第06話「コミュ障上司」

 全くもって数奇な運命で、僕はあれよあれよと言う間に悪の秘密結社∀NEに就職が決まってしまった。配属されたのは、怪人博士ことレザリアが指揮を執る後方支援部医療生物工学科第一生物化学研究室――ではなく、第三生物化学研究室という部署だった。


「すまないね。流石に実戦に投入しているバイオロイドの研究開発に即戦力として入ってもらうわけにはいかないから」

「いえ、大丈夫です。今の僕では足手纏いにしかならないでしょうし」

「うんうん。自分のことを理解できている人は好きだよ」


 そんなことをレザリアと話しつつ、僕は秘密基地の入り組んだ道を進む。第三研究室だからと言って、第一研究室のすぐ近くにあるというわけではない。むしろ、リスク分散も兼ねて離れた位置にあるらしい。

 この上下左右に混み行った道が今後の出勤路になるわけだけど、無事に辿り着けるか心配だ。


「そんなに心配しなくても、毎日通ってれば自然と覚えるわ。最初のうちは私が案内してあげるし」

「そんな、折手さんに迷惑掛けられないですよ」


 なぜか面接の後もついて来てくれている折手さんに勢いよく首を振る。就職先を斡旋してくれただけでもありがたいのに、そんなに手を焼いてもらうなんて申し訳ない。

 けれど彼女は優しい笑顔で「いいのよ」と頷いた。


「新人が仕事に慣れるまでサポートするのもスカウトマンの仕事なんだから」

「スカウトマン? ふふっ」


 彼女が立派な胸に手を置くと、ぽよんと揺れる。思わず凝視しそうになって慌てて目を逸らすと、隣を歩くレザリアが何やら口元を隠して肩を震わせていた。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもないよ。……スカウトマンねぇ。いつからそんな部署ができたんだか」

「れ、レザリア!」


 くつくつと笑うレザリアさんに、折手さんが拳を上げている。面接の時から少し思っていたけれど、二人はずいぶんと仲がいい。仮にも幹部に数えられる怪人博士レザリアとあそこまで対等に話せるということは、折手さんもかなり高い位にある人なんだろうか。


「さて、お待たせ。ここが君の職場だよ」


 レザリアさんの足が止まる。そこには、第一研究室と同じ扉が待ち構えていた。彼女が扉横のコンソールを操作すると、物々しい雰囲気で扉が開く。中はこれも同じようにエアシャワーの短い廊下があって、奥にもう一枚の扉が続いている。

 そこを潜り抜ければ、いよいよ第三研究室のお目見えだ。


「おお! ……おお?」


 扉の先に広がる研究室を見て、思わず首を傾げる。

 確かにレザリアさんたちはここが第三生物化学研究室だと言っていた。けれど、扉の向こうにあったのは、第一研究室の十分の一にも満たない狭い部屋だった。書類が堆く積み上がったデスクがひとつ、段ボールやプラボックスが床に散乱し、実験器具も乱雑に棚に押し込まれている。


「ええっと……」

「言いたいことは分かるよ。まあ、その前にここの室長を紹介しよう」


 言葉に詰まる僕を見て、レザリアさんは肩をすくめる。そしてつかつかと室内に踏み入り、おもむろに書類の山に手を突っ込んだ。


「ん〜、いたいた。ほら、出てきなさい」

「ふぎゃっ」


 山の中からくぐもった悲鳴が上がる。レザリアさんの手に掴まれて引き摺り出されたのは、ヨレヨレでシワだらけの白衣。いや、よく見てみれば細身の女性がそれに包まっている。顔色の悪い、頬のこけた幽霊みたいな人だ。長い髪もボサボサで、目元は隠れている。


「まったく、研究室はいつも整理しておけと言ってるだろ、新見くん」

「ふ、ふへっ!? レザリアさん、どうしてこんなところに!?」


 やれやれと呆れるレザリアさんに、女性――新見さんは驚きの声を上げる。彼女は突然現れた僕らを見て、再び書類の山に身を隠した。そして怯えた様子で顔を半分だけ覗かせて、僕をまじまじと見つめる。


「こ、こここ、この人は?」

「君の部下になる和毛恭太郎くんだ。一応、連絡はしてたはずだよ」

「い、いいいいい、いつですか!? 聞いてないですよ!」

「……十分前くらい」


 だいたい面接が終わった直後くらいじゃないか。それなら新見さんが驚くのも無理はない。というか、今日突然就職が決まった僕のことが知られていなくても当然と言うべきだろう。


「し、ししし、新人ですか!? そんな、間に合ってますよぉ」

「そんな事言われてもね。第三は人手が足りてないんじゃないかい?」

「それは……そうかもですけどぉ……」


 新見さんという人は、あまり人付き合いが得意なタイプではないらしい。見たところ、第三研究室は彼女が一人で回している部署のようだ。――問題なく回っているかどうかは、少し疑わしいところもあるけれど。


「うぅぅ。と、突然言われても困りますよ。ていうか、なんでおるでぃっ!?」

「あーーーーっと! 新見ちゃん、ちょっとだけお話ししましょ!」

「ええええっ!?」


 新見さんが何か言いかけたその時、折手さんが飛び出して彼女の両肩を掴む。そのまま二人とも物陰に隠れてしまって、残された僕は呆然とする。


「あの、どうしたら……」

「まあ、うん。とりあえずここが和毛くんの職場になる。新見くんが直属の上司だから、彼女の補佐が主な仕事になるからね」

「あ、はい。分かりました」


 レザリアさんの説明に頷いたものの、研究室は驚くほど狭い。足の踏み場もないとはこの事だろう。清潔感と開放感に溢れた第一研究室とはずいぶんと様子が違う。

 違うと言えば、数十人の研究者が働いていたあちらと比べて、第三研究室は新見さん一人しかいないというのも大きな違いだ。

 僕の思いを察したのか、レザリアさんがすかさず補足をしてくれる。


「第三研究室の研究は新型バイオロイドの開発なんだけどね。人によって向き不向きがあるんだよ」

「新型バイオロイドの開発!? そんな、花形じゃないですか」

「うーん、どうだろうね……」


 予想よりもはるかに重大な任務に、思わず飛び上がる。それほどの使命が課せられているのなら、もっと設備も人も充実させるべきだろうに。

 けれど、僕の反応を見たレザリアさんは微妙な顔をする。奥歯に物が挟まったような、もどかしそうな表情だ。


「レザリアさん?」

「まあ、説明は新見くんから直接聞いてくれ」


 結局、彼女は詳しいことを語らなかった。その代わり、ちょうど物陰から新見さんと折手さんが戻ってくる。


「お、お待たせしました。折手さんから説明いただいたので、もう大丈夫でしゅ」


 何やら硬い表情だが、新見さんはこくりと頷く。それを見て、折手さんも満足そうにして、彼女の肩に置いていた手を外す。

 いったい二人で何を話していたのか少し気になるけれど、機密なども多い職場だというし、あまり詮索しない方がいいのだろう。


「それじゃあ、あとは第三の二人で。わたしは仕事に戻るとしよう。折手も一緒に来なさい」

「ええっ!?」

「何を驚いてるんだ。まだ検査が終わってないだろ」


 ここに残るつもりだったらしい折手さんの手を掴んで、レザリアさんは研究室の外へ足を向ける。


「きょ、恭太郎君、仕事が終わったらエレベーターホールで待ってて。まだ案内することがあるから!」

「えっ? わ、分かりました」


 去り際、折手さんが言う。戸惑いながら頷く僕を残して、扉が閉まった。


「……え、ええと」

「初めまして、和毛恭太郎です。今日から、よろしくお願いします」


 残されたのは僕と新見さん。

 ひとまず、今日から上司となる女性に手を差し出す。彼女は驚きながらも、おずおずと手を握り返してくれた。力のない弱々しい手だったけれど。


「それで、僕は何をすればいいんでしょうか」


 僕がそう尋ねると、新見さんはワタワタと慌てながらも説明をしてくれた。

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