第05話「曖昧な面接」

 悪の秘密結社∀NEの秘密基地は、その入り口が巧妙に隠されているだけでなく、内部の構造も複雑になっていた。複数の階層や区画で構成される巨大な地下施設は無数の扉で隔てられ、特定のエレベーターでしか辿り着けない場所もあるのだという。∀NEの構成員でも、それぞれに付与された権限で許された区画にしか立ち入ることができず、全ての区画を自由に出入りできるのは組織の幹部クラスくらいのものだとか。

 そんな説明をしながらも、折手さんは次々と扉を開けて進んでいく。少しでも彼女を見失えば即迷子になりそうで、僕も油断せず彼女の背中を追いかける。

 いくつもの角を曲がって、何度も階段やエレベーターを経由して、すでに方向感覚は完全に麻痺していた。


「さあ、到着したわよ」


 体力的にも精神的にも疲弊してきた頃、ようやく折手さんが足を止める。振り返った彼女の背後にあるのは、〈第一生物化学研究室〉というプレートが掲げられた金属扉だった。


「ここが?」

「そう。後方支援部医療生物工学科の本丸よ」


 折手さんはドアの側にあるコンソールを操作する。いくつかの認証を通り抜けることで、厳重なセキュリティが解除される。気密性の高い扉が動き出し、ゆっくりと開いた。

 しかし、現れたのは短い廊下と二枚目の扉。そして、壁と天井にずらりと並んだ噴出口だ。


「エアシャワーですか」

「そう。この奥にはちょっと危険なものもあるし、埃とかもあんまり入れちゃダメだからね」


 僕と折手さんが入ると、扉は自動的に閉まる。


「うわああああっ!」

「ちょっと我慢してね。私もなかなか慣れないんだけど、必要なことだから」


 猛烈な風に揉み洗いされて、髪が乱れる。折手さんの方を見ると、彼女の長い銀髪も二回りほど膨らんで見えた。目が合うと彼女は恥ずかしそうに手櫛で髪を整える。

 そんなことをしていると奥の扉がゆっくりと開く。その奥から現れたのは、薄く薬品の匂いがする広々とした立派な研究室だった。


「うわぁ、すごい……」


 大学の研究室よりもはるかに設備の整った部屋は壮観だった。一台数千万とか数億とかするような実験機械がいくつも並び、そのうちの何台かは今も動いている。

 室内では白衣を纏った研究員らしき人たちが、真剣な表情で実験を行なっている。扉が開いたことに気付いてすらいない人も少なくないようだった。


「ここが第一生物化学研究室ですか」

「そう。∀NEの主力を担うバイオロイド開発の最前線よ」


 バイオロイド。それは悪の秘密結社∀NEの代名詞と言ってもいい。

 ∀NEは優れた生物化学技術を保有しており、遺伝子工学に精通している。その高い技術力を活かして作られるのが、人造人型戦闘員だ。

 命令に忠実で恐怖や痛みに鈍感で、常人を超えた力を持ち、そして量産が可能。

 倫理的な問題があるため特区外ではまず見られないが、逆に言えば特区内ではこれも許される。

 悪の秘密結社∀NEは、このバイオロイドを量産することで大量の戦力を生み出し、それを用いた大規模な戦闘を展開することを得意としていた。


「――そして、わたしがここの室長だよ。ようこそ、和毛恭太郎くん」

「うわっ」


 美しさすら感じる研究室に圧倒されていると、突然下の方から声がかけられる。驚いて視線を下げると、ピンク色の髪が目に飛び込んできた。


「す、すみません、ぼんやりしてて……。あなたは――」


 いつの間にか目の前に立っていたのは、サイズが大きすぎる白衣を纏った少女だった。眼鏡の奥から、無気力そうな目がこちらを見ている。どうして子供がこんなところに、という疑問が頭を過ったが、その前に彼女の言葉に気が付いた。

 はっとする僕を見て、彼女はにやりと笑う。


「私は怪人博士レザリア。聞いたことくらいはあるかな?」

「も、もちろんです! そうか、たしかに∀NEの研究所なら、レザリアさんが室長でもおかしくない」


 怪人博士レザリア。ヒーローバトルで直接的に戦うことはないが、間違いなく鉄血将軍オルディーネと並ぶ∀NEの幹部だ。超能力者であるかは不明だけれど、特筆すべきはその天才的な頭脳にある。

 何を隠そう、∀NEの主力であるバイオロイドのほとんどは、彼女が開発を主導しているのだから。


「やあやあ、わたしも有名になったもんだ。――ねえ、折手くん」

「ソウデスネ」


 レザリアさんは嬉しそうに袖で隠れて見えない手を口元に添え、僕の背後に立つ折手さんに目を向ける。二人には何か確執でもあるのか、折手さんの反応は少し固い。


「改めて、初めましてだね、和毛くん」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 レザリアさんの手を白衣越しに握る。薄い布の向こうに細い指の感触があった。


「ふむ……。処理は問題ないね」

「え?」

「なんでもない。ちょっとした独り言さ」


 僕の手を握ったレザリアさんが俯いて何かつぶやく。不明瞭で聞き取れなかったそれに首を傾げると、彼女は再びにやりと笑って肩を竦めた。


「まあ、和毛くんはまだうちの――折手くんからスカウトを受けただけに過ぎない。もし働くとなったらわたしが直属の上司になるだろう。だから、君にその能力があるか確かめさせてくれ」

「あ、分かりました」


 レザリアさんの言葉に、内心少しほっとする。僕は今朝偶然出会った折手さんに突然スカウトされて、その足でここまでやって来てしまった。まだここで何をするのか、僕の力が仕事に活かせるのか、そもそも求められているのかが分かっていない。

 面接もないまま即就職となれば、それは逆に怖い。

 僕は研究室の片隅にあり、簡単なパーテーションで仕切られた応接コーナーに案内された。簡素な椅子とテーブルがあるだけの場所だけれど、そこに踏み入った瞬間に背筋が伸びる。


「ま、そんなに緊張しなくていいよ。楽にしててくれ」


 椅子に半分埋もれるようにして座るレザリアさんと対面する。折手さんも、彼女の隣に腰を下ろす。


「名前は、和毛恭太郎くんで間違いないね。医学部大学院修了。専門は遺伝病。うん、申し分ないね」

「えっ」


 レザリアさんは手元のタブレットに指を滑らせ、僕の来歴を口にする。僕自身はまだ何も話していないのに、まるで前もって調べていたかのようだ。

 その光景に驚いていると、折手さんがにこりと笑う。


「大丈夫よ」

「えっ」

「秘密結社だから。あ、お茶もどうぞ」

「え? あ、ありがとうございます」


 よく分からないけど、折手さんが大丈夫だと念を押してくる。まあ、秘密結社だし、超能力も超科学も珍しくない特区内なら、これくらいは普通なのかもしれない。あ、このお茶美味しいなぁ。心がほっとするというか。うん、大丈夫だな。


「警戒心がなさすぎるのは問題かもねぇ」

「戦闘員じゃないんだからいいじゃない。研究者としては申し分ないわ」

「別に手は足りてるんだけど」

「新しい風を入れるのも大事でしょ」

「はぁ。まあ珍しく君が頼み込んできたんだ。乗ってあげよう」


 何やらレザリアさんと折手さんが囁き合っている。レザリアさんの耳もとに顔を寄せる折手さんは、まるで彼女の姉のようだ。銀髪がさらりと肩から流れ落ちる。綺麗だなぁ。


「んんっ。私、離席した方がいいかしら」

「いてくれた方がいい。その方が本心が引き出せそうだ」


 レザリアさんがタブレットを操作して、こちらを見る。

 思考の巡りがゆっくりとして、深く考えられない。全身がふわふわとしていて、暖かくて気持ちがいい。柔らかい多幸感に包まれていると、レザリアさんが質問を投げかけてきた。


「君は超能力者かい?」

「いいえ」

「なぜファミレスで眠っていたか、覚えているかい?」

「いいえ」

「君はヒーロー陣営か∀NE以外のヴィラン陣営に所属しているかい?」

「いいえ」


 問われたことに、考える間もなく口から言葉が溢れる。抵抗することも考えられないまま、淡々と質問に答える。研究室での活動や、これまでの経歴、さらに趣味まで。

 休日の過ごし方を聞かれて、ヒーローバトル観戦と答えると二人が興味を持った。


「好きなヒーローは?」

「ええと……オルディーネさんです」


 悪の秘密結社∀NEの幹部、鉄血将軍オルディーネ。七つの大きな盾を用いる強力な念動力の使い手で、大勢のバイオロイド軍団を率いて戦う仮面の美女だ。月光の下に輝く銀髪も、全身を包み込む黒いスーツ姿も艶めかしく、美しい。それでいて、超能力を駆使したハイスピードな戦闘は苛烈で華麗で目を奪われる。

 彼女はヒーローではなくヴィランだ。けれど、ヴィランらしい過激な言動の裏に優しさも垣間見える。そんな彼女のことが――。


「彼女のことをどう思ってるんだい?」

「かっこよくて、素敵な方だと……」

「んん゛っ!」


 答えている途中で折手さんが咳払いする。レザリアさんが彼女を見て何か仕方なさそうに肩を竦めた後、テーブルに手を伸ばした。


「なるほど、よく分かったよ。それじゃあ、このお茶を飲んで」


 いつの間にか、そこに一杯のお茶が置かれていた。言われた通りそれを口に含む。

 直後、ミントを数倍濃縮させたような強烈な爽快感が喉を通り、意識が急にはっきりした。直前の記憶が曖昧で、混乱してしまう。


「うわっ⁉︎ す、すみません、なんかぼんやりしてて……」

「いいよいいよ。よし、和毛恭太郎くん。君は合格だ」

「ええっ!?」


 面接が始まってもいないのに終わってしまった。

 レザリアさんと折手さんが立ち上がり、目を細める。


「君を正式に、∀NEの研究員として迎えよう」

「改めてようこそ、和毛恭太郎くん」

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