第27話「踊る会議室」

 謎のお姉さん改めシエラさん。∀NEの首領といえば、その名を知らない者はいない。なんと言っても、この特区-001どころか全世界を視野に入れても最強と言われるほどの実力者だ。二つ名は“ビースト”、それこそが史上最強。


「あわ、あわわわ、あわわわわわ」

「和毛君が壊れてしまったねぇ」


 まさか目の前のお姉さんがその人だとは思いもよらず、レザリアさんによって正体を明かされた僕は完全に取り乱していた。意味のない声を吐き出し続ける僕を、レザリアさんとシエラさんは不思議そうな顔で見ている。

 どうして∀NEの首領を僕が全く知らないのか。それは単純に、シエラさんは滅多に姿を現さないからだ。ヒーローバトルはオルディーネさん率いる戦闘部が引き受けているし、怪人はレザリアさん率いる支援部がアップデートしている。首領は他のことで忙しいのか、僕以外の職員も平時は全くと言って良いほどその姿を見られない。

 そもそも最強という評判こそ聞いているものの、シエラという人物がどのような姿をしていて、どのような能力を持っているのか、その情報はほとんど知られていないのが実情なのだ。シエラさんは自分の正体が理解されていないことにショックを受けている様子だったが、僕もまさかこんな天然系褐色金欠お姉さんがその人とは思わなかった。


「すすす、すみません! 僕、全然知らなくて……」

「いいよいいよ。そんなんでクビにしたりしないし」


 慌てて謝ると、シエラさんはにへらと笑って首を振る。思ったよりも寛大な反応に、思わずほっと胸を撫で下ろすも、すぐ隣から視線を感じた。


「それはともかく、和毛君。この緊急事態に何をのんびりほっつき歩いてるんだい。出会ったのがシエラさんだったから良かったものの、ヒーロー陣営に拉致されててもおかしくないんだよ?」

「ええっ!?」


 突然の物騒な言葉に驚くと、レザリアさんは呆れた様子で大きく息を吐く。言われてみれば実際その通りだ。今の∀NEの窮状はヴィランもヒーローも知っている。だからこそ、戦闘部が逼迫するほどの猛攻勢が掛けられているのだ。

 それなのに僕は何も考えずに外に出ていた。末端とはいえ、僕も∀NEの職員なのだ。更なる情報を求めるヒーローに拉致される危険は少し考えれば思い至る。


「戦闘部がてんてこ舞いってことは、情報部も忙殺されてるんだ。防諜機能は平時の半分以下しか動いてないと思った方がいい」

「す、すみません……」


 普段なら僕が折手さんとランチに出掛けても、情報部の職員が陰ながら守ってくれているらしい。そのことにすら、今の今まで気付かなかった。

 愕然とする僕にレザリアさんは肩をすくめ、立ち話もなんだからとエレベーターへ促した。


「あの、じゃあこのお弁当って」


 エレベーターに乗り込み、両手に持ったままだった大量の食料品を思い出す。シエラさんは食糧調達の名目で、会議か何かから追い出されたと聞いている。情報の出揃った今では、その会議とは∀NEの幹部会議であることも思い当たる。

 果たして僕の予想は正しいらしく、シエラさんとレザリアさんは同時に頷いた。


「レザリアから頼まれたんだよ。適当に食べ物買ってこいって」

「まさか本当に、ここまで適当に買ってくるとは思わなかったけどね」


 シエラさんの奔放さはレザリアさんの予想を超えていたらしい。まあ、まさかコンビニの棚を総浚いしてくるとは思わなかったのだろう。

 どうしてレザリアさんが基地の外へ出てきたかと言えば、シエラさんがほとんどお金を持っていないことに気付いたからだった。普段からあまりにも金使いが荒すぎるということで、彼女はお小遣い制となっているのだとか。これが∀NEのボスの姿か、と少し不安になる。


「和毛君も好きなの取って良いよ。あとで全額経費として支払うから」

「あ、ありがとうございます」


 初任給すら入っていない僕の懐を察して、レザリアさんは頼もしく胸を張る。彼女の言葉がまるで福音のようだ。


「しかし、このぶんだと夕食も買っておくべきだったね……」


 エレベーターが到着し、扉が開く。目の前に現れたのはいつものエントランスではなく、見知らぬ不穏な雰囲気の通路だ。


「あの、ここは?」

「∀NEの最下層。最重要機密区画。というか本丸だ。シエラさんの居室もここにあるし、わたしたちの会議室もこの階層にある。幹部なら直通でここまで来られる。せっかくだから、もう少し荷物持ちをしてくれたまえ」


 少しおどけた様子でレザリアさんは言うが、どう考えても僕の権限では立ち入れない場所だ。他ならぬ彼女が許可して、首領のシエラさんもニコニコしているから、問題なのかもしれないけれど。

 恐る恐る踏み出して、刺すような冷たい殺気を感じとる。おそらく、なんの許可もなく迷い込んだら、その瞬間に生死は問われないまま鎮圧されるのだろう。そう確信できるだけの剣呑さがあった。


「会議、進まないんですか?」


 言ってからしまったと後悔する。

 異様な雰囲気に気圧されてつい尋ねてしまったけれど、レザリアさんたちにとってはあまり聞かれたくない話題だったはずだ。なにしろ議題が議題なのだから。

 けれど、そんな僕の焦燥とは裏腹に、レザリアさんは軽く頷く。


「そうだねぇ。怪人自体に脆弱性があったわけじゃなく、単純にネットワークのセキュリティを真正面から破られてるだけに、対応が難しいんだよ」


 全くの門外漢には理解が難しいけれど、レザリアさんの頭を悩ませていることがそう単純に解決できるものではないことくらいは分かる。∀NE最高の頭脳と謳われる彼女が必死に考えても答えが出ないのだから。


「怪人を差し引けば、∀NEの戦闘能力はかなり貧弱だからね。このままじゃあ戦闘部がすり減って白旗上げるのも時間の問題だ」

「そんな……」

「せめてオルディーネが復活してくれたらと思うけど、それでも多少の時間稼ぎにしかならないだろうね」


 レザリアさんの言葉はどこか自嘲気味だ。

 心配なのは、今も医療部で治療を受けているオルディーネさん。まだ彼女が目覚めたという知らせは入っていないらしい。

 ∀NEがヴィラン陣営の中でここまでの地位を築けていたのは、量産可能な優秀な兵士である怪人がいたからだ。それがなくなったとなれば、その地位も危うい。レザリアさんたちは解決策を模索しているが、それも難航している。


「あの、シエラさんがヒーローバトルに出ることはできないんですか?」


 藁にもすがる思いで隣を歩くお姉さんに話しかける。けれど、返ってきた答えはすげないものだ。


「無理だねぇ。ちょっと強すぎて、S.T.A.G.Eに睨まれてるし」


 超能力者の監視者たるS.T.A.G.Eが特別に目を光らせるほどの実力者。さらりと語られるその言葉が、何よりも重たい。最強故に、その力を行使できない。シエラさん自身もそこにもどかしさを感じているのだろうか。

 怪人は使用不能で、戦闘部は擦り減っている。最強の首領はバトルには参加できず、∀NEは機能不全に陥りつつある。

 今の状況は僕が思っていたよりもはるかに厳しい。何もやることがないなどと、言っていられるような状況じゃない。

 会議室までの道すがら、僕は必死に考える。自分にもできる、∀NEに寄与できることはないか。下っ端とはいえ、僕は∀NEに選ばれてやって来たのだ。今こそその恩を返すべきだろう。

 長い廊下を歩き、扉の前にたどり着く。厳重に施錠されたそこが∀NEの幹部が集まる部屋だ。何も考えがまとまらないまま、レザリアさんがコンソールを操作して扉を開くのを見る。


「ただいまー」

「お、おかえり……。って、助手君!? ど、どうしてここに?」


 気楽な調子でレザリアさんたちが入室する。僕も二人に続いて中に入ると、広い会議室の陰鬱とした空気を肌で感じた。テーブルにレジ袋を載せると、僕の存在に気が付いた新見さんが驚いた様子でやって来る。


「コンビニでシエラさんと出会ったんです。それで、お昼ごはんを運ぶのを手伝うことになりまして。新見さん、何が良いですか?」

「え、ええ……。それじゃあ、ペペロンチーノかな」


 困惑しながらもしっかり昼食を確保する新見さん。結局パスタを食べるらしい。

 会議室に集まっているのは、情報部、調達部、参謀部、施設部といった各部門の部長たちらしい。戦闘部だけは副部長が代理で参加している。ほとんどは超能力者らしい鮮やかな髪色をしているけれど、中には普通の無能力者っぽい雰囲気の人もいる。普通にこの光景すらも機密情報に分類されそうで怖い。

 ∀NEの幹部連中は思ったよりも穏和な様子で、僕が袋から取り出してテーブルに並べていったお弁当類をおのおの選び取っていく。シエラさんが肉系の惣菜を全部掻っ攫おうとしたら、数人の幹部がそれを力づくで止めていた。とりあえず、幹部の仲は良いのだろう。


「ご、ごめんね、助手君。プレゼン、延期になっちゃって」


 売れ残ったなかから自分の昼食を選んでいると、新見さんがやって来てそっと囁く。今日はもともと、新型怪人のアイディアを発表する予定だった。とはいえ、こんな状況では予定が変わるのも仕方ない。


「大丈夫です。また後でお願いします」


 ∀NEが傾けば、新型怪人どころの騒ぎではなくなる。事態解決も期待して言うと、新見さんは口元を緩めた。


「そうか。今日は和毛君のプレゼンの日だったのか」


 ブリトーを食べながらレザリアさんが寄ってくる。どうやら僕の予定は新見さんを通じて筒抜けだったらしい。レザリアさんは興味津々と言った様子で、僕を見上げる。


「ちょっと興味あるねぇ。今から見れない?」

「ええっ!? そ、そんな場合じゃないんじゃ」

「どうせ昼休みだよ。気分転換に新人いびりでもしないと、午後からやってけないさ」

「いびられることは確定なんですね……」

「とことん不備を指摘してあげようじゃないの」

「あ、あぅ。じょ、助手君は私の助手君なんだけど……」


 ニヤニヤと眼鏡の奥で不敵な笑みを浮かべるレザリアさん。新見さんがあわあわとしている。

 一応、僕の作った資料自体は第三研究室の共有ストレージにアップロードしているから、新見さんのタブレットで見ることができる。そう伝えると、レザリアさんは早速新見さんからタブレットを強奪した。


「ふんふん、これだね?」


 楽しげにファイルを開くレザリアさん。新見さんがタブレットを返して、と手を伸ばすが、彼女はさらりと身を翻してそれを避ける。直属の上司を飛び越えて、支援部の部長に資料を確認されるとは思いもしなかった。

 羞恥心と不安でおろおろする僕の目の前で、レザリアさんは黙々と資料を読み込む。そして――。


「和毛君、このアイディアはどこで見つけたんだい?」


 顔を上げたレザリアさんは、レンズ越しに険しい視線を僕に向けた。

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