第16話「有益なアドバイス」

 クリムゾンファイアの襲撃以降の数日、思っていたよりも平穏な日々が続いていた。僕は相変わらず第三研究室で分厚い資料を読み込んでいるし、折手さんも忙しそうにしているものの、毎日出勤と退勤に付き添ってくれている。

 目下のところ僕の頭を悩ませているのは、二日後に迫ったプレゼンテーションのことだった。新見さんに頼まれたのは、新しい戦闘用バイオロイド――怪人の企画案。彼女はどんなに些細なものでもいいと言ってくれたけれど、それを捻出するのは予想以上に困難を極めていた。


「うーん。オクトリア・ペータパスコル現実性固定化理論を用いたクオリアの実体的顕現技術の応用……。いや、これももう類似のアイディアが……」


 デスクに積み上がったファイルの山と、三枚に増やしてもらったパソコンのディスプレイ、さらに手元にはタブレット。それらに表示しているのは、過去に新見さんが考案した新型怪人の企画書と、それに使われた様々な技術(その中には超能力由来のいわゆる超技術パラテックも含まれる)の論文だ。

 やる前から薄々分かっていたけれど、数日前に入社したばかり、それも特区外で生まれ育った一般人の僕が考えつくようなアイディアは、だいたい新見さんがすでに検討しているのだ。おかげで画期的なアイディアを思いついたと思っても、念の為資料を検索すると似たようなものがすでに出てくる。当然、その企画書はリジェクト済みだ。


「うーん……。あっ」


 脳がグチャグチャになってまともに思考が回らなくなってくる。ふと時計を見ると、ちょうどお昼休憩に入る時間だった。


「新見さん、今日は何がいいですか?」

「ふぇっ!? あ、じゃ、じゃあ……ナポリタンで」


 ここ数日ですっかり新見さんの食事を用意するのにも慣れてきた。と言ってもいつの間にか冷凍庫に補充されているパスタを解凍するだけなんだけど。どうやら新見さんはパスタが好きなようで、トマト系からクリーム系、ミート系からシーフード系まで、様々なパスタがぎっちりと冷凍庫に搬入されていた。

 もちろん、どれもこれも安定のシロガネフーズ系列企業の製品だ。系列店の社割も効くということで、僕もすっかり胃袋を親会社に掴まれてしまっている。

 レンチン解凍されたナポリタンを紙トレーごと新見さんのデスクに運ぶ。彼女もようやくタブレットの使い方に慣れてくれて、今朝はなんと僕がケーブルを用意しなくても自分で充電できるようになっていた。


「それじゃあ、僕もお昼行って来ます」

「う、うん。気をつけて、ね」


 フォークを握ったまま手を振る新見さんに見送られ、研究室を出る。エアシャワーの通路を抜けて廊下に出ると、銀髪の女性が目の前に立っていた。彼女が僕の顔を見ると、ぱっと花が咲いたように表情を柔らかくする。


「お待たせしました、折手さん」

「う、ううん。私も今来たところだから!」


 クリムゾンファイアの一件があった翌日、折手さんが台無しになってしまったランチミーティングをもう一度、と言うことで誘ってくれた。それ以来、なぜか毎日彼女とのランチミーティングという名の雑談が続いている。


「いつもすみません。折手さんも忙しいのに」

「いいのいいの。後輩なんて久しぶりだから、先輩風吹かせたいのよ」


 入り組んだ通路を歩きながら、折手さんはいつもそう言って頼らせてくれる。相変わらず僕にはなかなか昼食代を出させてくれないし、本当に至れり尽くせりで申し訳ないくらいだ。

 エレベーターに乗って地上に出て、向かった先はステーキハウス。折手さんは早速、500グラムのハンバーグをデミグラス、おろし醤油、トマトソースの三種類で、それに加えて250グラムのステーキを二枚、流れるように注文した。山もりのライスとサラダも忘れていない。

 ここ数日のランチミーティングで分かったのは、折手さんがとても食欲旺盛だということ。初日のタワーみたいな海鮮天丼も、あれでかなり抑えていた方だったらしい。いつだったか食事を終えて職場に戻る途中で彼女のお腹が鳴って以来、満足できるだけの量を最初から頼むようになっていた。


「それじゃあ、ハンバーグ&ステーキランチセットを、和風おろしで」

「大丈夫? 遠慮しなくていいのよ?」

「僕はこれで十分なので……」


 そしてもう一つ分かったことがある。折手さんは何かにつけて僕に食べさせようとしてくる。僕は無能力者の一般人なので、ハーフサイズのハンバーグと五切れのステーキだけでも満腹気味になるのだが、彼女はなかなかそれを信じてくれないのだ。

 昨日、回転寿司に行った時は、十皿で止まっていると「遠慮しないで!」と言われて無限に皿が出てきて思わず悲鳴を上げてしまった。


「それで、企画の方はどう?」


 拳二つ分は軽く上回るハンバーグにナイフを差し込み、拳一つ分にしたそれを一口で食べた後、折手さんが話しかけてきた。

 お昼を一緒に食べるなかで、折手さんは毎日僕の様子を窺ってくれていた。困っていることがあったら何でも言って、という彼女のありがたい言葉に甘えて、僕も素直に弱気な言葉を吐き出す。


「なかなか厳しいですね。複雑な迷路を解いていて、ここだと思った道の先に絶対新見さんがいるような」

「ふふっ。新見ちゃんも頑張ってたからね、やっぱり上司の背中は大きいみたいね」


 まったく、その通りだ。僕が初めて第三研究室にやって来た時、部屋の大部分を埋め尽くしていた紙の束は、ただの悪い冗談ではない。あれの一枚一枚が、新見さんの試行錯誤の足跡なのだ。ぽっと出の新人が、すぐに追いつけるものではない。


「折手さんって、オルディーネさんとも仲がいいんですよね。戦闘部から何か要望は上がってないんですか?」

「そ、そうねぇ……」


 戦闘部は案外忙しいのか、今までオルディーネさんと直接会えたことはない。そもそもヒーローバトルというのは、特区外に中継されているものよりも遥かに高頻度で行われているらしく、彼女も大量の怪人を引き連れて東奔西走しているのだとか。

 結局、オルディーネさんの動向を掴んでいる折手さんに頼るしかない。


「正直、要望があったら第一研究室のレザリアに伝えちゃうのよね。そしたら三日位で修正入ってるから」

「ええ……。なんとなく分かってましたけど、レザリアさんたちってすごいんですね」

「そりゃあ、特区内でも一線級の研究者だからね」


 新規案がなかなか通らない原因でもあるから、第三研究室所属研究員としては複雑な思いがある。レザリアさんたち第一研究室の技術力が高すぎて、新たに怪人を生み出さなくても、今あるものを改良するだけで事足りてしまうのだ。


「でも、課題がないってわけでもないのよ」

「そうなんですか?」


 折手さんの口から飛び出した意外な言葉に、思わず身を乗り出す。彼女はもったいぶるように――多分、実際のところは我慢できなかっただけだろうけど――ステーキを口に運び、もぐもぐと咀嚼して飲み込む。脂で艶々の唇を緩く曲げて、続きを話してくれた。


「∀NEの基本戦法は数十から数百規模の怪人による飽和攻撃よ。ただ、相手方もそれに慣れてきたみたいで、対抗策が固まってってるのよ」

「対抗策、ですか?」


 折手さんは頷く。そして、まるで目の前で実際に見たかのような実感のこもった調子で、詳しいことを語り始める。


「たとえば、町の構造を活かした分断作戦とかね。できるだけ戦力を分けざるを得ない状況に誘導して、各個撃破を狙うの。あと、指揮官が潰されたら終わりだから、そっちを狙える超遠距離狙撃手段を考案したり」


 怪人は量産可能な上に平均的な超能力者よりもさらに強力な戦力だ。けれど、それらは指揮官を頂点にしたネットワークによって結合され、指揮官の命令によってのみ動く。鉄血将軍オルディーネや、その下に連なる戦闘部の職員は、そういう指揮官としての仕事をこなすことが多い。つまり、大きな群れのボスであり、弱点となる心臓部でもあるというわけだ。

 ∀NEにバトルを申し込むヒーロー陣営はかなり多い。彼らは手を変え品を変え、様々な戦術を考案する。そして、最近はその戦術がうまく嵌ってしまい、∀NEとしてバトルに敗北する割合も多くなって来ているという。


「そ、そうだったんですか……。すみません、勉強不足で」

「過去の企画書から見て学ぶのも大切だけど、たまには実際のヒーローバトルを見てみるのもいいかも知れないわよ。和毛君が見てるのに、負けちゃったらちょっと恥ずかしい――ってオルディーネも言うかもしれないけど!」

「あはは。オルディーネさんとは直接お会いしたこともないですし、僕のことは知らないと思いますよ?」

「そ、そうね……うん……」


 ともあれ、折手さんの言うことももっともだ。実戦を見ることで分かる怪人の課題も見つかるかもしれない。ここ最近は家に帰れば泥のように眠る日々で、余裕もなかった。たまには元々の趣味を振り返るのも良いだろう。

 アドバイスをくれた折手さんにお礼を伝えようとした矢先、不意にコール音が鳴る。素早くスマホを取り出したのは折手さんだ。彼女は発信者を見ると、少し焦った様子で応答する。


「はい。ええ……。はい? ――分かったわ。すぐに向かうから」


 何やら緊急の案件でも入ったのだろうか。通話を切った彼女は、まだ残っていた料理をかき込むように完食すると、勢いよく立ち上がる。


「ごめん、和毛くん。ちょっと急用が入っちゃって。一人で戻れる?」

「それは大丈夫ですけど……」

「じゃ、お先に。ごめんね!」


 そう言って、折手さんは飛ぶように出て行ってしまった。どうやらかなり緊急を要することがあったらしい。やっぱり、折手さんはかなり忙しいのだろう。それなのに合間を縫って時間を作ってくれた彼女には感謝してもし足りない。

 時計を見れば、いい時間だ。僕も残りを食べ終えて店を出る。一人で研究室に戻るのは数日ぶりだけど、流石にもう道順も覚えている。


「――あれ、君は」

「え?」


 エレベーターのボタンを押そうとしたその時、背後から声を掛けられる。

 振り返った先に立っていたのは、見覚えのない男性だった。

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