第19話「入り乱れ、混濁して、捻れて」

 締め切った喫茶店から僕を救出してくれたオルディーネさんは、そのまま盾に乗って町中を駆け抜け、あっという間に追っ手を撒いてしまった。そして、僕たちは路地裏の壁に隠された秘密のエレベーターを使って、地下にある∀NEの基地へと帰還する。


「和毛君、怪我はない? 一応医療部に連絡はしてるから、そこでしっかり検査を受けてもらって、そのあとは――」

「あ、ありがとうございます。オルディーネさん」


 エントランスに辿り着いた途端、オルディーネさんは僕の全身をぺたぺたと触って怪我がないか確かめる。とはいえ、釈堂さんたちには乱暴なこともされていないし、逃避行の最中もオルディーネさんがしっかりと守ってくれていたから、擦り傷ひとつ負っていない。

 そのことを確認した彼女は、今度こそ心の底から安堵した様子で胸を撫で下ろした。


「和毛君に怪我がなくて良かったわ。――まさかセブンレインボーズの奴ら、こんなマナー違反を起こすなんて」


 軽く力を抜いた直後、オルディーネさんは仮面の下の瞳を恐ろしい色に変え、ドスの効いた低い声を響かせる。

 釈堂さんの所属する企業、トウミ精工は極光戦隊セブンレインボーズのスポンサーだ。セブンレインボーズといえば、∀NEのライバルとしても知られており、頻繁にヒーローバトルで衝突していることでも有名だった。

 けれど、オルディーネさんにしても、まさか僕みたいな下っ端研究員に敵が接触してくるとは思わなかったらしい。「ヒーローが聞いて呆れるわ」と怨念の籠った言葉を呟いている。


「とにかく、和毛君は医療部に行きましょう。その後は何を聞かれたのかの調査があるけど……」

「あ、あの!」


 僕の手を掴み、医療部へと歩き出すオルディーネさん。僕は彼女に向かって声を上げた。怪訝な顔で振り向く彼女に、今言っておかなければならないことを伝える。


「その、ありがとうございます。助けてくれて。――二度目、なんですよね」

「っ! そんな、何を」


 確証はなかった。けれど、オルディーネさんの表情が、仮面越しにも分かるくらい大きく変わって、僕は赤銅さんの言葉が正しかったことを知る。

 一週間前。僕がなぜか記憶を失っている日。その日、突然戦闘区域に現れた僕は、セブンレインボーズ対∀NEのバトルに巻き込まれた。

 超能力者の中でも特に強力なヒーローとヴィランが鎬を削るヒーローバトルは、その余波でも一般人にとっては危険なものだ。ただの無能力者でしかない僕は、そこで瀕死の重症を負った。

 そんな僕を助けてくれたのは、オルディーネさんなのだ。


「正直、全然覚えてないんです。体には傷跡一つ残っていないし、実感もありません。――でも、さっき逃げる時、オルディーネさんに抱き抱えられた時の感触は、初めてとは思えなかったんです」


 記憶が戻ったわけじゃない。何か理由を語れるわけではない。

 けれど、記憶ではない何かが確信していた。僕は、以前オルディーネさんに助けられたことがある。


「……いいえ、勘違いよ」


 しかし、目の前の彼女はそれを否定する。長い銀髪を揺らし、ゆっくりと首を横に振る。


「私は貴方を助けたことはない。私と貴方は、今日が初対面なんだから」

「そう、ですか」


 きっぱりと断言されてしまえば、それ以上なにも言えなくなる。

 オルディーネさんは僕の手首を掴んだまま、基地の複雑な道を進む。辿り着いたのは、∀NE後方支援部の医療施設。ずらりと医療機器の並んだ広い部屋の前で待ち構えていたのは、レザリアさんだった。


「やあ、和毛君。厄介なことに巻き込まれたみたいだね」

「レザリアさん。医療部って、レザリアさんが管理されてるんですね」


 てっきり彼女は第一研究室の室長だけを務めているものだと思っていて、つい驚きの声を上げてしまう。すると彼女は袖の余った腕を振って、眼鏡の奥の目を細めた。


「わたしは後方支援部長だからねぇ。第一研究室の室長でもあるし、医療生物工学科の科長でもあるし、資材調達部長なんかも兼任してる。あと、一応戦闘部の末席にも座らされてるよ」

「なんなら戦闘部のナンバー3じゃないのよ」


 いつもの調子でニヤニヤと笑うレザリアさん。彼女の言葉を横で聞いていたオルディーネさんが呆れた顔で、聞き捨てならないことを言い放った。


「レザリアさんってそんなに強かったんですか!?」

「そうよ。基本裏に引っ込んでるから滅多に出てこないけど」

「何が嬉しくて自分から傷付きに行くんだい」


 今明かされる衝撃の事実に愕然とするも、レザリアさんは面白くなさそうに鼻を鳴らす。鮮やかなピンク色の髪から何かしらの超能力を持っているとは思っていたけれど、そんな実力者だったのか……。


「はいはい。それよりも今は自分のことを心配するんだね。とりあえず検査をするから、服を脱ぎなさい」

「えっ、ちょ、うわぁっ!?」


 レザリアさんがパチンと指を鳴らすと、どこからか長いマシンアームが伸びてきて、あっという間の僕の服を剥ぎ取っていく。オルディーネさんはそっと目を逸らしてくれているけれど、チラチラと覗いている様子が隠せていない。


「検査ついでに事情聴取も進めるけれど、向こうからは何か言われたりしたのかい?」

「ひっ、うわっ!? ちょ、ちょっと止めて――」


 パンツまで剥ぎ取ろうとしてくるマシンアームと格闘しながら、レザリアさんの問いにも答える。


「――釈堂さんが言うには、僕は一週間前の一日の記憶を全て失っています。そしてその日、つまり特区に入ってきた初日、妙な動きをしていたようで」

「妙な動き?」

「僕はトウミ精工の子会社である トウミメディカルの面接のため、特区にやって来たそうです。ですが、その日僕は トウミメディカルの社屋を訪れた直後に行方をくらませたとかで……」

「なるほど」


 ぱちん、と指が鳴らされ、無慈悲なマシンアームが動きを止める。

 気がつけば、レザリアさんとオルディーネさんの表情が険しいものに変わっていた。視線で話の続きを促され、再開する。


「その後の記録は釈堂さんも捉えておらず、僕は行方不明に。そして、その日の夜に行われたヒーローバトルの戦闘区域に、前触れなく突然出現したと」


 自分で言っていてもにわかには信じられない。この話だけ聞くと、僕の動きには怪しさしか見当たらない。

 目の前の女性二人は何か真剣な表情で考え込んでいる。僕はひとり、パンツ一丁で取り残されて、肌寒い思いをしていた。


「――少し、我々は手痛いミスを犯してしまった可能性があるね」

「記憶消去剤の用量と用法は適正だったのよね?」

「確実にイエスと言える。そのあたりはヒューマンエラーの発生し得ないシステムになっているからね」

「となると、記憶消去範囲以前の記憶から、彼は失ってることになるわ」

「……つまり、我々の前に誰かが彼の記憶を消したということか」


 僕に背中を向けたまま、二人は話し込んでいる。その声は聞こえないが、僕のことについて何か議論しているのだろうか。もしかして、敵に攫われるようなクソ雑魚研究員はリストラ、なんて話でもしているのかもしれない。

 想像が嫌な方向へと進んでいき、一人で勝手に落ち込んでしまう。どんよりと両肩に重みを感じて、近くに置いてあったベッドの縁に腰を下ろしていると、ようやく話を終えたレザリアさんたちがこちらへ振り返った。


「やれやれ、少し大変なことになってしまったみたいだね」

「な、何かまずいことが?」

「ああ。とてもまずい」


 レザリアさんのきっぱりとした言葉に、僕は最後通牒を突き付けられたような気持ちになる。断崖絶壁の縁に立たされ、荒れる海を見下ろしている気分だ。


「す、すみません……。僕のことは、煮るなり焼くなり好きにしてください。何でもしますから」

「な、何でも!?」

「……オルディーネ」


 レザリアさんの呆れたような声。顔を上げれば、オルディーネさんが恥ずかしそうに明後日の方向を向いて空咳をしていた。


「和毛君、どうやら君を取り巻く環境は少々複雑になってしまっている。今から、その糸を解きほぐし、忘却の彼方に隠されたものを調査しようと思う」

「は、え?」


 僕を見て語るレザリアさんの言葉はあまり理解できない。けれど、隣に立っていたオルディーネさんはこれから始まることを知っているのか、真剣な表情だ。


「いったい何が始まるんですか?」

「――今から君には、オルディーネと共に記憶世界へと潜ってもらう」

「はい?」


 レザリアさんの繰り出した説明は、更に理解の追いつかないものだった。

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