第32話「最強の能力者」

 火焔が舞い上がり、火の粉が弾ける。堅固なコンクリートが溶解し、鉄筋を燃やす。あまりにも異常な光景。その渦中で屹立するのは全身を猛火へと変えた巨漢――クリムゾンファイア。


「かっ、かけかっ」


 目は定まらず、舌がだらりと垂れている。粘ついた唾液が垂れ、炎の中に消える。一目見ただけで異常と分かる風貌と挙動だった。もはや人間としての理性すら無くした男は、ただ身中に溢れる衝動に突き動かされ、本能のままに町を燃やす。


「はぁああああああっ!」


 ビルを飲み込む火柱。その向こうから褐色の女が飛び込んでくる。拳を固く握りしめ、鋭く眼に力を湛えたシエラは、全てを燃焼させる異能の火を強引に突破して、一息にクリムゾンファイアの足元へと肉薄した。

 焦土を蹴り、跳躍。全身をしなやかに使い、繰り出した打撃。


「ごげっ」


 その拳がクリムゾンファイアの炎化した顎を捉える。ジュ、と皮膚の焼ける音。だがその拳は男に強烈な衝撃を伝えた。

 シエラが拳を振り抜くと、クリムゾンファイアは突風に煽られたボロ雑巾のように吹き飛ぶ。四肢を弛緩させ、人形のようだ。殴った感触も中身の盛れたサンドバッグのようで、シエラは違和感を抱く。あまりにも手応えがない。

 だが、敵に攻撃を与えた。追撃を繰り出す余裕はない。


「恭太郎!」


 シエラは瓦礫が散乱する現場を見渡す。彼女が守るべき青年が、見当たらない。

 唇を噛み、悔恨に怒りさえ覚える。絶対に手放すべきではなかったのに。


「恭太郎、どこだ!」


 返答はない。

 メラメラと炎が舞い踊り、強烈な軋音と共に堅牢な特区の建造物が脆く崩れ落ちてくる。シエラは回避行動すら取らずに、瓦礫の雨に飲まれた。


「恭太郎!」


 直後、全ての瓦礫が反発し合う磁石のように弾け飛ぶ。その内側から現れたシエラは、全くの無傷である。

 彼女は周囲を見渡し、恭太郎の姿がどこにもないことを知る。顎を上に向け、鼻に意識を注ぐ。


「スン……。こっちか」


 シエラは一瞬にして周囲に充満する匂いを嗅ぎ取った。無数の物質から発せられる様々な匂い、渾然一体となった悪臭を、警察犬すら遥かに凌駕する嗅覚で嗅ぎ分ける。見つけるのは若い男性の体臭。すでに彼女が知っているもの。

 彼女の眼には匂いが色づいて見える。シエラはその中の一つをたどり、走り出した。


「けけけかけかっ!」

「ちぃっ! 邪魔だ!」


 だが、猛然と駆け出すシエラは直後に出鼻を挫かれる。ビルの壁を溶かして現れたのは全く無傷のクリムゾンファイアであった。殴られた瞬間に顎を炎化させた彼には、シエラの拳も完全には捉えられなかった。勢いよく吹き飛んだものの、そもそもこのレベルの発火能力者パイロキネシストに物理的な衝撃はほとんど効果を発揮できない。

 シエラは再び、躊躇なく拳を突き込む。風を切り、わずかに音を置き去りにするほどの鋭い一打。それは的確に男の鳩尾を穿つ。だが、腹に大穴を開けたクリムゾンファイアは泰然として笑う。


「山本ヒロシ! 今すぐ能力を解除し、投降しなさい!」


 頭上でけたたましいローター音が鳴り響く。それに混じって叫び声を上げているのはS.T.A.G.Eの職員だ。当然ながら、そんな定型的な命令に従う者などいるはずがない。


「シエラ、離れろ!」

「っ!」


 男の声が耳朶を打つ。シエラは反射的にアスファルトを蹴り砕き、勢いよく後方へと飛び退く。次の瞬間、冷気を纏った巨大なミサイルが四方から殺到した。


「てめっ!」


 対発火能力者パイロキネシスト強制鎮圧兵器、アイスボム。瞬間的に着弾範囲を絶対零度へと近づける特区内技術をふんだんに詰め込んだ冷却ミサイルだった。当然、生身の人間が巻き込まれたら全身の細胞が凍結し、破壊され、死に至る。

 そんなものを躊躇なくぶち込んできたS.T.A.G.Eの部隊長にシエラが怒号を飛ばす。


「殺す気か、馬鹿ガキ!」

「ガキはてめぇだろワンころ! コイツは俺たちに任せてお前は部下を追いかけろ!」


 ヘリの開け放たれたドアの奥からサングラスを掛けた少年が顔を出す。騒音にも負けない大声を張り上げるKに、シエラも目的を思い出す。


「けけけここけっこここっ!」


 突如、火柱が立ち上がる。それは高く空を貫くと、滞空していた装甲ヘリへと喰らいつく。S.T.A.G.Eの隊員たちが搭乗していたヘリが、一瞬にして爆散した。


「K!」


 燃える鉄片が降り注ぎ、シエラが瞳孔を開く。

 凍結していた地面が高熱に塗り替えられる。大抵の発火能力者であれば、数時間は拘束できるほどの冷却剤が一瞬にして融解した。舞い上がる焔の向こうから現れたのは、無傷で胸を張るクリムゾンファイアだった。


「どう考えても普通じゃないな。どれだけ鍛えてるんだよ、おっさんが」


 シエラは身構える。臨戦体勢を取らねばならないと判断するほど、敵の実力を認めてしまっていた。

 クリムゾンファイアが両腕を広げると、猛火がビル群を薙ぎ倒す。足元を溶かされグズグズと崩れ落ちる都会の街並みは、異様な光景だった。火を纏った男は、不死鳥のようだ。


「シエラ」


 燃え盛る炎の轟音に混ざり、少年の声がする。シエラの鋭敏な聴覚がそれを捉えた。


「生きてたか、K」

「閻魔さんに追い返されちまった。門をくぐるにゃ手土産が必要らしい」


 シエラの背後に現れたのは、無傷の少年だった。あまり似合っていない黒スーツも、焦げてすらいない。まるで今来たばかりかのような気楽さで、S.T.A.G.Eの治安維持特殊部隊長Kは重厚な黒い銃を肩に掛けている。


「能力制限解除、レベル1を許可する」


 Kの言葉にシエラが目を剥く。赤く明滅していた首輪のランプが緑色へと変化した。


「2,000億する備品ヘリ落とされたんだ。弁償してもらわねぇとな」


 サングラスの下で少年は不敵な笑みを浮かべる。獣を追いかける猟師のような凶悪な笑みだ。久方ぶりに彼のそんな表情を見たシエラもまた、釣られるように笑う。鋭い犬歯を覗かせて、獰猛に。


「さあ、行け!」


 Kが重量感溢れる大型の銃を構える。引き金に手を当てると、砲身が青く眩い光を放ち始める。急速にエネルギーが充填され、放たれる。

 それと同時に、シエラが瓦礫を蹴った。


「――ラァッ!」


 轟音と共にアスファルトが捲り上がる。解き放たれた脚力が後方に空気を追いやり、背後に立ち並ぶビルをなぎ倒す。クリムゾンファイアよりも遥かに甚大な被害を出しながら、アッシュグレイの獣が牙を剥く。


「けっ」


 瞬間。クリムゾンファイアの胴体が消滅する。綿飴のように呆気なく。質量が消失する。短い断末魔を上げ、クリムゾンファイアの上半身がゆっくりと地面に落ちる。

 遅れて、Kの放った荷電粒子砲がその頭を的確に貫く。


「おいおい、また強くなってねぇか?」


 全身から湯気を出し、地面を深く抉りながら勢いを消して立ち尽くすシエラを見て、Kが呆れた声を出す。

 最強の超能力者としてS.T.A.G.Eから厳重な監視下に置かれる要注意人物。秘密結社∀NEの首領、シエラ。あまりにも厳格な情報統制によって、彼女の超能力の正体を知るものはごく一握りに限られる。

 だが、真相を知らぬ多くの者が予測するほど、彼女は特別な能力者ではなかった。むしろそれは、統計上最も平凡な能力であり、故に見下されることも多いもの。


「〈身体能力強化パーフェクトボディ〉。全く、シンプルイズベストもやり過ぎるとクドくなるな」


 純粋な身体能力の向上。それが、彼女の持つ超能力であった。


「シエラ、坊主を探せ。今なら特区のどこに隠されたって見つけられるはずだろ」


 シエラのそれは筋肉密度や骨格強度に止まらない。視覚、聴覚、嗅覚と感覚を鋭敏にさせ、第六感と呼ばれる解明不能の直感的感覚さえも拡張する。一部能力を解放しただけでも、彼女は広大な特区の全域を完全に把握することができた。しかも、〈千里眼〉と呼ばれるような認識系超能力に匹敵するほどの精度で。


「――血を流してる。交戦中」


 五感から流れ込む莫大な情報を処理しながら、シエラが呟く。


「どこにいる?」

「――トウミメディカルの地下」


 そう呟いた瞬間、シエラは強烈な衝撃波を振り撒きながら走り出した。分厚いビルの構造すら無視して、最短距離の直線で。


「あー、全隊に通達。避難誘導を迅速に。手が空いてるやつはドミノみてぇに崩れるビルを追いかけろ」


 Kは無線機で命令を下しつつ、ビルの腹にぽっかりと開いた巨大な穴を見上げた。

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