第13話「ランチミーティングの闖入者」
ドアのコンソールがアラートを鳴らし、誰かがエアシャワーに入ってきたことを知らせる。すぐに第三研究室の扉が開き、奥から折手さんが現れた。
「や、やっほー和毛君! ランチミーティングとか、やってみない? って、うわぁっ!?」
ひょっこりと入ってきた折手さんは、研究室の中を見るなり大きな声をあげて飛び上がった。丸い目をさらに丸めて、愕然とした顔で現在地を確認する。ここが第三研究室であることが、なかなか信じられない様子だった。
「あ、折手さん」
「和毛君!? こ、これどうしちゃったの!?」
特濃コーヒーを淹れて給湯室から出ると、折手さんが血相を変えて駆け寄ってくる。
「ど、どうしてこんなに片付いてるの!?」
彼女は再び研究室を見渡して言う。
床をモノが埋め尽くし、天井まで届く高い書類の塔が乱立し、心なしか薄暗かった第三研究室が、見違えるほど明るくなっていた。書類は全て電子化された後にファイルに納め、発掘された資料庫の棚に整然と並べられている。寝袋やランタンといった新見さんの私物は部屋の隅に格納されている。真っ白に磨かれた床に、明るい照明、その他、大量の書類の中から“発見”された様々な設備が、そこにあった。
「頑張って片付けました」
「頑張ってどうにかなるレベルだったの!?」
素直に答えるも、折手さんの驚きは止まらない。
一週間後には新作怪人を提出しないといけないのだ。そのためには資料を読み込む必要があり、そのためには職場の環境を整える必要がある。諸々逆算した上で、午前中で全て片付けた。
「和毛君って片付け得意なの?」
「まあ、性格みたいなもので。床が見えてないと落ち着かないというか」
「う゛っ」
少し照れ臭くて頭を掻きながら答えると、なぜか折手さんは胸に刃が突き刺さったような声を漏らす。
「あ、おる、折手ちゃん」
「新見ちゃん!? な、何を持ってるの!?」
来訪者の気配を感じたのか、新見さんも給湯室から出てくる。彼女の手にあるのは、冷凍庫から見つけ出された冷凍食品のトレーだ。
「わ、和風ペペロンチーノ、だよ。じょ、助手くんがチンしてくれたの」
「あ、新見ちゃんが文明的なものを……食べてる……!?」
文明的も何も、冷凍食品をレンジで解凍しただけなんだけど……。なぜか折手さんは天変地異でも目撃したかのように驚いている。
「あなたいっつも栄養バーしか食べてないじゃない。胃はちゃんと動くの?」
「た、たぶん」
折手さんが何やら斜め上の方向に心配しているけれど、新見さんも確証はなさげに頷いている。巣の残骸を見たところ、新見さんの食生活が壊滅していたのは薄々察していたけれど、どうやらかなり深刻だったらしい。
一応、∀NEって大手食品メーカーの傘下にあるんだよね?
「ごめんね、和毛君。こんな雑用みたいなことさせちゃって」
広々としたデスクでペペロンチーノを食べ始める新見さんをチラチラと見ながら、折手さんは深刻な顔で謝ってくる。
「いえ、僕のためでもありますし、こういうのは新人に任せてくださいよ」
実際、部屋を片付けるのは別に苦ではなかった。途中まで電子化させた資料を読み上げソフトを使って聴き込みながら掃除すると、案外集中できて捗った。
それに、かなり設備の充実した給湯室が発掘できたのも思わぬ収穫だ。昨日のお昼は新見さんから栄養バーを貰ったけれど、給湯室の冷凍庫に色々と入っていたのだ。全てシロガネフーズの商品ばかりだけれど、流石の最大手と言わざるを得ないラインナップだった。
「あ、折手さんも何か食べますか? ナポリタンもジュノベーゼもありますよ」
「パスタしかないの?」
「ピラフとかもあるんですけど、大体二食分とかなので」
怪訝な顔をする折手さんに事情を説明すると、彼女は納得してくれたようだ。
「食器とかが全部書類圧で壊れてるんですよね。それもあって、トレー付きの料理しかできなくて」
「書類圧て」
いったいどれだけ汚かったのよ、と折手さんは戦々恐々として給湯室を眺める。とりあえず、第三研究室から最寄りのゴミ集積庫までの道を覚える程度には往復した。書類はほとんど資料庫に移したけれど、それ以外のゴミもかなりあったのだ。
「そのへんの備品は、新見さんが調達部に申請してくれるらしいので」
「ああ、そう……」
フォークに数本のパスタを巻きつけて食べている新見さんを見て、折手さんが遠い目をしていた。
「無茶振りされたら断ってもいいのよ。新見ちゃんだって、部下がつくの久しぶりなんだし」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」
研究室の片付けという山場は越えた。あとは資料を読み込んで、新人怪人のアイディアを練るだけだ。
折手さんの気遣いに感謝しつつ、より一層気合を入れる。けれど、そんな僕を見て折手さんは逆に柳眉を下げてしまった。
「はぁ。とにかく、お昼ご飯はしっかりしたのを食べた方がいいわ。――新見ちゃん、ちょっと和毛君借りるわよ」
「んっ、んふほ」
「えっ!?」
がっちりと腕を掴まれ、あれよあれよと連行される。新見さんはもぐもぐと咀嚼しながらゆるく手を振って見送っている。僕は折手さんに研究室から連れ出され、そのまま地上まで出てきてしまった。
「ぐ、眩しい……」
「モグラみたいな事言わないの。ほら、せっかくだしお姉さんが何でも奢ってあげるわよ」
エレベーターでやって来たのは、飲食店がずらりと並ぶ商店街の一角。改めて見てみれば、そこかしこの看板にシロガネフーズのロゴが潜んでいる。冷凍食品だけでなく、飲食店業も手広くやっているだけあって、特区内にも多くの店を抱えているらしい。
結局選べず、折手さんを頼って入店したのは丼もの専門店だった。
「えっと、特上海鮮天丼の大盛りひとつ。和毛君は?」
「えっ!? じゃ、じゃあ同じものを」
折手さんは入店するなりメニューも見ずに注文する。慌てた僕は、とりあえず同じものを頼むことにした。
「あいよっ! 特上海鮮天丼大盛りふたつね!」
「ひょえっ」
そして出て来たのは、昔話に出てくるような山もりのご飯にこれでもかと天ぷらが積み上げられた異次元の天丼だった。極太の海老天が五本聳え立ち、その下にイカ、タコ、ホタテ、アナゴと様々な海の幸の天ぷらが控えている。
「わーい、いただきます!」
僕が呆気に取られている間に、折手さんは早速食べ始める。
彼女は長身とはいえ、体は引き締まっていて思わず見惚れてしまうような体型だ。まさかこんなに食べるとは思いもしなかった。
「もぐもぐ。和毛君も遠慮せず食べてね」
「あ、はい。いただきます」
量はともかく、天ぷらはどれも揚げたてでご飯もツヤツヤだ。タレも程よく、箸が進む。これまで食べたどの天丼よりも間違いなく美味しいと断言できる。
とはいえ、量である。いくら絶品でも、胃の容量は物理的に決まっている。半分ほど食べ進めたところでかなりキツくなってきた。
「大丈夫? 並盛りでも良かったかもね」
「す、すみません……」
僕が満腹なのを察したのか、折手さんが声を掛けてくれる。頑張れば食べ切れるかもしれないけれど、確実に午後の仕事に支障がでる。とりあえず片付けだけ終わらせることができて良かった。資料読みならなんとかできるだろう。
「ごめんね。能力者って人より大食いなの忘れてたわ」
「そうなんですか?」
あっという間にぺろりと丼を空にした折手さんが、湯呑みを手で包み込むようにして口を開く。聞き慣れない話に、思わず興味が向いた。
「能力使うと体力を消耗するんでしょうね。基本的な身体能力も高いから、内臓機能も強くて、すぐに消化しちゃうし」
「は、初めて知りました」
「ヒーローバトルなんかでは話題にならないだろうしね。特区外だと、まだ能力者に関する理解も進んでないでしょ?」
ヒーローでもヴィランでも、それ以外でも、能力者は全て世界各地の特区に住むことが義務付けられる。裏を返せば、特区外に能力者は存在せず、故に能力者に対する理解もヒーローバトルに映っている範囲から出ない。
僕も特区を訪れるまでは、超能力者の存在やヒーローバトルというものをそこまで現実感を持って認識していなかった。
「あれ、と言うことは折手さんも超能力者なんですか?」
「あっ。えっと、……そうね」
超能力者は食欲旺盛、ということは折手さんも超能力者なのだろう。気になって尋ねると、彼女ははっとして頷いた。
「ちなみに、どんな能力かっていうのは」
「……じ、実は私」
個人情報に当たるのかもしれない、と少し不安を抱きながら問いかける。すると、折手さんは何やら覚悟を決めたような表情でこちらへ向いた。
けれど、彼女が口を開いた直後、大きな衝撃が店内を揺るがした。
「うわぁっ!?」
「和毛君、こっちへ!」
轟音と共に店内の食器や置き物が床に散らばる。陶器の割れる音が立て続けに響き、その場は一変した。折手さんは口許を固く結び、僕の手を取って店内へと飛び出した。
蜂の巣を突いたような騒ぎが起こるアーケード。その奥に、混乱の渦中となったものがあった。
「グワーーーハッハッハッ! 我が名は灼熱の火炎を纏う者、クリムゾンファイア! この町を燃やし尽くす者なり!」
響き渡る轟声を放つのは、全身を火炎で覆った2メートルを超える巨漢。幹のように太い腕が振るわれると、猛火が建物のコンクリートや鉄にも延焼していく。明らかに普通の炎ではない。
「こ、これってヒーローバトル!?」
「いや、違うわ」
狼狽える僕の腕をしっかりと抱いたまま、折手さんは深刻な顔で否定する。彼女はスマホの画面を覗き、何かを確認していた。
「ヒーローバトルなら事前の戦闘申請があって、避難勧告も出てるはず。今確認しても、そんなのは出てないわ」
「じゃ、じゃあこれは……」
「野良の仕業ね。まあ、特区内じゃよくあることよ」
「ええっ!?」
驚く僕を、折手さんは軽々と抱える。いったいその体にどれほどの力を秘めているのか、そのまま軽やかに走り出した。
「折手さん!?」
「ごめんね。和毛君はここから∀NEに戻ってて。私はちょっと……や、野暮用があるから」
「ええっ!?」
危険ですよ、と止める間もなく。僕はエレベーターに押し込まれすぐに扉も閉められる。そのわずかな隙間から見えたのは、彼女が眉間に皺を寄せてクリムゾンファイアの方へ振り向いた横顔だった。
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