第37話「天性のヴィラン」

 細い路地裏の壁、自動販売機の陰、高架下の暗がり。ひとけのない所に巧妙に隠された扉が開き、中から黒々とした人型が溢れ出す。ひょろりとした細長い体に、頭部には落書きのような白い笑顔の絵が描かれ、異常に機敏な動きで走る。見る者に生理的な嫌悪感を抱かせる人ならざるもの。


「ヤーーーッ!」「ヤーァッ!」「ヤァァアッ!」


 それは一様に甲高い奇声を上げて、特区のオフィス街へと現れた。

 ∀NE最大の戦力である戦闘用バイオロイド、怪人。その出現をドローン越しに認めた視聴者達の反応はさまざまだ。歓喜する者、落胆する者、悲鳴をあげる者。

 人間のようで人間ではなく兵器特有の生々しさを感じさせる怪人は、一部の人々から人気を集め、大半の人々から薄く嫌悪されている。

 故に、その怪人たちの特異性に気が付いたのはほんのごく僅かに限られた。


「クハハハッ。馬鹿の一つ覚えだな、オルディーネ!」


 オルディーネの目の前で、陥没したアスファルトの底から立ち上がったリミットブレイクもまた、周囲を取り囲む黒い人垣を眺め見て嘲笑を浮かべた。

 彼は懐を弄り、鈍色の小さな端末を取り出す。トウミ精工の戦闘支援部が弛まぬ努力で生み出した努力の結晶、対∀NE用特攻兵器である。

 手のひらに収まる程度の小さな機械の、小さなボタンを軽く押し込むだけで、バイオロイドの指揮系統ネットワークに干渉するジャミングウェーブが発せられる。それは他ならぬバイオロイドの体内で共鳴し、増幅し、伝播する。通信容量を逼迫させ、強制的にデータの輻輳を発生させるのだ。

 更に通信障害を引き起こしたバイオロイドのネットワークは作戦行動を優先するためにサブ回路を開通させる。そこをクラックすることにより、バイオロイドの制御権を奪取することすら可能だった。


「貴方こそ馬鹿じゃないの」


 ――だが、リミットブレイクがボタンを押し込んでも異変は生じなかった。クレーターの縁から見下ろすオルディーネが呆れ顔になる。


「対策してないわけがないでしょ」

「なっ!? まだ、二日と経っていないんだぞ!」

「一晩あれば脆弱性の修正もするわよ。ウチの支援部舐めんじゃないわ」


 愕然とするリミットブレイクをオルディーネは侮蔑の目で見た。自分のことはともかく、仲間を侮られることだけは我慢ならなかった。

 だが、話はここで終わらない。


「ならば、我が力で蹴散らすのみだ!」


 リミットブレイクが軽い屈伸で高く跳躍し、クレーターの底から飛び出した。オルディーネの前に降り立った彼は、そのままの勢いで猛然と駆け寄る。その瞬間、怪人たちが殺到した。


「どけっ、雑兵が!」


 不可視の力が横に薙ぎ、黒づくめのバイオロイドたちを一網打尽にする。

 確かに少しは強化されたようだが、その強さは以前とそう変わらない。薬を許容量の三倍飲んだ今の自分なら取るに足らない雑魚である。

 リミットブレイクは念動力を介してそう理解し、ほくそ笑む。


「ヴィランの先輩からの助言よ。――技っていうのは、こういうもののことを言うの」


 リミットブレイクの拳がオルディーネの胸元へと到達する、その直前。彼は強い衝撃を受けて勢いよくはるか後方へと吹き飛ぶ。それだけに留まらず、彼は三棟のビルの腹をぶち抜き、四棟目の壁に放射状の亀裂を走らせてようやく止まる。

 驚愕の表情を浮かべた男は、頑丈なビルの大穴越しに見える銀髪の美女が気だるげに手を突き出しているのを見た。


「なにを――」


 何をした? あの女は今、いったい?

 理解不能だった。彼も――リミットブレイクと名乗る前の小川ケイゴも、弱いとはいえ念動力使いではあった。だからこそ、その異常性が分かる。あれはただの念動力ではない。

 念動力、サイコキネシス。遠く離れた場所にある物体を触れることなく動かす超能力。世界人口の2%を占める超能力者の中では、さほど珍しくもないものだ。だからこそ彼も特区内の一般人として埋もれていた。

 オルディーネのそれは、明らかに常軌を逸している。普通、念動力といってもその力の強さには限界がある。大抵は自分の腕力以上の力は出せず、強いもので自分の脚力と同等程度。そもそも、彼女が常に数百kgはあろうかという金属製の大盾を七枚も周囲に浮かべている時点で以上なのだ。その上、自分の体重を支えて軽やかに空中を飛び回るなど。

 だが、その程度ならまだ納得できた。オルディーネの念動力がトップクラスの力を誇ると説明されれば、辛くも飲み込むことができた。

 しかし、流石にこれは想定外だ。

 人の体を吹き飛ばし、ビルを三枚貫通させるなどあり得ない。それに――


「おお……おかしいだろ……」


 リミットブレイク、小川ケイゴは自分の四肢を眺めて慄く。ビルと人体、どちらが硬いかと問われれば間違いなく前者だ。それを三枚貫くだけの衝撃を受けて、自分が強い衝撃を受けた程度であるはずがない。普通ならば、原形さえ留めないミンチになっていてもおかしくない。


「“ショックショット”。間合いを取るだけの技よ」


 ただし、3kmくらい突き放すけど。

 オルディーネはこともなげに言う。その声はリミットブレイクには届かない。けれど、彼は理解した。

 彼女は、自分の力でリミットブレイクの体を包み込み、

 その結論に達しながらも、彼はそれを信じきれない。ありえるはずがないのだ。どれほどの力、どれほどの有効射程なのか。最強と名高い“ビースト”ですら、ここまで広大な範囲に影響を及ぼすことはできないはずだ。


「いったい、何をしたんだ……。薬もなしに、どうしてそれほどの力を!」


 ビルの中に埋もれたまま、リミットブレイクは喉を枯らして叫ぶ。選ばれし者に向けた羨望の叫びだった。


『貴方達のアイディアを貸してもらったのよ』

「なっ!?」


 真横からオルディーネの声がして、リミットブレイクは驚愕する。振り返ったそこに茫洋と立っていたのは、全身真っ黒な人型――怪人だった。その頭部のあたりから少しくぐもったオルディーネの声が放たれている。


「な、なにが、どうなって。なんなんだ!」


 混乱の極みに達するリミットブレイクに、オルディーネは怪人を介して答えた。


『バイオロイドに特定の周波数の波を送り、共鳴させることで影響を拡散する。なかなかいいアプローチだったわ。だから使わせてもらったの』


 気が付けば男の周囲に無数の怪人が集まっていた。歪な笑顔が彼を見下ろし、微動だにしない。異様な光景に情けない悲鳴が上がる。


『彼らの役割は舞台装置。私の能力を更に拡張させること。念動力の影響範囲と出力を拡張し、展開する。彼らはそのための黒子ブラックワーカー


 なんだそれは、どういう冗談だ。

 リミットブレイクは叫びたかった。これが現実だとは認めたくなかった。

 オルディーネの話には一定の説得力があった。自分たちが突いた怪人の弱点を逆に取り込み、武器に転化した。そこまではまだ分かる。だが――。


「それなら、ショショ!」


 彼女の言葉が事実なら、辻褄が合わない。この怪人は一晩で開発されたばかりの新型だ。そしてオルディーネは直前まで治療を受けていたはずだ。ならば、新たなシステムに習熟する時間的余裕などなかったはずだ。

 男の悲痛な叫びに、黒い人の形をした影が一斉に答える。


『決まってるでしょ、ぶっつけ本番よ』

「な――ッ」


 彼の心を負ったのは、その言葉であった。

 どれほど人の道を外れた行いによって超能力を強化しても、決して辿り着けないはるかなる高みを、まざまざと見せつけられた。オルディーネの最大の武器は以上な出力を発揮する念動力ではない。あらゆる難解な状況に対して即座に対応してみせる、天性のセンスだ。


「クソ……」


 小川ケイゴは鉄の味がする唾を吐き出し、悪態をつく。これまでの努力が、法や倫理を捨てた行為が水泡に帰す。ならばいっそ。

 大きく開いたビルの穴の向こうには、オルディーネが佇んでいる様子がかすんで見える。ならば、まだ間に合うだろう。


「いっそ、死ね」


 彼はボタンを押す。鈍色の携帯端末のそれを2回。

 その瞬間、トウミメディカルの社屋を支える柱が次々と爆発して砕ける。小川ケイゴが証拠隠滅の余裕もない緊急事態を想定して入念に仕込んでいた自爆装置が起動した。


「馬鹿なことを!」


 ぐらりと崩れ、影を落とす12階建てのビルを見上げ、オルディーネは舌を打つ。この程度、砕けた瓦礫を頭の上から動かすことなど造作もない。

 だが直後に彼女ははっと目を見開く。


「恭太郎君!」


 意識を失った青年が、十二階に取り残されている。自分はともかく、彼はその高さから落下すればひとたまりもない。

 慌てて上を見上げるオルディーネは愕然とした。大きな瓦礫と粉塵が視界を覆い、何も見えない。青年の姿を見つけることすらままならない。こんな時に、念動力は驚くほど無力だ。


「恭太郎!」


 それでも、彼女は一縷の望みを掛けて飛び上がる。降りかかる瓦礫へ自ら飛び込みながら、濃い煙幕のなかひとりの姿を探す。

 だが、見つからない。

 オルディーネの顔が初めて歪む。悲壮な表情を浮かべる。

 ――その時だった。


「折手さん!」


 声が響いた。

 彼女は咄嗟に力を放ち、周囲の瓦礫と粉塵をかき分ける。その向こうに、涙目で落ちてくる青年の姿が見えた。


「恭太郎君!」


 オルディーネが手を伸ばす。その黒い手袋に包まれた指先が、青年の指と絡み合う。


「折手さん、危ない!」


 その瞬間。後頭部に強い衝撃を受け、目の奥に火花が散る。オルディーネの記憶は、そこで途切れた。

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