ、監視カメラでもがっつり捕捉されているかも。

 アルマに会うために寄り道したかったけど、まずは甘城博士に会いに行こう。


 鏡面のようにピカピカの通路を歩いていく。

 職員だらけのなかで学生は目立つようで、ジロジロと見られまくった。


 ……あるいは、ボクの顔が知れ渡っているのか。


「うん……?」


 通路の先で、恐竜が歩いていた。


 正確には、恐竜パジャマを着た人だ。

 恐竜パジャマを着た人は頭からすっぽりフードをかぶり、小さな尻尾をふりふりしながら歩いている。


 国お膝元の研究所にも変な人はいるんだなー……。


 ボクがそう思っていると恐竜パジャマの人は自販機前で止まる。

 それからポケットをさぐっていた。財布か職員カードでも忘れたようで、ひとしきり探したあとでがっくりと肩をさげる。


 そしてその人は、自販機にタックルをかました。


「なんで⁉」


 恐竜パジャマの人は跳ねかえり、痛そうにのたうち回っている。

 ボクは慌てて駆け寄った。


「ちょ⁉ だ、大丈夫ですか⁉」

「いたた……。ど、どうして……自動販売機は固いのかな……」


 女の人の声だ。


「当たり前でしょう……。タックルでどうするつもりだと」

「ま、万が一の原子のすり抜けを期待したけれど、やはりロマンはロマンでしかないね……。

 はあ……世界の法則はもっと迂闊に乱れてもいいのに……」


 恐竜パジャマの人は痛そうにしていたのだが、声を明るくさせる。


「あ、あー……。君、次元同位体君じゃないかー」

「へ?」

「や、やあやあ……初めまして……」


 恐竜パジャマの人は、頭のフードをぱさりと脱いだ。

 目のくまが濃くて、髪はパサパサしていてすごく不健康そうな人だが、その顔や銀髪には覚えがあった。


「もしかして、甘城博士ですか……?」

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