第36話「暴走する衝動」

 ヒーローバトルを撮影するため、各局から放たれた配信用ドローン。特区内の先進的な技術をふんだんに取り込んだ高性能な精密機器の結晶は、屋内へと入ってしまったヒーローたちを追いかけ、そして目標喪失ロストしてしまった。トウミメディカルが仕掛けた認識阻害工作は光学機器さえも欺き、混乱に陥れたのだ。

 ∀NEの鉄血将軍オルディーネの復活戦、それもこれまでとはガラリと戦略を変えた単騎での登場は、配信上でも視聴者を大いに沸き上がらせた。それだけに、彼女たちをカメラで捉えられないという事態は混乱と怒りを呼ぶ。映像を提供する放送局には怒濤の如くクレームが殺到し、番組の責任者はドローンオペレーターに喝を入れる。

 それでもドローンのパフォーマンスは回復せず、誰もいない殺風景なオフィスを映す。あまりに悲惨な放送事故に、何人かのクビが飛び掛けたその時だった。


――ドゴォンッ!


 轟音がオフィス街に響き渡る。トウミメディカルの社屋、十二階の外壁が吹き飛び、砕けたガラスの破片が輝きながら降り注ぐ。異常な音を検知したドローンが機敏に動き、その発生源へと急行する。

 そして、ようやく映像が回復したと喜んだ視聴者たちは、予想だにしない光景に驚きの表情を浮かべることとなる。


「ぐ、が……っ! この程度で!」


 内側から強い衝撃を受けたように、ビルの壁が吹き飛んでいる。しかし、ほとんどの瓦礫がまるで空中で固定されたかのように動かず宙に浮いたままになっていた。鉄骨が飛び出した瓦礫の上でよろよろと膝を突いたのは、見知らぬ壮年の男。ヒーローコスチュームすらなく、ごく普通の背広を着た男。

 彼は全身の血管を浮き上がらせ、一目で尋常ではないと分かった。


「随分と強い薬を使ってるのね」


 男の視線の先、壁の吹き飛んだビルのフロアに立つのは、黒いラバースーツに身を包んだセクシーな銀髪の美女。その素顔は仮面に隠れて見えないが、誰もがその名を知っている。

 だが、彼女は今、初めて人前に見せる憤怒の表情を浮かべていた。


「ふんっ。一時的にだが超能力を数百倍に増強する薬だ。今なら貴様も一捻りだぞ」


 男はオルディーネを睨み、悠然と笑みを浮かべる。薬の効果は山本ヒロシで実証されている。例え本来の力が弱くとも、それを大幅に引き上げるのだ。過剰接種した場合の安全性には疑問があるが、彼は湧き上がる力の大きさに凄まじい全能感を覚えていた。


「一応、名前を教えてもらいましょうか。――私は悪の秘密結社∀NEの華麗なる赤き盾、愚かにも楯突く全てをねじ伏せる! 鉄血将軍オルディーネよ!」


 ヒーローバトルの定石。お互いに名乗りを上げるところからバトルは始まる。


「小川ケイゴ……。いや、違うな。俺は大いなる力の体現者、生命の限界を突破せし者――リミットブレイク!」


 溢れる衝動のまま、男は名乗りを上げる。続々と集結する上空のドローンが彼の声をしっかりと捉え、インターネットへと放流する。新たに現れた謎のヒーロー――ヴィランであるオルディーネと対峙しているのだから、ヒーローであろう――の登場に、視聴者たちは色めき立つ。

 一般人を巻き込んだかと緊張の走っていた放送局も、リミットブレイクなる名乗りを聞いて、これが何かの演出であると理解した。おそらくはトウミ精工の演出だろう、と。

 S.T.A.G.Eはこれを静観する。ここで強制的に介入しヒーローバトルを中断すれば、余計な混乱を来す可能性があったからだ。であればあえて筋書き通りだと世間に誤解させたままの方が都合がいいと判断した。

 謎のヒーロー、リミットブレイク。その存在は高速で全世界へと知れ渡った。コアなファンは聞き慣れぬヒーローネームに首を傾げ、ある者は画面に映る男の顔に驚愕する。

 狂気、打算、混乱、歓喜。様々な感情が渦巻くなか、異色のバトルは幕を開ける。


「喰らえっ! ファントムパンチッ!」


 先に動き出したのはリミットブレイクだった。彼が拳を突き出すと、不可視の力がオルディーネに迫る。だが、彼女は避ける素振りも見せずに盾の一枚でそれを受け止めた。


「……バカにしてるの?」


 オルディーネは怒っていた。

 同じ念動力使いサイコキネシストとして、男の未熟さに愕然としていた。だが、それも仕方ないとも思えた。彼の力はたった数秒前に手に入れたばかりの仮初のものだからだ。

 だが、慈悲を与える気はさらさらない。

 同じ念動力使いサイコキネシストとして、容赦はしない。


「この程度で技になると思ってるから、ヒーローにもなれないのよ」

「……は?」


 オルディーネが軽く手を動かす。煩わしい羽虫を払うような、無造作な動き。

 たったそれだけで、男は容赦なく12階分の高さから地面へと叩きつけられた。

 異常な劇薬によって増幅させた男の力は、間違いなくオルディーネのそれを超えていた。しかし、紛い物の力であるそれに対して、男の練度が、経験が、全く足りていない。

 あまりにも呆気ない幕引き。早すぎる決着。華々しい登場とは裏腹な展開に、視聴者たちは憤る。味気なさ過ぎる展開に、トウミ精工の株価が急落する。

 今の十秒は一体なんだったのだ、とヒーローバトル観戦者の全員が思っていた。

 オルディーネは巨大な手のひらの形に陥没した道路を見下ろし、踵を返す。男の安否よりも、青年の安否の方が重要だった。一刻も早く彼の安全を確保し、セブンレインボーズをぶん殴らなければならない。


「まだだ、まだ終わらん!」


 だが、彼女は青年の元へと辿り着けなかった。ビルが根本から大きく揺れ、崩れ始めた。何が起こっているのか、考えずとも分かった。

 リミットブレイクは驚異的な生命力で生き残っていた。過剰に接種した薬が彼の肉体を強制的に生きながらえさせていたのだ。だが、代償に彼は理性を失くした。ただ目の前の敵を排するという欲望だけに支配され、暴走を始める。


「しつこいわね!」


 オルディーネは青年を乗せた盾を動かし、自分も盾に乗ってビルから飛び出す。次の瞬間、堅牢を誇る特区製のビルが土煙を上げて崩壊する。


「オルディーネ!」

「何よ七光り!」


 降り注ぐ瓦礫を避けるオルディーネの名前を呼ぶ声。彼女の視線の先に、瓦礫から瓦礫へと飛び移りながら移動するブレイズレッドの姿があった。


「少しまずいぞ。あの男、暴走している!」

「そんなの見れば分かるわよ」


 今更何を言っているのだ、と睨むオルディーネ。ブレイズレッドはよく見ろとリミットブレイクを指し示す。


「おおおおおおおおおおおおおっ!」


 喉が張り裂けそうなほど絶叫する男は、とてもヒーローには見えなかった。白目を剥き、体を掻き毟る姿は恐ろしくさえある。

 何よりも、その力が爆発的に増幅し、戦闘区域の外にまで及び始めている。


「早く止めないと、市民にも被害が出る!」

「ああもう、厄介なもの開発しちゃったわね!」


 両者は視線を交差させ、一瞬で思考を共有する。

 ヒーローはヒーローの役目を。ヴィランはヴィランの役目を。


「レザリア!」

『はいよ。準備はできてるよ』


 オルディーネは通信機に向かって叫ぶ。即座に待機していた相方が応答する。次の瞬間、都市のあらゆるところからエレベーターが動き出し、黒い人型がぞろぞろと現れた。


『新型怪人“ブラックワーカー”の初仕事だ』

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