第12話「新人脱却のために」

 業務二日目。まだ第三研究室までの道は全く覚えられず、折手さんにわざわざ案内してもらった。彼女は「ま、毎日案内してあげてもいいのよ!」と言ってくれたけれど、彼女もかなり忙しいだろうし、頑張って一日でも早く覚えなければ。


「おはようございまーす」


 そんなわけで職場に足を踏み入れると、その瞬間に違和感を抱く。足の踏み場もないほどにエントロピーが増大している部屋。昨日一日かけて書類をデータ化していたから、もっと片付いていたはずだけど……。

 どうしてこんなに混沌としてしまっているのだろう。首を捻りながら、研究室の奥へと踏み込む。天井まで迫る巨大な山の向こうに、室長たる新見さんの……巣? があるはずだ。


「新見さん。おはようございま……す?」

「すぅ……すぅ……」


 恐る恐る覗き込んだ僕の視界に飛び込んできたのは、堆積した書類に埋もれるようにして眠る巨大な芋虫。いや、モスグリーンの寝袋に包まって眠る新見さんだった。

 この人、まさかこの部屋で一夜を過ごしたのか。いや、以前から研究室で寝泊まりしているという話は聞いていたけれど。ドアの開け方はちゃんと教えたはずなのに。


「新見さん、始業時間ですよ」


 穏やかに眠っている新見さんにそっと声をかける。だが、それだけでは起きる気配は全くない。そっと寝袋に手を乗せて揺らす。


「んっ、ふぁ……」


 妙に艶かしい吐息を漏らしながらも、新見さんは全然起きない。というか、目元にくっきりと隈が浮かんでいる。もしかして夜通し何か作業していたのだろうか。


「新見さん、起きてくれないと何もできないんですけど」


 指示待ち人間と言うなかれ。こっちは昨日入社が決まった新人なのだ。この混沌に下手に手をつけて取り返しのつかない事態に陥ることの方が避けなければならない。

 少し強めにゆさゆさと新見さんの体を揺らすと、もぞり、と寝袋が大きく寝返りをうった。うつ伏せで眠っていた新見さんが仰向けになる。


「新見さ――うわぁっ!?」


 もう少しで起きそうだと希望を持った直後、僕は思わず大きな声を上げてしまう。

 縦一直線に走る寝袋のジッパーが大きく開き、新見さんの胸元が顕になっている。自然と視界に飛び込んできたのは、白と黒のコントラスト。ほっそりとした鎖骨の浮き出た胸元と、それを包む黒い薄布。それは、昨日見た覚えのあるものだった。


「ん? うぅ、うわ、うわあああああっ!?」

「ご、ごめんなさい!」


 微睡んでいた新見さんが目を覚ます。数秒、硬直。その後、つんざく悲鳴。

 我に返った僕は慌てて後ろを向く。新見さんも飛び跳ねるように起き上がり、近くに落ちていた白衣に袖を通す音が聞こえた。


「ご、ごごご、ごめんね! 変なもの見せちゃったね!」

「い、いえ……。その、新見さん」


 わたわたと服を着込んでいる新見さんに、冷静になりながら声を掛ける。彼女の白い肌と黒い下着を見てしまったのは非常に申し訳ないけれど、僕はそれ以外のところに視線が向いていた。

 浮き出た鎖骨に挟まれるようにして、ほとんど皮膚と溶けるように埋め込まれた、赤黒い異物。メタリックな光沢を放つ円環に半透明の水晶玉のようなものが嵌め込まれていた。およそ人体にもともと存在するものとは思えない。


「その、胸元のって」

「こ、これは……」


 昨日は白衣とその下に来ていた黒いシャツで隠れて見えなかったのだろう。

 もう着替え終わったかと思って振り返ると、新見さんは白衣を羽織ったままシャツをずらして、胸元のそれを見せてくれた。


「か、怪人制御用の、た、端末だよ」

「怪人制御用の端末?」


 言葉の意味が理解しきれず、そのままオウムのように繰り返す。新見さんはこくりと頷き、近くの山へ手を突っ込んだ。


「ええと、このあたりに……あれ?」


 ガサゴソとまさぐり、何かを探す。たっぷりと時間をかけてようやく見つけ出したのは、彼女のタブレット端末だ。新見さんがペタペタと画面をタップするが、なかなか応答しない。


「あ、あれ? おかしいな、昨日は使えたのに……」

「充電、できてます?」

「あっ!」


 ……充電ケーブルと接続し、枯渇したバッテリーに電気を送る。なんでこの人、研究者なのに充電できないんだろう。

 ともかく、無事復旧したタブレットを使って、新見さんが何かの書類を見せてくれた。タイトルは『バイオロイドの相互通信ネットワークによる効率的な制御方法について』というものだ。

 ざっと読んだところ、悪の秘密結社∀NEの主力となっているバイオロイドは、体内にネットワークモジュールが埋め込まれており、それを一元的に管理しているのが、新見さんの胸元にあるコアと呼ばれる親機らしい。脳波感応コントロールによって、攻撃目標の指定や移動方向の制御などが、素早く簡単に行えるという。


「わ、わたしが付けてるのは、し、試作機だけどね。おお、オルディーネとか、戦闘部の幹部は、せ、正式採用品を、つつ、付けてるよ」


 ∀NEの基本戦法は大量のバイオロイド――怪人を投入した大規模戦闘。それを行うには、怪人達を強く統率できなければならない。新見さんの胸にある装置は、指揮伝達能力を高めるものらしい。


「あれ? でも、どうして新見さんがそんなものを?」


 戦闘部――つまり直接ヒーローバトルを行う部署の人が親機を付けているのはまだ分かる。けれど、新見さんは後方支援部、裏方の部署だ。彼女がヒーローバトルの現場に出てきたという話は知らない。


「か、怪人の開発にも、必要だから」

「なるほど。そういうことでしたか」


 短い説明だが、それで十分理解できた。

 第三研究室の役割は、新たな怪人を開発すること。その過程で、怪人が統率下に置けるかどうかも確認しないといけないということだろう。

 ということは、僕もそのうち、このコアを胸元に埋め込む日が来るのだろうか。少し恐ろしいような、楽しみなような。指先ひとつで大量の怪人を操れるというのは、まるで超能力者じゃないか。


「新見さん、僕も頑張りますね!」

「えっ? う、うん」


 思わず新見さんの手を取って、強く意気込む。彼女は頬を赤くしながら、こくりと頷いた。

 そして、彼女はまた巣の中に手を伸ばし、何かを探して取り出す。それは、真新しいタブレットだった。


「こ、これ……。助手くんの」

「いいんですか?」

「う、うん。研究員は、ひとり、ひとつ、も、持ってるから」


 受け取ったのは、僕専用のタブレット端末。ちゃんと充電もしてある。生体認証を終えて起動させると、すぐにでも使えるような状態にあった。


「そ、そこにマニュアル、全部……」

「入れてくれたんですか!?」


 新見さんがここで寝ていたのは、まさかこのタブレットをセットアップするためだったのだろうか。機械は苦手だと言っていたのに、わざわざ――。


「入れておけば、便利だと思う」

「え?」


 どかん、と目の前に分厚い書類の束、むしろ山と呼ぶ方が相応しいような質量の塊が置かれる。


「えっ」

「こ、これ、怪人開発の資料。い、一週間あれば、覚えられる?」

「いっしゅうかん」


 いったい何万ページあるのかすらも分からない大量の紙。これを一週間で覚えろと、僕の上司は言っているのだろうか?


「一週間後に、あた、新しい怪人のアイディア、聞きたい」

「えっ」


 いや、もっとすごいことを求められている。

 一週間以内にこの資料を全て読み込んだ上で、新しい怪人について考えなければならない。一週間で第三研究室の研究員として働けるようになれと、求められている。


「できない?」


 目元の隠れた上司が首を傾げる。表情はほとんど見えないが、口元が怪訝な形になっている。

 そうだ、僕は悪の秘密結社∀NEの職員になったのだ。しかも、(おそらく)人事部の幹部である折手さんから直々にスカウトされて。だったら、折手さんや新見さんの期待に応えなければならない。


「できます! やってみせます!」

「わ、ほんと? よかった」


 ぎゅっと新見さんの手を握り決意を表明する。

 一日も早くコアを貰うのだと決めたばかりだ。この程度のこと、できて当然だろう。


「あ、あとは、お部屋の片付けも……」

「え゛っ」

「だめ、かな?」

「が、頑張ります!」


 職場の環境を整えるのも、新人の役割だろう。それに、僕自身この職場では資料読みも捗らなさそうだ。とりあえず、自分のデスクくらいは発掘しておきたい。


「そ、それじゃあ、今日もお仕事、がんばろ」

「お、おー!」


 新見さんの口元がふわりと笑う。

 そんな彼女につられるように、僕も拳を掲げて気合いを入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る