第22話「思い出した記憶」

「恭太郎君! しっかり捕まってて!」


 大盾が急転し、僕とオルディーネさんは砕けた世界の中を縦横無尽に飛び回る。四方八方から迫るのは、細長い脚を細かく蠢かせる巨大な百足のような黒い影だ。頭につけた禍々しい顎が僕らに迫り、ジャキンと勢いよく噛みついてくる。


「はぁあああっ!」


 大顎が僕の体を上下に真っ二つにしかけたその時、ムカデの長い体がぐるりと捩れた。構造を完全に無視した動きでそれは捻転し、そして千切れる。黒い血飛沫を上げながら、力なく完全なる無の闇へと落ちていった。

 明らかに異常なその動き。考えずともオルディーネさんの力によるものだと察しがついた。僕がボードから振り落とされないようにキツく腕を回した彼女は、肩を上下に揺らして荒い息を繰り返していた。


「オルディーネさん、大丈夫ですか?」

「はぁ、はぁ……。なんとかね。生物をのは骨が折れるわ」


 彼女は念動力を使ってムカデの体を強引に捩じ切ったのだ。しかし、彼女の消耗は普段のそれとは大きく異なる。どうやら、念動力は無生物を動かすならともかく、生物を動かすには向いていないようだった。


「一度どこかに隠れて……」

「そんな暇は無さそうよ」


 一度体勢を立て直すことを提案するも、オルディーネさんは油断なく周囲を見渡して首を横に振る。

 ムカデは一匹だけではない。次から次へと世界の狭間から際限なく湧き出してくる。ガチガチと顎を打ち鳴らし、僕らに捕食者の目を向けている。


「まあ、安心しなさい。お姉さん、こう見えて結構強いんだから」


 不安を抱く僕の耳元で囁いて、オルディーネさんは背筋を伸ばしてムカデたちを睥睨する。そして、彼女の腕が軽やかに振るわれた直後。――どこからか飛来した六枚の赤い大盾が、次々とムカデを切り刻んだ。


「ふん、さっきは咄嗟に直接捻ったけど、この世界じゃいつでも武器が出せるのよ!」


 六枚の大盾はそれぞれが意思を宿したように緻密な連携を取りながら複雑に空中を駆け回る。ムカデたちもそれを避けようと蠢動するが、あまりにも速度が違いすぎた。猛烈な勢いで飛翔する大盾は、その縁の鋭利な刃で滑らかに甲殻を切り裂いていく。

 指揮者のように腕を振るオルディーネさん。彼女の指先で、赤い踊り子たちが苛烈に踊る。瞬く間に、周囲のムカデは細かな破片となって落ちていった。


「お、オルディーネさん。このムカデはいったい」


 平穏を取り戻し、一息ついた僕は疑問を投げかける。当然だけど、こんな禍々しい巨大なムカデが現れたという記憶はない。現実世界で見たことも聞いたこともない存在ならば、この記憶世界に特有のものなのだろう。


「情報抹殺情報遺伝子、通称“ミームイーター”。まあ言ってしまえば記憶消去剤の薬効そのものよ」


 それは精神や記憶といった人の脳の仮想的な概念に巣食う虫だという。精神感応を始めとした人のメンタルに影響を及ぼす超能力の研究とともに、その存在が知覚された。奴らは記憶を食らう。記憶世界そのものを破壊し、蹂躙する害虫だ。


「∀NEが使ってる消去剤も、あのミームイーターをアレコレして手懐けたものよ。任意に定めた範囲の記憶のみを綺麗さっぱり、食べ残しのひとつもなく完食する。けど、この辺りの記憶を貪ってた奴らはそこまでお行儀が良くなかったみたいね」


 現実世界においては精神と同様に概念的な存在にすぎないミームイーターも、記憶世界では姿と質量を持つ存在となる。そして、この世界を虫食いだらけにしたのも彼らというわけだ。

 自分の頭の中にこんな虫が巣食っていたと思うと、急に寒気がしてくる。


「さあ、怖がってる暇はないわ。この世界の恭太郎君を追いかけないと」

「そ、そうだった!」


 ミームイーターは再び現れる。しかし、僕たちは和毛恭太郎の行動を追わなければならない。ボードが地面に近づき、オルディーネさんは飛び降りる。ここから先はトウミメディカルの社屋内に侵入しなければならない。


「あまり私から離れないように。ミームイーターを見つけたらすぐに声を上げてね」

「わ、分かりました」


 二人の守衛が守るエントランスに飛び込み、セキュリティゲートを飛び越えて奥に進む。僕は赤い盾たちと一緒にオルディーネさんの背中を追いかける。

 トウミ精工の社員――釈堂さんの話では、僕は社屋に入った直後に消えた。僕自身は、すでにこの辺りの記憶は全く覚えていない。けれど、不思議と進むべき道は分かっていた。


「忘れたと思ってても、想起できないだけで案外脳は覚えてるのよ。この世界が完全な無になっていないのがその証拠。恭太郎君は一度、ここに来たことがある。見覚えはあるでしょう?」

「はい。既視感デジャヴみたいで奇妙な感覚ですけど」


 初めて見るはずなのに、見覚えのある廊下。その風景を見ると、細い糸を手繰り寄せるようにだんだんと記憶が浮かび上がってくる。それに呼応するように、虫食いだらけだった世界が少しずつ修復されていった。


「芋蔓式に記憶の修復が進んでるんだわ。恭太郎君、自分の直感を信じて進むのよ!」

「はいっ!」


 階段を駆け上る。向かう先は十二階。エレベーターはどちらも整備中だった。

 ああ、そうだ。幾重にも折り重なる階段を登る足の重たさを思い出した。慣れないスーツを着込んで、汗が首筋と額に滲んでいた。


「乗って!」

「うわっ!?」


 オルディーネさんが僕を掬い上げる。

 ボードは軽快に風を切り裂き、一気に十二階へと登り切った。


「いました! 僕です!」


 十二階の会議室。その重厚なドアに僕が入っていく。その扉がゆっくりと閉まり始める。オルディーネさんが盾の飛翔を加速させ、ドアに手を伸ばす。

 その時。


「オルディーネさん!」

「なっ!?」


 暗い亀裂が食い広げられ、その奥から太ったムカデが飛び出してくる。この辺りの記憶を思う存分食い散らかして、まだ食欲は収まらないらしい。それはガチガチと音を立てて威嚇する。


「こんな時に! 散れっ!」


 六枚の大盾が僕たちの真横を追い抜いていく。勢いよく飛来したそれは、そのままの速度で大ムカデの体に突き刺さった。――しかし。


「なっ!?」


 ガキン!

 ――ムカデの黒々とした硬い体が、盾の勢いを受け止める。火花が散るほどの衝撃を、その甲殻は傷一つなく受け止めていた。

 予想外の未来にオルディーネさんが舌を打つ。そして怯むことなく次々と盾を再び投げ込んでいく。


「あいつ、防御殻なんて持ってるわ」

「防御殻?」

「いっぱい食べて栄養つけたら、そのぶん虚無が広がる。そこでも活動できるように情報の侵蝕に耐性を付けるミームイーターもいるのよ!」


 弾丸のように射出される大盾。けれど、六連続で甲高い音が響き、全てが無駄に終わったことを知らせる。

 オルディーネさんの口ぶりからして、あの個体は硬い殻を持っている。けれどそれは物理的に硬いのではなく、情報的に硬いという意味であるはずだ。


「だったら!」

「ちょ、恭太郎君!?」


 この世界は、強く正確に念じることができるなら自由に物を生み出せる。僕はこの一週間、毎日のように昼夜を問わず触り続けてきたそれを手のひらの上に強く念じる。目を閉じていても、その手触りから中身まで全て分かる。だから、これは確かにここに存在する。


「オルディーネさん、これ投げて!」

「えっ!? ――分かったわ!」


 掴んだのは極薄の四角い金属板。メタリックな光沢と、黒いディスプレイ。指の間でそれを掴み、勢いよく前に投げる。オルディーネさんはすかさずそれを念動力で捉え、更に加速させた。


「食らえっ! テキスト、イメージ、オーディオ、その他諸々合わせて23TBの情報の塊だ!」


 銀色のタブレットは一直線に、太った大ムカデの腹を食い破る。だが、それだけでは終わらない。勢いよく突き抜けたそれはくるりと身を翻し、再びムカデへと迫る。慌てて回避しようと動いても、その先へと軌道を修正する。

 新見さんが積み上げた大量の企画書の電子データと、気が遠くなるほど膨大なマニュアル。その全てが詰め込まれた情報の塊だ。全てが情報によって構成されたこの世界では、大質量で押しつぶす凶悪な弾丸へと成り替わる。


「良くやったわ、恭太郎君! あんな情報量の塊、よく再現できたわね」

「電子化したデータは全部、覚えてますから」


 タブレットだけを生み出しても、それはただのタブレットでしかない。その情報密度は、僕が把握している範囲に限られる。

 だから、全部覚えて、全部思い出した。サイズにして23TB分の全情報を想起しながら、タブレットを生み出した。それによって、あの密度の弾丸となったのだ。


「オルディーネさん、会議室へ!」

「分かってるわ! 飛び込むわよ!」


 六枚の盾がぐるぐると回りながら、躊躇なく会議室のドアへと突っ込み、木っ端微塵に破壊する。

 絨毯敷きの立派な会議室。大きなテーブルが置かれ、椅子がその周囲を取り囲んでいる。

 室内には、数人の人影。そのうちの一つは僕だ。


「あっ、がっ――」


 和毛恭太郎は床に膝を突き悶え苦しんでいる。口から白い泡が溢れ、目の焦点が合っていない。その近くにはガラスのコップがひとつ転がっていた。周囲の人たちはトウミメディカルの人間だろう。僕がのたうち回っているのを静かに見下ろしている。


「そうだ。お茶を飲んだんだ」


 忘れていた記憶が浮かび上がる。

 長い階段を登り切って息を切らしていた僕は、会議室でお茶を勧められた。喉の渇いていた僕は、ありがたくそれを受け取って、そしてこうなったのだ。


「これに薬が混ぜられてたのね。けれど、どうして……?」

「ッ!」


 怪訝な顔をするオルディーネさん。

 僕は、苦しむ恭太郎を取り囲む大人たちの中に見覚えのある顔がある事に気がつく。


「オルディーネさん、僕この人のことを知っています。――そうだ。さっき街を歩いてた時に見たんだ。――路地の暗がりにいたところを見た。――それで、写真を撮った」


 顔の輪郭が朧げな壮年の男性。僕は彼を、この会社にやって来る直前に見た。それは特区の路地裏だ。さっき見た、虚無に埋め尽くされていた路地は、僕が見ていないから存在しないんじゃない。あそこだけ特に念入りに黒く塗りつぶされていたんだ。


「オルディーネさん!」

「記憶は取り戻せたみたいね。それじゃあ、帰るわよ」


 恭太郎は苦しんでいる。絨毯を掻きむしり、悶えている。

 けれど、僕たちはそれを助けることはできない。響き渡る自分の絶叫に後ろ髪をひかれながら、僕はオルディーネさんと共に窓ガラスと突き破って外に飛び出す。そして、急転直下。勢いよく地面に向かって墜落した。

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