第38話「悪の組織の研究員」

 シロガネベーカリーの菓子パンとシロガネ飲料のカフェオレを朝食として、僕はエレベーターに乗って出勤した。朝一番にレザリアさんから知らせを受けて、緊急通路も使わざるを得なかった。


「オルディーネさん!」


 息急き切って医療部へと飛び込んだ僕を迎えたのは、ベッドに横たわるオルディーネさん。彼女を囲むレザリアさん、新見さん、そして戦闘部のみなさん。


「やあ、来たね」


 レザリアさんたちがこちらへ振り返る。戦闘部の方々はオルディーネさんに軽く一言二言話してから、ガヤガヤと部屋から出ていった。必然、ベッドの周囲には四人だけとなる。

 オルディーネさんは、目を覚ましていた。頭に包帯を巻いているけれど、顔の血色は悪くない。黒いラバースーツから薄緑色の入院着に装いを変えて、半分だけ起こしたベッドに体を預けている。


「無事で良かったです」

「恭太郎君こそ。大丈夫だったのね」


 安堵する僕を側に誘って、オルディーネさんが手を伸ばす。まるで僕の実在を確認するかのように、彼女の白い指先が触れた。


「僕はほとんど軽傷でしたから。軽い手当をしてもらって、事情聴取を受けて、今日の三時くらいには帰宅できました」

「今日の三時って、五時間前じゃない。いっそここで寝れば良かったんじゃないの?」

「流石にそれは……」


 オルディーネさんが驚いた顔をして、ぽんぽんとベッドを叩く。そうは言っても、昨日はみんな忙しそうだったのだ。

 トウミメディカルの主任研究員小川ケイゴの暴走。それによって、∀NEにもS.T.A.G.Eから調査と事情聴取が行われた。そうでなくとも、レザリアさんや新見さんは新型怪人“ブラックワーカー”の初陣後のフィードバックをする必要があったし、僕とオルディーネさんは二人揃って気を失ったまま運び込まれてきたのだから、蜂の巣を突いたような騒ぎだったという。


「ブレイズレッドさんたちが助けてくれたんです」

「そう。あいつらが……」


 倒壊するビルで目を覚ました僕は、オルディーネさんの声を聞いた。居ても立っても居られなくて飛び出して、彼女の元へと落ちていった。けれど、瓦礫が次々と落ちてくる状況で僕はあまりにも無力だった。オルディーネさんは僕の手を握ってくれたけど、その直後に頭を強く打って失神した。無能力者である僕に、彼女を救う術はなかった。

 そんな時、颯爽と現れたのがセブンレインボーズの皆さんだったのだ。瓦礫を払い、僕らを抱えて、ひとっ飛びで安全なところまで届けてくれた。


「今度は正々堂々と戦おう、と」

「正々堂々ね。どの口が言ってるんだか」


 小川ケイゴは特区内でも違法と認められる薬品を秘密裏に開発し、民間人を使って実験していた。クリムゾンファイアも被験者の一人だ。更に、僕が路地裏で見たあの光景。あの時、小川ケイゴは特区外とのやりとりをしていたらしい。特区内技術の許可のない流出は重罪だが、金にはなる。表沙汰にできない研究の資金を稼ぐには、こうするしかなかったのだろう。

 ブレイズレッド――釈堂さんたちは独自に小川ケイゴの近辺を探っていた。トウミメディカルはトウミ精工の関連企業、言ってしまえば身内の闇だ。それを取り締まろうとしてたのだが、あと一歩のところが及ばなかった。


「セブンレインボーズ、というかトウミ精工はヒーローバトルの三ヶ月の活動停止処分を受けたよ」

「ふぅん」


 レザリアさんの言葉を聞いても、オルディーネさんは驚かない。


「それよりも“ブラックワーカー”はどうなの? 正直、めちゃくちゃ使いづらかったんだけど」


 敵の現状には興味がないとばかりに、彼女は話題を変えた。新たに導入された怪人“ブラックワーカー”は、ネットワークの共鳴現象を逆手にとって超能力の規模と範囲を拡大させる画期的なシステムだ。といってもまだ開発初期の荒削りな状況で、最適化などほとんど行われていない。

 気を失っていた僕は知らないけれど、オルディーネさんはそんな新システムをあの土壇場で使ったらしい。


「か、改良アップデートし、してるよ。きょ、今日から戦闘部と、ご、合同で検証、するの」


 興奮気味に声を上げたのは新見さんだ。新たな怪人が正式採用されるとなって、彼女も俄然張り切っている。

 医療部で僕やオルディーネさんが治療を受けている間にも早速改善案を出していたらしい。夜には訓練施設で戦闘部のイスズさんがその実証実験を行って、全然上手く扱えないと悲鳴が上がっていた。やっぱり、突然能力が拡張されても上手く扱えるわけではないのだ。


「そう。期待してるわよ」

「まかせて!」


 次はもっと使いやすく、というオルディーネさんの要望に、新見さんはふんすと鼻息を荒くして頷く。


「ところで」


 目覚めてすぐに仕事の話をし始めるオルディーネさんに、桃色の頭が割って入る。ベッドに身を乗り出したレザリアさんは、メガネをきらりと光らせる。


「キミ、さっきからずっと無視してるよね?」

「うぐっ」


 痛いところを突かれたとオルディーネさんはたじろぐ。しかし無言の重圧に耐えきれず、彼女はこちらへ目を向けた。


「あの、恭太郎君」

「はい」

「その、えっと……」


 さっきまでの流暢な話ぶりはなりを潜め、しどろもどろに。オルディーネさんは細い指を絡めながら、口の中で舌を動かす。彼女が何を言いたいのか、理解できないほど朴念仁ではない。


「すみません。折手さん。――いや、ありがとうございます」

「うっ。やっぱりバレてたの」


 オルディーネさんは観念したように肩から力を抜き、ずっと着けたままだった仮面を外す。入院着なのにシュールすぎた装備品がなくなり、見慣れた女性の顔が現れる。

 ∀NEのエース、鉄血将軍オルディーネの正体は折手さんだったのだ。


「いつから?」


 仮面をくるくると弄びながら、いじけたように唇を尖らせるオルディーネさん。僕は記憶をめぐり、確信したのはいつだろうかと考える。


「疑問に思ったのは、幹部会議の場に参加させてもらった時です」


 オルディーネさんが負け、怪人に脆弱性が判明した直後の会議。あの場には首領のシエラさんを含め、レザリアさんや新見さん、そして負傷していたオルディーネさんの代理まで幹部連中が集結していた。

 けれど、その場には折手さんだけがいなかった。彼女は普段からレザリアさんや新見さんと仲が良く、おそらく役職もそう違わないはずなのに。

 思い返せば、絶対にオルディーネさんと折手さんが一緒に並んでいたことはなかった。折手さんは滑らかなストレートの銀髪で、オルディーネさんは緩くウェーブさせた銀髪という違いはあったものの、それ以外はほとんど同じだ。

 気が付いてしまえば、逆にどうしてそこが線で結べなかったのか混乱したくらいだ。

 改めて認識阻害技術の強さを思い知った。


「ごめんなさい……」


 折手さんは俯いて謝罪を口にする。その理由が分からず困惑すると、彼女は泣きそうな顔で僕を見た。


「だ、騙そうと思ってたわけじゃないの。その、正体を明かすタイミングがなかったというか……。ゆ、ゆくゆくはちゃんとお話ししようと思ってたんだけど」


 彼女は正体を隠していたことを後ろめたく思っていたらしい。


「大丈夫です。気にしてませんから」

「えっ?」

「オルディーネさんは∀NEの柱ですから。そう簡単に正体を明かすわけにはいかなかったんですよね。それなのにわざわざ僕に付き合っていただいて、感謝こそすれ恨むことなんてありませんよ」

「えっ、あー……」


 オルディーネさんが倒れた時、∀NEは天地が逆転したような騒ぎになった。それほど彼女という存在は組織にとって重要なのだ。そんな存在がそう易々と僕みたいな新人の下っ端研究員に会えるわけがない。

 だから彼女は折手さんとして、激務の合間を縫って時間を作ってくれた。

 というか、実際のところは僕の身元が怪しいから監視役でもあったんだろう。面接も試験もないまま就職してしまった僕は特異な存在だ。折手さんは僕が不審な動きをしないか見張っていたというわけだ。


「助手君……」

「キミ、すごいね」

「えっ?」


 うんうんと頷いていると、新見さんたちが可哀想なものを見るような目を向けてくる。な、なにか変なことを言っただろうか。

 折手さんも悲しいような嬉しいような、マーブル模様の顔をしている。

 その時、不意に医療部のドアが開いて大きな声が響いた。


「あーーー、しんど! やっと終わったよ。あっ、折手も起きてるじゃん」

「シエラさん! ――と、Kさん?」

「お、こいつが例の研究員か」


 現れたのは気怠げな様子のシエラさんと、黒いスーツを着込んだ少年Kさん。Kさんのことは一方的に知っているだけということもあって軽く挨拶をすると、なぜか向こうも僕のことを既に知っているようだった。


「お疲れ、ボス」

「こういう時だけ面倒ごと押し付けられるんだから。嫌な仕事だよ」

「それが組織のリーダーってものだよ」


 近くの椅子を引き寄せてどっかりと腰を下ろすシエラさん。どうやら∀NEの首領として、S.T.A.G.Eの調査や事情聴取の対応に当たっていたらしい。それがひと段落して、Kさんと一緒に折手さんの様子を見にきたのだという。


「元気そうで何より。あ、やっべ」


 折手さんが目を覚ましているのを見たシエラさんははっとして口を抑える。


「お、オルディーネだったな。アハハハ」

「その下りはさっきしたからもういいよ」


 完全に手遅れだったものを適当に取り繕うシエラさんに、レザリアさんが目を三角にしながら肩をすくめた。シエラさんも、僕が折手さんとオルディーネさんが同一人物ではないと思っていたことを承知していたのだ。

 彼女の正体を知ったことを伝えると、彼女はきょとんとしていた。


「もうバレちゃったの? つまんないなぁ」

「シエラさん!」


 怒気を露わにする折手さん。シエラさんはケラケラと笑いながら新見さんの背後に隠れた。

 なんというか、幹部四人がすごく仲のいい組織だなぁ。


「昨日はご苦労だったな、新人さん」

「え? あっ、そんなことは」


 Kさんに話しかけられて、若干慌てながら首を振る。思い返せば色々なことがあった長い1日だった。特に長かったのは、S.T.A.G.Eの人からの取り調べだったけど。根掘り葉掘り聞かれていると、自分でも何が正しいか分からなくなってくるのだ。


「結局∀NEは真っ当に悪の組織をやってることが分かったし、お前はむしろ悪事を暴いた立役者だ。そのうち、S.T.A.G.Eから感謝状でも贈ろうか」

「か、勘弁してください……」


 僕がやったことなんてほとんどない。釈堂さんに言われてカメラを構えていただけだ。しかも、僕のせいで折手さんは頭に傷まで負ってしまったのだから。

 そういうとKさんは喉を鳴らして笑った。


「自己評価は正しく認識した方がいい。お前はもう、悪の組織の下っ端研究員なんかじゃないんだからな」

「えっ? でも、僕はまだまだ……」


 Kさんの黒いサングラスがこちらを向く。姿は小学生くらいの少年にしか見えないのに、ものすごい迫力で何も言えなくなってしまう。


「自分でどう取り繕おうが勝手だが、∀NEの“ブラックワーカー”は画期的すぎる新技術だ。扱いこそ難しいものの、習熟すれば誰でも超能力を大幅に強化できるんだからな」


 昨日お披露目された∀NEの新型怪人。その力は、折手さん――オルディーネがドローンの前で披露し、全世界へと知れ渡った。特区外の一般人にはぴんと来なくても、世界各地の特区は既に動き出しているという。


「あ、あれを開発したのは新見さんたちですよ」

「違う違う。――あれの基礎を作ったのはお前だよ。和毛恭太郎君」


 Kさんが不敵に笑う。

 それを聞いて、僕は頭を抱えたくなった。確かに一番最初の発案は僕かも知れないけれど、あれはその後レザリアさん、新見さん、そして第一研究室の皆が発展させて、もはや元の骨子もほとんど残っていない代物だ。僕の存在なんて、ほとんどそこに関与していない。


「世間はお前に注目してる。なにせ、元々は特区外の一般人だからな。さあ、楽しくなってきたな!」

「勘弁してくださいよ……」


 悲痛な叫びを上げると、Kさんはウキウキとしていく。この人絶対性格が悪い!


「安心しなさい、恭太郎君」


 打ちひしがれていると、折手さんが名前を呼んだ。いつの間にか、新見さんやレザリアさん、シエラさんもこちらを見ていた。


「あなたはもうウチの大切な仲間なんだから。簡単に引き抜かせたりしないわよ」


 滑らかな銀髪を耳にかけながら、悪の組織の幹部はそう言って妖艶に唇を曲げた。


━━━━━

「悪の組織の下っ端研究員に就職しました。」これにて完結です。

約一ヶ月の間お付き合いいただき、ありがとうございました。

本日(8月1日)より新シリーズ「貞操逆転獣人世界のヒトオス剣闘士」が始まります。三日までは一日三話更新しますので、ぜひそちらもよろしくお願いします。

https://kakuyomu.jp/works/16817330661247222760

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【完結】悪の組織の下っ端研究員に就職しました。〜銀髪巨乳の女幹部さんがチラチラこっちを見てくるけど全く身に覚えがありません〜 ベニサンゴ @Redcoral

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