第29話「空想と現実の論議」

 質疑応答が始まって一時間。僕は新見さんとレザリアさん、更に急遽駆けつけた第一研究室の上級研究員の皆さんから怒涛の質問攻めにあい、瀕死の重傷を負っていた。


「ぐ、ぐふぅ……」

「助手君。次はここの理論についてなんだけど、ケリックス・ポートマッハの蓋然性補強理論を応用すれば――」

「新見さん、もうそこは僕が理解できてないです」


 四方八方から間断なく容赦なく無数のパンチを打ち込まれた気分だ。それも、プロボクサーの本気のストレートを。開始十分くらいから既に検討は僕の理解できる範疇を越え、議論の中心は新見さんとレザリアさんのテーブルへと移って行った。たまに意見を求められても、そもそも土台になっているものが特区内限定の知識であったりして、僕は白旗を上げざるを得ない。

 気が付けば広い会議室には白衣姿の研究者しかおらず、他の幹部連中は早々に退室してしまっていた。代わりに大きなホワイトボードや模造紙なんかがいくつも運び込まれ、至る所で熾烈な議論が酌み交わされている。


「流石だねぇ、和毛君」


 議論がひと段落ついたのか、レザリアさんがホクホクとした顔で抜け出してくる。彼女はまるで僕を世紀の発見をした偉大な研究者の如く扱うけれど、どうにもむず痒くて落ち着かない。


「やめてください。もう、僕が提唱した理論はほとんど残ってないじゃないですか」


 僕の資料はいくつも複製され、回し読みされ、そこから次々と換骨奪胎の連鎖が始まり、もはや原型を留めていない。まるでテセウスの船のような扱いで、この場の白熱した議論を自分の手柄と誇るのはどうにも納得できない。

 けれどレザリアさんはそんな僕の脇を肘で突いてニヤリと笑う。


「こういう時に堂々としてないと、出世できないよ。それに、これだけの爆発を起こせたのは、和毛君が新しい風を吹き込んだからさ」

「出世ですか……。僕はただ、自分にできそうなことをやっただけなんですけどね」

「それができなかったから、わたしたちは今回の不祥事を起こしたわけだ。なまじ怪人の性能と汎用性が高すぎて、そこに依存してしまったのさ」


 第一研究室の優秀なメンバーが、議論を白熱させている。彼らがしきりに意見を求めているのは、レザリアさんではなく新見さんだ。ぐるりと何重にも取り囲む人垣の中で、新見さんは顔を真っ赤にしながら懸命に喋っている。

 これまでずっと、ひたむきに新型怪人について考え続けてきた新見さんの知識量は、第一研究室の精鋭にも勝る。彼らの難解な問いに対しても打てば響くように明快な解答を返す様子は、僕ですら誇らしく思ってしまうほどだった。


「この議論が熟せば、∀NEは復活しますか?」


 僕はレザリアさんにだけ聞こえる声で尋ねる。一番の心配はそこだった。僕が落とした小さな雫がここまで盛んに燃え上がってくれるのは、正直とても嬉しい。けれど、研究者としてはそれで良くても、∀NEの研究員としてはそれだけではダメなのだ。

 究極的には、この議論が現在の∀NEの窮状をひっくり返してほしい。そうでなければ、僕はただ現場を混乱させただけだ。

 胸が苦しくなって思わず唇を噛む。そんな僕に、レザリアさんはメガネの奥から優しい目を向けてくれた。


「やっぱり、和毛君は一人で気負いすぎるところがあるようだね」


 彼女は言う。


「あんまり、∀NEを見くびらないでくれよ。この程度の危機なんて、いくらでも経験してるんだ。戦闘部は何度も壊滅の危機に瀕してきたし、支援部の極秘情報が丸ごと盗まれたことだってある。一度は、秘密基地の第五階層――つまりはこの一つ上の階層まで敵がやって来たことだってある」


 桃色の髪の少女があどけない顔で語るのは、両手の指の数では到底足りないほどのエピソード。その一つ一つが、喉元に鋭利なナイフを突きつけられるような、なんなら少し血が滲むような、絶望的な状況。

 しかし、今、ここに∀NEは確かに存続している。枚挙に暇がないほどの苦難を乗り越えて、∀NEは生き残り続けてきた。その確かな証左。


「今回だって、ただ。この程度、屁でもないさ」


 そういって∀NEの最高頭脳は笑みを深める。その表情は、悪の組織の幹部と言う形容が世界一似合うものだった。

 レザリアさんは熱気のこもる会議室を見渡し、ぽふぽふと白衣に包まれた手を叩く。気の抜けた拍手だったが、第一研究室の面々は一瞬で水を打ったかのように静まり返った。喧々諤々の議論がピタリと途切れ、全員の視線がレザリアさんへと集中する。


「だから、ここを――あっ、あれ?」


 ただ一人ノンストップで話し続けていた新見さんだけが遅れて気付き、顔を真っ赤にしてうずくまった。彼女は悪くない。


「諸君! お喋りも楽しいが、我々は早急に結果を出さねばならない。議論も一割くらいは煮詰まったろう。だったら今すぐ部屋に戻って、それを完成させなさい。情報を共有し、成熟させるんだ。種は蒔かれた。我々はそれを育てる。今日は寝られると思うなよ」

「了解っ!」


 レザリアさんの一声で研究員たちは動き出す。びっしりと数式や理論の書き込まれた模造紙をまとめ、ホワイトボードを撮影し、速やかに退室する。彼らが向かう先は、より設備の整った彼らの本拠地――第一研究室だ。


「それじゃあ和毛君。後は我々に任せなさい。明日には世界が変わってるからね」


 レザリアさんはそう言って、意味深長な笑みを残して出て行った。あっという間にがらんとした会議室に取り残されたのは、僕と新見さんの二人だけだ。

 新見さんは椅子に腰を落とし、そのままぐったりと身を沈める。過激な祭りが終わった後のような高揚の残滓だけが部屋に残っている。彼女もまた、夢を見ていたような顔でそれを噛み締めているようだった。


「あの、新見さん」


 広い部屋の中、ぽつんと取り残された新見さんを見て、僕は恐る恐る話しかける。


「その……。良かったんですか? 新しいアイディア、第三研究室で受け持つっていうわけには」


 怒涛の勢いで何も言えなかったけど、いつの間にか新型怪人の研究は第一研究室が担当することになっていた。新見さんもあんなに議論に参加していて、絶え間なく知識を求められていたのに。まるで、成果をそっくりそのまま取り上げられてしまったかのような無力感を覚えてしまうのは僕だけなのだろうか。

 おずおずと顔を上げると、新見さんは心地よい疲労感に目をとろんとさせながら頷いた。


「いいんだよ。第三研究室わたしたちは発射台だから。ロケットを宇宙まで飛ばすのは、レザリアちゃんたちの仕事だから」

「でも……」

「ふふっ。ごめんね、助手君」


 背もたれに体重を預けたまま、新見さんは笑う。


「実は私、研究は嫌いなんだよ」


 彼女の口から放たれたのは衝撃的な言葉だった。

 第三研究室を埋め尽くし、給湯室を埋没させるほどの研究の成果はなんだったのか。来る日も来る日も泊まり込み、食事や睡眠すら忘れて没頭していた彼女は、いったい何に突き動かされてきたのか。


「それは、どういう……?」


 愕然とする僕に、新見さんは答えてくれた。


「私が好きなのは新しい怪人を考えること。空想することなの。マッハ60で空を飛んで、チタンやタングステンの900ミリ装甲を軽々引き裂くような、そんな怪人。でも、実際に作ろうと思ったら衝撃波だけで人も建物も壊れるし、発熱やエネルギー消費なんかの面倒臭い問題がたくさん出てくるの」


 空想を現実に引き下ろそうとすれば色々な制約が手を伸ばしてくる。物理の問題では抵抗や摩擦は一文で無視できるけど、現実にはそうもいかない。新見さんは“あったらいいな”を考える。レザリアさんたちはそれを具現化する。分業なのだと彼女は説いた。


「私からすればね」


 議論の直後だからだろうか。いつになく饒舌で高揚した様子の新見さん。


「私からすれば、楽しいところだけやって、面倒なことをレザリアちゃんたちに押し付けてるの。だから、感謝しても恨むことはないんだよ」


 屈託のない笑みで彼女は断言した。包み隠さない本心からの言葉だと直感で理解できた。

 新見さんが空想の翼を広げ、自由に描く。レザリアさんがそれを明確な形に整える。言うだけなら簡単だけど、それが一朝一夕にできることではないことを僕も知っている。二人の間に強い信頼関係がなければできないことだ。


「じょ、助手君も楽しみにしてて。明日、レザリアちゃんたちがとっても驚かせてくれるから」


 そう断言する新見さんは、とても幼い少女のように見えた。

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