第四話 苦い反省と罰(ばち)?

 雷韋らいが、ざぁ、と陸王りくおうの背中に湯をかけた途端、


「つぁ!!」


 陸王が悲鳴じみた声を上げて、風呂桶から飛び出した。背中を向けて窓際に立つ陸王の背中から尻の方まで、焼けたように真っ赤になっている。


「え? 陸王?」


 不思議そうに陸王の後ろ姿を眺める雷韋とは真逆に、紫雲しうんが慌てて部屋に入ってきた。


「雷韋君、今のお湯、熱湯じゃありませんでしたか?」

「えぇ?」


 怪訝そうに手桶に残った湯に目を遣ると、雷韋の大きな目が更に大きく見開かれた。手桶に残った湯からは、信じられないほどの湯気が立っていたのだ。


 流石に慌てた声が出る。


「うわぁ! 陸王、大丈夫かよ!」


 声をかけるも、陸王は窓枠を掴んで声にならない呻きを上げるばかりだった。


「雷韋君、回復の術を!」

「あ、あぁっ!」


 手にした手桶を乱暴に床に置き、急いで陸王の背に回復の魔術をかけ始めた。すぐに陸王の背を淡い緑の光が覆う。


 植物の精霊魔法エレメントアだ。大地と繋がる植物の精霊が、陸王の背中の熱された細胞をすぐさま回復し始める。


 光が灯ると、真っ赤だった背中の色が徐々に肌色を取り戻していった。


 そうなってやっと、陸王の口から大きな息が吐き出される。痛みが引いていったのだろう。


「ってぇな、このクソガキ……」


 呻きに似た声が、陸王の腹の底から吐き出される。


「ご、ごめん。熱湯になってるなんて思わなかったんだ。もう少しで完全に治るから、もうちょっとそのままで待てよ」


 紫雲は雷韋の言葉を聞いて、嘆息をついた。


「ですが、陸王さん。素っ裸で窓際に突っ立っている姿は、外から見たらほとんど変質者ですよ。少し窓から離れたらどうです?」

「煩ぇ。こんな嵐の中、誰もいねぇ」

「まぁ、貴方がそれでいいならいいんですが」


 そうこう言っているうちに精霊力が満ちたのか、陸王の背中を包む淡い緑色の光は消え失せた。


「な、治ったぞ? 陸王」


 雷韋が恐る恐る声をかけると、陸王は振り向きざまに少年の頭を引っ叩いた。


「なんて事してくれやがる、このクソガキ」

「ごめん。ただ水をあったかくしたつもりだったんだ。熱湯になってると思わなかったんだってばさ」


 雷韋の弁明を耳にしながら、熱い湯船に浸かっている手拭いを拾い上げて絞ると、陸王はそれを腰に巻きつけた。


「二度と手前ぇに背中は流させんからな」


 憮然として言い遣る。


 それに対して、雷韋は平謝りするしかなかった。


「もうこんな事しねぇよ。ごめんってば。俺が悪かったから許してくれよ」

「馬鹿か! 下手すりゃ死ぬかも知れねぇ火傷負ったんだぞ」

「だからそれは治しただろ? あんたが死んだら俺だって困る。対なんだから」


 二人の言い合いに、うんざりしたように紫雲が口を挟んできた。


「子供のやった事です。許してあげたらどうです? 二度とこんな事はしないでしょうし」

「二度されて堪るか。……取り敢えず、お前ら出ていけ。俺はこれから風呂の続きだ」


 顰めっ面で言い遣ると、雷韋が怖ず怖ずと言葉を返してきた。


「お詫びに髪、洗おっか?」

「今度は頭から熱湯浴びせる気か」

「もうしないって~」

「いいから出ていけ。自分の面倒は自分で見る」


 紫雲はそれを聞いて、嘆息をついた。


「雷韋君、今はまず私の部屋へ行きましょう。陸王さんは一人になりたいようですから」

「あぁ、そうだ。俺は一人になりたい」


 その言葉に、雷韋は俯いて上目遣いで陸王を見遣った。


「ほんと、ごめんな。わざとじゃないってのだけは信じてくれよ」

「いいから一人にしてくれ。ゆっくり風呂に入りてぇ」

「うん……」


 紫雲は元気なく答える雷韋を促して、部屋を辞した。


 一人になった部屋の中で、陸王は深い深い溜息をついた。背中を流して貰いながら、誤って殺されたのでは笑い話にもならない。


         **********


 夕食時にも、まだ陸王はむっすりしていた。


 その様子を雷韋はちらちら見ていたが、陸王に対して言葉は一言も発さなかった。紫雲ともまともに言葉を交わさない。


 心底から雷韋は反省していた。水という根源マナに宿る水の精霊エレメントを火の精霊で干渉して温めたあと、温度を確かめなかったのは完全に雷韋の落ち度だ。紫雲に気を取られていた事も、確かめなかった要因の一つだったが、だからと言ってそれを紫雲のせいには出来ない。自分のやった事なのだから。


 雷韋が元気がないと、食卓は自然と静かになる。いつもは雷韋が行儀悪く食べるからこそ、食卓はなんだかんだで賑やかになるのだ。


 それに今夜は雷韋の食欲もないようだった。普段は人の三倍から四倍の料理を食べるのに、頼んだのはミートパイと馬鈴薯のスープとパンだけだった。いつもの定番であるステーキもない。今はただ黙々と、スープに千切ったパンを浸して口に運んでいるだけだ。咀嚼の速度もゆっくりしている。


 すっかり雷韋の気持ちは萎んでいた。


 そんな雷韋を、紫雲は敢えてあまり構う事はしなかった。これは陸王と雷韋の問題だ。本質的な事を言えば、陸王の問題とも言える。陸王が雷韋を許さない限り、雷韋はどんなに宥めても元気を取り戻さないだろう。


 端から見ていれば、雷韋のした事は過失だったし、そのあと回復させたのは雷韋なのだ。


 紫雲は食事を終えて、エールを一口含んでからおもむろに口を開いた。


「陸王さん、いい加減許してあげたらどうです?」

「俺はもう、別に何とも思っちゃいねぇが?」

「空気が刺々しいんですよ」


 呆れた吐息と共に言い遣る。


「気のせいだろう」

「だったらどうして雷韋君に話しかけてあげないんです。すっかりしょげて、食欲もないじゃありませんか」


 そう言われて、陸王はちらと雷韋を見る。


 雷韋はミートパイを一切れ口に運びながら、なんとも旨くなさそうに食べている。いつもなら、どんなものでも旨そうに食べる雷韋が。陸王も、こんな雷韋は初めて見る。


 それに対して、仕方なさげに陸王は嘆息をついた。苦々しいと言うに相応しい顔付きで。


「雷韋」

「ん?」


 上目遣いに陸王を見る。


「反省してるんだな?」

「うん。酷い事したと思ってる」

「そうか」

「うん」


 元気のない返答に、陸王は大きな溜息をついてから言った。


「二度と熱湯をかけるのはなしだぞ」

「え……?」


 雷韋は思わず顔を上げて陸王の顔を見た。その雷韋の頭に手を乗せて、ぽんぽんと撫で叩くと、


「仕方ねぇからそのうちまた、背中を流させてやる」


 雷韋と目を合わせてそう言う。


「ほん……、とに?」


 何か信じられないという顔で言葉を紡ぐ。


「あぁ、本当だ。その代わり、湯の温度には気を付けろ。尻の穴まで火傷するところだったんだ」

「うん、うん! 気を付けるよ。もう二度とあんな事しないって約束する」

「なら、よし。食え」

「うん!」


 元気よく答え、雷韋はステーキ二枚を追加注文した。陸王の許しが出て、ようやく食欲が出てきたようだった。


 紫雲はそんな雷韋に微笑を向けてから陸王を見た。意味ありげな目で。


「これはもしかしたら、ばちかも知れませんね」

「なんの罰だ」


 陸王は、ふと剣呑な目付きになる。


「私を殺そうとした事への、です」

「何を言ってやがる。結果として、お前は生きてるだろうが」

「ですが、貴方は私を殺そうとした。ただ吉宗がそれを防いだだけです。罰が当たるには充分すぎる理由じゃありませんか」

巫山戯ふざけろ」


 実に陸王らしい言葉に、紫雲はふっと目元を細めるとエールを呷った。その対面で、陸王もワインを呷る。そんな二人の間では、雷韋が旨そうに、ミートパイの最後の一かけを口にしていた。


 結局、陸王と紫雲の暇潰しと、陸王と雷韋の火傷事件の因果関係など判明する筈もなかった。この二つの件には何かあるのかも知れないし、何もないただの偶然なのかも知れないのだから。


 それでもただ一つ確かなのは、今夜も雷韋が人の三倍もの食事をしたと言う事だ。食後には定番のヌガーも食べて。


 三人の食事が終わっても、宿の外では相変わらず嵐が続いていた。


 麦を育てる為の大切な嵐が。


                              了

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