第07話「第三研究室」

「だ、第三研究室は新しい怪人、ば、バイオロイドの開発をするんだけど」


 折手さんがレザリアさんに引き摺られて出て行った後、部屋に残された僕はさっそく新見さんから業務について説明を受けていた。

 最初に伝えられたのは、この第三生物化学研究室の役割について。怪人というのは、悪の秘密結社∀NEの主力戦力の総称で、バイオロイドと呼ばれる遺伝子工学の産物を用いた人形兵器だ。

 バイオロイドは単純な知能も有しているけれど、何よりも強力なのはその能力と量産性だ。超能力者と渡り合えるほどの力を持ちながら、細胞培養によって工業的に製造できるバイオロイドは、一度の戦いに大量に投入することができる。

 ∀NEはそんな遺伝子工学分野で強みを持っていて、大量のバイオロイドを投入するバトルを得意としている。

 つまり、新型怪人の開発というのは、組織の根幹に関わるような重大任務であるはずだ。


「それなら、どうして第三研究室はこんなに狭いというか……ええと……」


 どう考えても花形の部署だろうに、率直に言えば第三研究室はかなりみすぼらしい。部屋は狭く、実験設備も安っぽい。何より、人員が僕を入れても二人しかいないというのが驚いてしまう。

 そのことは新見さんも承知している様子で、彼女は言い淀む僕に対してぎこちなく笑った。


「ふ、ふへっ。そ、それはね」


 伸び放題の黒髪が顔の大半を隠しているため、彼女の表情は口元くらいしか分からない。けれど、見た目ほど恐ろしい人じゃないことは、少しずつ理解できてきた。

 彼女はデスクに積み上がった書類の束を無造作につかんで、こちらに渡してきた。

 受け取ったそれをペラペラとめくると、すぐにあることに気付く。


「これって、却下された企画書ですか」

「うん。ぜ、全部、新型怪人の案だよ」


 詳細に書き連ねられた、様々な情報。その膨大さにも関わらず、簡素に纏められていて、初めて目にする僕でも理解できるくらいに整理されている。けれど、それに対して大きく捺されているのは却下Rejectの真っ赤な判だった。

 どのページを見ても、同様に却下の判が並んでいる。創意工夫に溢れた怪人の全てが、軒並み拒絶されている。


「企画が通らないってことですか?」


 愕然として目を向ける僕に、新見さんはこくりと頷く。


「か、怪人は正式採用されて実戦配備されると、第一研究室が支援することになるの。だ、だからそこで、実戦のフィードバックを受けてバージョンアップがされるから……」

「新しい怪人は、必要ないと」


 再び、彼女は力なく頷く。

 聞けば、現在も∀NEの主力として生産されているバイオロイドは、十年ほど前の∀NE黎明期に新見さんが開発したモデルを基にしているらしい。けれど、長い歴史の中で第一研究室のレザリアさんたちが改良を続け、現在は第二百七十四世代というバージョンになっている。

 初期型ということで、新見さんは怪人の汎用性を重視して設計を行った。それもあり、優秀な第一研究室でアップデートを受けた怪人は、現在も最前線で戦えるだけの実力を保っている。

 言ってしまえば、現役の怪人で間に合っているから、怪人を新たに開発する理由がないのだ。だから、第三研究室の規模は縮小され、ついに彼女ひとりしかいなくなってしまった。

 今も彼女は毎日のように新たな怪人を企画しては提案しているのだが、ここ数年はまったく採用されていないという。


「そんな……」


 全く知らなかった舞台裏に絶句してしまう。

 テレビ越しにヒーローバトルを観戦していた身としては、いつも変わらない怪人たちには、愛着すら持っていたくらいだ。


「ごご、ごめんね。そんなわけだから、その、や、やや、やりがいとかは全然ないと思うけど……。あわっ、わたしは楽しいんだけど、た、たまに配属される子は、だ、だいたい三日くらいで辞めちゃうの」

「そんな、僕は辞めませんよ!」


 おそらく本来はかなり背が高いだろう新見さんは、ぎゅっと肩を縮こめた猫背で落ち込んだ声を漏らす。僕がきっぱりと断言しても「みんな最初はそう言うんだよな」みたいな期待の欠片もない視線が向けられる。


「三人集まれば文殊の知恵って言いますし、二人でも画期的なアイディアが見つかるかもしれません。若輩者ではありますが、新見さんのお手伝いをさせてください」

「あ、ありがとう。で、でもあんまり気負わなくていいからね」


 ぐっと拳を握りしめる僕を見て、新見さんは乾いた笑いを漏らす。

 これは、全く期待されていないんだろうなぁ。一日でも早く彼女の役に立てるよう、頑張らないと。


「そういえば、一つ気になっていることがあるんですけど」

「なっ、なに?」


 淀んだ空気を払拭するように、僕は新しい話題を切り出す。こっちも、ずっと誰かに聞きたかったことだ。


「レザリアさんって、本名なんですか?」


 悪の秘密結社∀NEの幹部、怪人博士レザリア。日本人離れした名前も、なんとなくそんなものかと思っていた。けれど、折手さんに導かれてやって来た∀NEで働く人たちは、折手さんも含めてみんな普通の名前だ。


「ち、違うよ。あれは、ヴィランネーム」

「ヴィランネーム?」


 ふるふると首を振って否定して、新見さんは事情を詳しく説明してくれる。


「ヴィランもヒーローも、業務以外の時間は一般人として暮らしてるし、そ、そこでトラブルに巻き込まれるのを防ぐために、ぎ、偽名を使ってるの」

「偽名……。ペンネームとか芸名みたいな?」

「そ、そんな感じ」


 怪人博士レザリアも、鉄血将軍オルディーネも、その正体を隠すための偽名だった。たしかに、よくよく考えてみれば、ヒーローもヴィランも毎日油断のない生活を送っているわけではない。普通に特区内で生活している住人のひとりでもあるのだ。

 ある意味、公私を分けるための対策でもあるのだろう。


「それじゃあ、レザリアさんの本名は?」

「き、聞きたかったら、ほほ、本人に」

「それもそうですね。ありがとうございます」


 レザリアさんがまだレザリアとしか名乗っていないのなら、そういうことなのだろう。逆に、彼女と親しげだった折手さんもヴィランネームを持っているのかもしれない。いつか、折手さんのヴィランネームも聞けるかもしれない。


「ちなみに、新見さんも?」

「………………」


 興味本位で問いを向けると、新見さんは押し黙る。こちらも信頼を積み重ねないと、教えてくれないらしい。

 というか、僕もここで働いていたらヴィランネームが貰えるのだろうか。自分で考えるのか、与えられるものなのか知らないけれど。まあでも、一介の研究員でしかない僕には必要ないものかもしれない。

 いつかかっこいいヴィランネームを名乗るためにも、まずは仕事の第一歩を踏み出さなければ。……とはいえ、職場となる第三研究室には僕のデスクどころか足の踏み場もない。

 新見さんの手伝いをするとは言ったものの、怪人の企画書を練るなんてこともできないし、まずは何をしようか。あんまり新見さんに一々伺いを立てる指示待ち人間になるのも心象が悪いかもしれないし。


「とりあえず、このあたりの書類を片付けますね」


 まるで長い間手入れのされていなかった物置のような研究室では、捗るものも捗らない。新見さん一人では、全く手が足りていないのだろう。そう思って、僕は手近にある書類を持ち上げる。


「だっ、だだだ、だめーーーーーっ!」

「えっ? うわぁっ!?」


 その時、突然新見さんが大きな声を上げる。驚いて振り向く僕の視界に映ったのは、大きく腕を広げて飛びかかってくる彼女の胸元だった。

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