第31話「煉獄より舞い戻る」

 地下では∀NEが大変な騒ぎになっているのに、特区は今日も変わり映えのない平穏な日常を送っている。立ち並ぶビル群のガラスに太陽の光が反射して、人の賑わう往来は暑いくらいの熱気を帯びていた。


「ほら、恭太郎。今日はあたしがなんでも奢ってやるぞ!」

「あの……シエラさん」


 僕の隣を弾むように歩くのは∀NEの首領、シエラさん。彼女は上機嫌に笑っている。僕がおずおずと口を開くと、彼女は怪訝な顔をこちらに向けた。


「なんで手を繋ぐ必要が?」


 僕の右手と彼女の左手が、しっかりと繋がっている。というか、僕の手をシエラさんがきつく掴んでいる。全く離れる気配はなく、無理に振り払うこともできなさそうだ。

 ∀NEの秘密基地から一歩外に出た直後から、シエラさんは手を握ったまま離さない。女性と手を握る経験なんてほとんどない僕は、ずっと落ち着かなかった。


「当然だろ。恭太郎が襲われた時にすぐ助けてやらないと」

「やっぱり襲われる前提なんですか!」

「はははっ」


 今からでも基地に戻りたい。隣でカラカラと笑うシエラさんを見て、僕の心はどんよりと曇っていく。道行く人々は僕とシエラさんが手を繋いでいるのを見て微笑ましそうな顔をしたり、羨ましそうな顔をしたり、殺意を抱いていたりしているけれど、彼らが想像しているようなことは一切ない。

 シエラさんが僕を基地の外に連れ出したのは、端的に言えば釣り餌にするためだ。∀NEの情報部でも追い切れない背広の男を誘い出すための囮が今の僕の役割なのだ。


「おっちゃん、たい焼きふたつ!」

「あいよっ!」


 軽く絶望して意識を飛ばしている間に、シエラさんは道沿いの店でたい焼きを買っていた。紙袋に入った焼き立てのそれを、こちらにも突き出してくる。


「ほら、そんなに辛気臭い顔すんなよ。なんたって、最強が護衛に付いてるんだからな」

「最強って……。シエラさんは超能力使えないって言ってたじゃないですか」


 万一背広の男が襲ってきても守ってやるとシエラさんはぽふんと胸を叩いていた。けれど、彼女の首には今も頑丈な鉄の輪が掛けられている。あまりにも強力すぎる能力故にS.T.A.G.Eから常に監視されている彼女は、無許可に超能力を使うことを許されていない。仮に使えば、即座にS.T.A.G.EのKさんが飛んでくるそうだ。


「半端な敵じゃあ能力なんて使わなくたって平気だよ。あたし、鍛えてるから」

「背広の男は半端じゃないんですって」


 たい焼きを頭から齧ったまま、シエラさんは右腕を曲げる。たしかにしっかりした筋肉が滑らかな褐色の肌の下から隆起する。彼女が僕よりよほど鍛えているのは、タンクトップの下から覗く下腹部からも明らかだ。

 けれど相手は並大抵の敵ではない。人殺しすら厭わないような奴なんだ。


「それに、S.T.A.G.Eの連中が飛んできたなら歓迎するべきさ。とっとと纏めて捕まえてくれれば楽だろう?」

「そういう話じゃないでしょ」


 楽天的なシエラさんに思わずため息をつく。∀NEのトップが捕まったら、僕たちはどうすればいいんだ。


「もぐ」


 とはいえ、焼き立てのたい焼きに罪はない。死んだ魚のような瞳に歯を立てると、サクッと小気味よい食感と共に甘い小豆の香りが鼻腔をくすぐった。


「恭太郎! 次はあれを食べよう!」

「ちょ、シエラさん!?」


 僕がたい焼きを堪能し終わるのを待たずに、シエラさんは勢いよく走り出す。がっちりと手首を掴まれている僕はものの見事に引き摺られ、たい焼きを落とさないようにするので精一杯だった。

 以前、折手さんが言っていた。超能力者は普通の人と比べて食欲が旺盛なのだと。それはある程度超能力の強さとも相関があるようで、折手さんもランチのたびに驚くほどの量を食べていた。

 特区は超能力者の住む街で、そんな住人の食欲も熟知しているらしい。意識して見てみると、高層ビルの立ち並ぶビジネス街にもたくさんの飲食店がひしめいているのが分かる。立派な店構えのレストランなんかも多いけれど、食べ歩きを意識した屋台やテイクアウトのお店も多い。まるで縁日のような賑やかさだ。


「ん〜〜! たこ焼きうめぇ〜〜」

「重たい……」


 シエラさんは見つけたたこ焼きの屋台に飛び込むと、一瞬足りとも迷うことなく一番大きなバケツサイズのたこ焼き大盛りを注文した。一つ一つも大粒なたこ焼きが100個は盛られたバケツを抱えるのは僕で、シエラさんはそこからひょいひょいと摘んで口に運んでいる。


「あの、手離して自分で持ってくださいよ」

「それじゃあ護衛できないだろ」

「並んで歩けばいいじゃないですか」


 熱くて重たいバケツを抱えて訴えるも、悪の首領は耳を貸さない。ヴィランは身内にも厳しい。


「恭太郎は食欲ないのか? 全然食べてないじゃないか」

「手が塞がってるんですよ」


 ハムスターのように頬を膨らませたまま、シエラさんが小首を傾げる。右手はがっちり握られてるし、左手はバケツを抱えてるんだ。どうやってたこ焼きを食べればいいのか、知っているなら教えてもらいたい。


「仕方ねぇなぁ。んっ」

「……えっ」


 目の前にたこ焼きの刺さった爪楊枝が突き出される。シエラさんが僕の口元に手を向けていた。


「ほら、あーん」

「え、ちょ……」

「早くしないと冷めるぞ」

「……あーん」


 有無を言わせぬ雰囲気。これも上司命令というやつか。彼女の顔を見ても、他意はなさそうだった。純粋に僕の腹を満たそうと考えている。そんな雰囲気を感じて、僕も腹を括って口を開いた。


「あふっ!? あ、あっふっ!?」


 入ってきたのは溶けかけた鉄球かと思うほど熱いたこ焼きだった。あのたこ焼き屋、超能力でも使って焼いたのか!? というか、シエラさんはよくこれを涼しい顔して食べられるな。

 口の中を火傷させながら必死に冷ます僕を見て、シエラさんはケラケラと笑う。唇がタコみたいだぞ、なんて言われても反論する余裕はない。


「恭太郎はザコだなぁ」

「無茶言わないでくださいよ。僕はただの一般人なんです」


 自分で言っていて悲しくなる。僕は特区の外で緩く暮らしていた、ただの一般人だ。強い超能力も持っていない。戦いの余波に煽られただけでも死にそうになる。

 シエラさんが何故頑なに手を離さないのか、分かった気がした。

 僕が背広の男に本気で襲われたら、一瞬で殺されるんだ。


「……シエラさん、自販機行きたいです」


 そう言うと、シエラさんは当然の如く付いてくる。水を買って、それを手にとっても、彼女は僕の左手を離さない。


「あの、蓋が開けられないんですけど」

「ほい」


 キャップを掴む手がなくて困っていると、シエラさんが指で弾いた。パァン! と凄まじい音がして、キャップの首もとが弾け飛んだ。蓋閉じられないじゃん。


「うわぁ」

「なんで引いてるんだよ」


 せっかく開けてあげたのに、と本人は不満げだ。


「その力、本当に超能力使ってないんですか?」

「うーん。微妙なところだな」


 歪にちぎれたペットボトルから水を飲んでいる間、シエラさんは軽く超能力について説明してくれた。


「超能力者にとって超能力は生まれた時からあるもんだからな。ライトみたいにオンオフできるようなもんじゃない。だからこの首輪も一定以上の力を検知したら作動するっていうのが正確なんだ」


 超能力者は無意識に超能力を使う。発火能力者パイロキネシストは寒いと思ったら体を炎化させるし、冷却能力者クライオキネシストは暑いと思ったら体を冷やす。僕らが暑さを感じたら汗を出し、寒さを感じたら体を震わせるのと、大きな違いはない。

 シエラさんの超能力がどんなものかは知らないけれど、ペットボトルからキャップを弾くことくらいは、超能力を使った範疇にも入らないらしい。


「超能力者って……」


 すごいですね。羨ましいですね。恐ろしいですね。

 どう言葉を続ければいいのか分からなくて、口を噤む。その代わり、まだ水の残っているペットボトルを隣に差し向けた。


「どうぞ」

「うん?」

「喉乾いてるでしょ。飲んでください」

「えっ。お、おう……」


 シエラさんがペットボトルを受け取り、こくこくと喉を鳴らして一気に飲む。あれだけ大量のたこ焼きを、たっぷりのソースやマヨネーズと一緒に食べたんだ。喉も乾いていることだろう。


「お前、意外とそう言う感じなのか……?」

「何がですか?」


 少し顔を火照らせながら、シエラさんが曖昧な言葉をかけてくる。僕が首を傾げると、彼女はなんでもないと首を振った。

 その時。


「恭太郎、伏せろ!」

「なっ!?」


 熱。爆音。そして炎。

 真横の建物が吹き飛び、内側から猛火が噴き出す。悲鳴が響き、周囲は騒然となる。見覚えのある光景、展開だ。で、あるならば――。


「かっかかかっかかっ」

「山本ヒロシ!」


 現れたのは火焔を纏う巨躯の男。パイロキネシスト、山本ヒロシ。またの名をクリムゾンファイア。S.T.A.G.Eが拘束しているはずの存在が、不死鳥の如く蘇った。なぜ?


「恭太郎、こっちだ!」


 疑問が脳に到達する前にシエラさんの声がした。気が付けば、彼女の手が離れている。声のする方に振り向けば、燃え盛る瓦礫の向こうに彼女が立っていた。必死な顔で手を差し伸べてくるが、僕は火に阻まれてそっちにはいけない。


「ちっ」


 シエラさんがこっちへ向かおうとしたその時、業火が襲う。


「かけかっ!」

「クソがぁ!」


 目の焦点が合っていない、異様な雰囲気をした山本ヒロシが、シエラさんを標的に定めていた。彼の纏う炎の勢いは以前よりもはるかに激しい。この短期間で更に力を増したような気がする。

 シエラさんは火焔の波を軽やかな跳躍で避け、怒りの声で吠える。こちらを一瞥し、あいつを沈めると目で語る。僕は巻き込まれないように、瓦礫の影へと身を押し込めた。

 少なくとも、シエラさんは全く男に恐れを感じていない。超能力などなくとも圧倒できると確信している。ならば、僕にできるのはそれを信じることだけだ。


『こちらは緊急避難区域に設定されました。非戦闘員は速やかに――』


 上空で回転翼のローター音が鳴り響き、それに混ざって機械的なアナウンスが聞こえる。S.T.A.G.Eの部隊もやって来たらしい。それなら、山本ヒロシも間をおかず収容されるだろう。

 ほっと胸を撫で下ろす。その安堵から、僕は頭上から落ちてきた黒い影に気付くのが遅れた。


「和毛恭太郎君」

「えっ」


 眼前に、大柄な男が立っていた。

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