第34話「正義のヒーロー」

 ビルの外で激しい音が鳴り響き、窓に鮮やかな閃光が次々と映し出される。表で繰り広げられている過激な攻防に、僕は思わず唇を噛む。本当にこれで良かったのかと何度目かも分からない自問自答。いまだに答えは出ないまま、刻一刻と時間だけが過ぎていく。

 しばらくして、攻撃の音が止む。不安に駆られるも、窓の外に姿を現すわけにはいかず、ぐっと堪える。オルディーネさんが怪我をしていないことを強く祈る。


「……っ!」


 階下で音がした。状況が大きく動いたことを察する。僕は息を潜め、打ち合わせの通りにぎゅっと目を閉じて動かずにいる。

 その時、ドアが蹴破るように開かれ、外から一人の男が飛び込んできた。白髪混じりの髪の壮年の男だ。着慣れた様子のスーツで身を包み、額に汗を滲ませ焦燥の表情を浮かべている。


「クソ! クソ、クソ! 聞いてないぞ、どうしてこんな時に!」


 乱暴な口調で悪態をつく、背広の男。彼に気配を悟られないよう、僕はじっと身を潜める。部屋に先客がいるとは露ほども知らず、男は会議室の壁を叩く。すると一部が勢いよく跳ね上がり、その下に隠されたコンソールがあらわになった。


「とりあえず、証拠を消さねば。薬も、資料も、全部。痕跡を残してはいかん」


 コンソールに暗証番号を打ち込み、更にいくつかの生体認証を潜り抜ける。すると、会議室の壁一面が大きく開き、その向こうに隠されていたものを曝け出した。ガラス張りの保管庫の中にずらりと並んでいるのは、怪しげな色合いをした薬液入りの瓶。おそらく電子化されていない紙の資料。男はそれらを乱暴に掴み、大きな袋に詰め込んでいく。

 あの薬品のどれかが、記憶消去剤なのだろう。今となっては、それも些細な問題だ。

 S.T.A.G.Eすらも把握していない、トウミメディカルの暗部。その決定的な証拠が次々と出てくる。僕は身を潜めるテーブルの下から、その様子をカメラで克明に記録していく。

 釈堂さんに言われた通りに。


━━━━━


 突如現れたクリムゾンファイアがシエラさんを襲撃したその時。僕は釈堂さんに声を掛けられた。彼は僕を助け起こし、走りながらあることを語った。


「和毛恭太郎君。ヒーローとして断腸の思いだが、ぜひ君に強力してもらいたいことがある。身内の恥で申し訳ないが、どうしても君の助けが必要なんだ」

「ど、どういうことですか?」


 事態が二転三転し、混乱で思考が追いつかない。彼がいったい何を言っているのか、それすらも分からなかった。

 釈堂さんは軽々と僕を抱え上げ、軽やかにビルの隙間を駆け抜けていく。彼の真っ赤な髪と合わせて、何かしらの超能力者であることは疑いようがない。しかし、たしか彼はトウミ精工の職員だったはずだ。そんな彼が何をしようとしているのか。


「君にはトウミメディカルの内部に潜入してもらいたい」

「トウミメディカル!?」


 突然出てきた名前に驚く。


「どうして、そんなところに?」

「そこに我々も手出しできない秘密が隠されているからだ。君がこれで記録してくれ」


 渡されたのは小型のカメラだった。特区らしいシンプルなデザインで、手のひらに収まる程度の大きさ。直感的に操作も理解できるような、ごく普通の形だ。

 何か大きな問題に巻き込まれているような気がして恐怖が胸の中に広がる。そんな僕を、釈堂さんは申し訳なさそうに見る。


「トウミメディカルの十二階。そこに会議室がある」


 その言葉にはっとする。僕が面接のために通され、そして記憶消去剤を飲まされた場所だ。

 僕の表情を見て、釈堂さんがふっと笑う。その反応で僕は自分が失態を犯したことを理解した。トウミメディカルの十二階を訪れたという記憶は、僕の中には存在していないはずなのだ。


「――やはり、∀NEで記憶復元を受けているね」


 釈堂さんの続く言葉に打ちのめされる。彼は確信を持って鎌をかけたのだ。僕が失っているはずの記憶を思い出しているということを確かめた。


「トウミメディカルの一部の職員と許可された者だけしか、あの会議室には入れない。認識阻害処置が施されているんだ」

「認識阻害……?」

「ヒーローやヴィランの正体を隠すためにも使われる技術だ。君はヒーローが薄い仮面一枚で正体を隠せていることに疑問を抱かないか?」


 そう言われて初めて気付く。∀NEのエースとして注目を集めるオルディーネさんも、仮面で顔の上半分程度を隠しているだけなのに、その正体は謎に包まれている。普通に考えれば、その程度の変装ならすぐに見破れるだろうに。


「そういうことだ。けれど君は記憶復元によって会議室への道を知っている。そうだろ?」

「はい……。知ってます」


 正確には、僕自身は知らないが、僕が確かにその会議室に入ったところをしっかりと目撃している。記憶世界で見たことは、認識阻害の影響を受けないのだろうか。


「君が∀NEの職員であることは知っている。だから非常にリスキーであることも承知している。その上で、君にしか頼めないんだ」

「その、どうして僕が∀NEの職員だと?」

「近頃の∀NEは防諜もおざなりだったからね。君の身元を特定する程度は簡単だったよ。もっとも確証を得たのはついさっきだけどね」


 背後で巨大な爆発音がして、太い火柱が立ち上がる。釈堂さんはそれを見て、少しだけ目を細めた。


「あのクリムゾンファイアに素手で挑めるのは、∀NEのビーストくらいだろう」


 僕はカメラを握りしめ、意を決して口を開く。


「釈堂さん、あなたはいったい誰なんですか」


 彼はその問いこそを待っていたようだった。僕を抱き抱える腕に力を加え、更に加速する。高速で動く足に、鮮やかな赤い光が宿って見えた。彼の着るスーツの下に、赤く透けるスーツが見える。それは、とても既視感のあるものだ。


「まさか――」

「本当に、申し訳ない。ヒーローがヴィランの職員に頼むなんて前代未聞だ」


 彼の髪が燃えるように揺らめいている。その真紅の輝きは知っている。


「ブレイズレッド!」


 正体を決して明かすことのないヒーロー。その素顔を知ってしまった。同時に、これが彼なりの譲歩なのだろうとも考えた。こちらの情報を手にいれ、僕を攫ったのと引き換えに、ライバルである自分の素性を明かす。彼は仁義を通している。


「トウミメディカルが怪しい動きをしていることは、以前から掴んでいたんだ」


 高層ビルへと急接近しながら、釈堂さんは言う。


「けれど隠し方が巧妙でね、俺たちはなかなか決定的な証拠を掴むことができなかった。そこに君が現れた。トウミグループの恥を晒すことになって申し訳ない」


 彼は軽やかに路面を蹴り、一気に高く跳躍した。あまりの高度に思わず悲鳴を上げて、釈堂さんのがっちりとした体にしがみつく。燃える光の超能力者は、一気にトウミメディカルの屋上までやってきた。


「これから、我々は∀NEに対して急襲を仕掛ける。戦闘区域はこのビルの周辺だ」

「ええっ!?」

「名目は職員の誘拐。つまり君の身柄を預かったと伝える。既に産業管理委員会には根回しを終えている」

「どうしてそんな、急に……」

「こうでもしなければ、証拠を掴めない。危険な仕事になるが、お願いしたい」


 釈堂さんは懐から何かを取り出し、僕に渡してきた。見覚えのある仮面。ブレイズレッドの付けている、鮮やかな赤の仮面だ。


「これを付けていれば、認識阻害の効果が発揮される。危険も少しは減るはずだ」


 彼は僕の肩に手を掛け、またも謝罪を繰り返す。


「申し訳ない。けれど、これしか手がないんだ。あの会議室で張っていれば首謀者がやって来るだろう。彼が証拠隠滅を図る様子を撮っていてくれ」


 危険であることは言われなくともわかった。けれど、僕は仮面を受け取り、カメラを握る。彼がしようとしていることは悪を暴くことだ。興業における立場ではなく、本物のヒーローとして、身内の闇を引き摺り出そうとしている。だったら、僕もそれに協力したい。


「もし、見つかったら……」


 それでも弱気になってしまうのは仕方ないだろう。僕は何の能力ももたない、ただの一般人なのだ。

 けれどそんな僕に釈堂さん――ブレイズレッドは力強く胸を叩いて応える。


「その時は全力でヒーローの名前を呼ぶんだ。きっと、駆けつける」


 白い歯を輝かせて笑う彼は、まさしく正義の味方だった。

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