第23話「繋がる記憶の痕跡」

 自由落下よりも速い速度で迫るアスファルト。そこに頭から衝突して、頭蓋骨の砕ける生々しい感覚。視界が赤く染まり、白い閃光が走り。そして暗転。


「――はあっ!?」


 衝撃で飛び起きると、そこは∀NEの医療部だった。僕はベッドの上に寝かされ、手首や指先、頭にいくつものケーブルが取り付けられている。


「やあ、無事に起きたみたいだね」

「レザリアさん……。死んだ気がするんですけど」

「あっちで死ねば、こっちで生き返る。何にせよ、無に落ちてしまわなかったようで何よりだよ」


 ベッドサイドのモニターを見て、バイタルに異常がないことを確認したレザリアさんは満足げに頷く。彼女の超能力、精神感応サイコメトリーで過去の記憶世界へと送られた僕は、無事に現実世界へ戻ってこれたらしい。

 正直、あまりにも記憶世界がリアルすぎて、ここが本当に現実なのかはまだ疑わしいのだけれど。


「心配なら、コマでも回してみるかい?」


 僕の体からブチブチとケーブルを引き抜きながら、そう言ってレザリアさんはくつくつと笑う。

 その段になって僕は、隣のベッドが空になっていることに気が付いた。


「そうだ、オルディーネさんは?」

「彼女なら一足先に起きてるよ。大体20分前くらいかな。」

「ええっ!? い、一緒にビルから飛び降りたと思ったんですけど……」

「フィクションでもよくある話だろう? 記憶世界と現実世界じゃあ、時の流れも違うのさ」


 とにかくオルディーネさんも無事に戻ってくることができたらしい。記憶を食い散らかすムカデ――ミームイーターに襲われながらも、なんとか生きて帰ってくることができた。ほっと安堵のため息を吐くと、脈拍が少し落ち着いた。


「オルディーネさんは今どこに?」


 病室内に彼女の姿は見当たらない。


「着替えてくるって言ってたけどね。まあ、そのうち戻ってくると――」

「恭太郎君!」


 レザリアさんの言葉を遮って、ドアの方から名前を呼ばれる。顔を向けると、そこにはスーツ姿の折手さんが立っていた。急いで走ってきたのか肌が少し汗ばんでいるし、ストレートな銀髪も少し乱れている。


「良かった、目を覚ましたのね」

「うわっ!? は、はい。オルディーネさんのおかげで……。あ、オルディーネさんは一足先に目覚めたみたいで、また戻ってくるらしいんですけど」


 折手さんはベッドまで駆け寄って、身を乗り出して僕を抱きしめた。あまりに大胆な行動に驚きながら、混乱を誤魔化すようにオルディーネさんの話をする。


「くふっ。オルディーネも来るといいねぇ」


 すると、なぜかレザリアさんが口元を押さえて笑う。折手さんは僕を解放すると、頬を掻きながら口を開いた。


「お、オルディーネならさっき廊下で会ったけど、急用が入ったとかで行っちゃったわ」

「ええっ、そうなんですか!?」


 なんてことだ。やっぱり戦闘部のトップともなれば息つく暇もないのだろうか。それなのにわざわざ僕のために時間を割いてくれたなんて。


「あの、もしオルディーネさんに会ったら、お礼を伝えてくれませんか。オルディーネさんのおかげで、僕は忘れていたことも思い出せたんです」

「え゛っ。あ、うん。ちゃんとしっかり伝えておくわ」


 折手さんも忙しいだろうけど、僕の頼みを快く引き受けてくれる。

 二人は日常的に顔を合わせているらしいし、僕に機会が巡ってくるのを待つよりも確実だろう。


「さ、二人とも。安心してるところ悪いけど本番はここからだよ」


 ぱふぱふ、と袖に包まれた手を叩いて、レザリアさんが注目を集める。

 彼女はベッドの周りの機材を片付けて僕のベッドの縁に腰を下ろす。そして顔だけこちらに向けて僕を見つめる。彼女は白衣のポケットをまさぐると、その中から見覚えのあるスマホを取り出した。


「あっ、それ。僕の」

「勝手に拝借させて貰ったよ。オルディーネから、何を見たのかは大体聞いたからね」


 それは、僕が特区外に住んでいた頃から使っている携帯電話だった。普通の、いやちょっと型落ちのスマートフォンで、それ自体には特段変わったところはない。問題なのは、僕がそのスマートフォンのカメラ機能を使って、何かの写真を撮ったことだ。

 トウミメディカルで待ち構えていた誰かが、その直前に町の路地で何かをしているのを、偶然画面に収めてしまった。そのことが発覚して、僕は記憶を消されたのだ。


「あれ? でも、もしかしたらデータは消えてるんじゃないですか?」

「そうだね。カメラロールにはそれらしい写真は残っていなかった。ていうか和毛君、毎日の食事が変わり映えしなさすぎじゃないかい?」


 当然のようにパスワードは突破されて、中身はすでに確認されていた。限界独身大学院生のスマホの中身なんて、そんなに特別なものはない。出てくるのは、毎日惰性で撮っていた食事の写真くらいなものだ。


「い、一緒に写真を撮るような人もいませんし」

「恭太郎君、彼女いないの?」

「いませんよ。そんな暇も余裕もなかったですし」


 何故か折手さんが食いついてきて、羞恥を覚えながら頷く。


「ふーん」


 折手さんは何やら興味深げに頷いていた。何か気になることでもあるのだろうか。


「まあ、とにかく記憶まで消す連中だ。スマホのデータくらい消して当然だろう」


 折手さんを尻目に、レザリアさんが続ける。

 僕がファミレスで目を覚ました時、トウミメディカルとやり取りしたメールも消えていた。それと同じようにして、完全に痕跡を消してしまったのだろう。けれど、レザリアさんは不敵な笑みを崩さない。彼女が画面をスクロールすると、見覚えのない写真――特区の街並みを写したものがいくつも出てくる。


「こっちは記憶も復元できるんだ。スマホのデータくらい、復元できて当然だろ?」


 そう言うレザリアさんの表情は得意げで、白衣の下の胸も大きく反り返っていた。どんな手品か超能力か、少なくともデータは無事に復元された。

 そして彼女はスマホを近くのモニターとケーブルで接続し、その画面を映し出した。独身男性の侘しい食事の写真が大きく映し出されて恥ずかしがっていると、レザリアさんは一枚の写真を選んで全画面に表示する。

 ビルの一階のテナントに入った、アイスクリーム屋さん。冷却能力者クライオキネシストの瞬間凍結アイスクリーム(バニラ味が大体1300円相当)が看板商品のお店だ。店先に立った青髪のお兄さんが細かな氷を空に散らして、キラキラと輝いている。

 そのすぐ側、ビルとビルの隙間の薄暗い路地に数人の人影が映り込んでいた。


「この人たちは?」

「一人は分かってる。会議室で和毛君に薬を飲ませた奴だ。トウミメディカルの営業第二部長、里中ヨウジだった」


 オルディーネさんが目覚めてから数えてもまだ30分も経っていないはずなのに、レザリアさんはすでにそこまで情報を握っていた。折手さんも少し驚いた様子で、スラスラと名前まで述べたレザリアさんに感心する。


「ま、調べたのはわたしじゃない。∀NEの情報部を褒めてやってくれ」


 悪の秘密組織というだけあって、そのあたりの調査はお手のものということだろうか。


「それで、この人たちは何をやってるんですか?」

「さてねぇ。里中と話してる男たちに関しては、町中に張ってる網にも掛かってない。情報部が駆けずり回って調べてくれているから、それを待つしかないだろうね」


 トウミメディカルは、この程度の写真を偶然にも撮ってしまった僕の記憶を消すほど、何かを警戒している。おそらく、それだけの理由があるはずだ。

 レザリアさんも折手さんも、画面に映し出された男たちの影を見つめて、口を結んでいる。

 その時、不意にバイブ音が室内に鳴り響く。なんだろうと見渡すと、レザリアさんが懐から別の携帯端末を取り出していた。どうやら、彼女の端末に着信が入ったらしい。画面を見ていた彼女は、眼鏡の奥の瞳をかすかに揺らす。


「どうかしたの?」


 折手さんが怪訝な顔を向ける。


「出張中のチームから連絡だ。山本ヒロシの記憶を掘り返せたようだよ」


 何のことか、側で聞いているだけでは分からない。しかし、山本ヒロシという名前には聞き覚えがある。商店街を襲い、オルディーネさんが鎮圧した超能力者、パイロキネシストだ。確か名前は――。


「クリムゾンファイア!」

「そうだ。そのクリムゾン君の記憶を探った結果、なかなか面白いものが見つかったらしい」


 レザリアさんは、僕のスマホを繋いでいたケーブルを自分の方に差し替える。ディスプレイに映し出されたのは、一枚の写真。山本ヒロシの記憶世界だろうか。虫食いの激しい街並みの中で、彼は誰かから何かを受け取っている。


「こいつ!」


 折手さんがはっと声を上げる。遅れて、僕も山本ヒロシと対面する男性の姿に思い当たった。


「これ、トウミメディカルの!」

「妙なところで繋がったみたいだねぇ」


 山本ヒロシに小さな四角いケースのようなものを手渡す、スーツ姿の壮年の男性。名前は分からない。顔立ちも画像が無鮮明で曖昧だ。けれど、そのシルエットや纏う雰囲気から、間違いはなかった。

 彼は、路地裏で怪しい男たちと取引をして、会議室で僕に薬を持った男だ。

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