第三話 大失態直前
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「陸王、先に風呂桶と石鹸と海綿、持ってきたぞ」
「そこに置いておけ」
陸王は雨の打ち付ける窓の前に立ちながら
その声に導かれるように雷韋が風呂桶を置いて中に海綿を放り投げ、窓のところに立っている陸王に目を遣る。
「何してんだ?」
言って、陸王のもとへと歩いて行く。隣に並び、
「相変わらず凄い雨だな。あと四日くらいこれが続くのかぁ」
心底うんざりといった風に雷韋は言う。
「しょうがねぇだろう。この嵐が麦を育てるってんだからな」
「うん。……不思議だな」
陸王の言葉に、雷韋はぽつりと口にした。
「ん?」
雷韋の言った一言の意味が分からなくて、陸王は隣に立つ少年を見下ろす。
雷韋は琥珀の眼差しを、真っ直ぐ窓の向こうに向けていた。
「何が不思議だって?」
「うん。……俺は精霊使いだから、自然の流れを分かってるつもりだった。でも、一週間も嵐が続かないと、実らない麦が事があるのが不思議なんだ。だって、それは俺の知らない自然の流れだったからさ」
窓の外に向けられている雷韋の目は、自然界の流れを読む魔導士の目ではなく、只一人の少年の目だった。
大きな自然の流れを、本当に不思議に思っている無垢な眼差しなのだ。
そんな雷韋を見ていたら、陸王の手が自然とその頭に乗せられていた。
いきなりの事に、雷韋は驚いたように顔を上げて陸王を見る。
「なんだよ」
「いや。精霊使いなら自然の流れならなんでも分かりそうなもんだが、そんなお前にも分からん事もあるのかってな。お前は見た目通りのただのガキだ」
言って、雷韋の頭に乗せた手をぽんぽんと弾ませる。
雷韋はそう言われて、流石にむっとした顔をした。
「なんだよ、それ。大体の事なら分かるっての」
「だが、分からん事も実は多いんじゃねぇか?」
「うっさい! 風呂の用意出来たら背中流してやろうと思ったけど、やっぱやめた! 勝手に一人で洗え」
ほら石鹸、と言って、雷韋は持っていた石鹸を陸王の胸元に乱暴に放り投げた。それを反射的に受け取って、陸王は雷韋を
「なんだ、なんだ? 男が一度決めた事を覆すってのか。お前、実は女だったか」
「なんだと! ちゃんとタマついてるぞっ」
「実は袋だけなんじゃねぇのか? 肝心の玉が入ってねぇってな」
小馬鹿にしたように、にやついて雷韋を見る。
その眼差しに、雷韋は向かっ腹を立てた。
「まともに見た事もねぇくせに勝手に決めんな。分かったよ、男に二言はないって事を見せてやんよ。あんたの背中流してやる。ちょっと待ってろよ、湯の催促してくっから!」
雷韋はどかどかと床を踏み鳴らして部屋から出ていった。閉める扉も乱暴だ。
雷韋が部屋から出ていったあと、陸王は思わず喉元で笑っていた。挑発に簡単に乗る雷韋がおかしかったのだ。雷韋が戻ってくるまでの間、陸王は雨滴が叩き付けられる窓から外を眺めていた。
それから少しして、雷韋は二度食堂と部屋を往復して湯を用意した。
陸王は服を脱ぐと、風呂桶の中で腰に手拭いを置いたまま、雷韋に頭からゆっくりとお湯をかけて貰う。髪を洗うようにして濡らし、身体も濡らす。湯の温度は丁度よかった。熱すぎもせず、温すぎもせずの温度だ。
雷韋は湯につけた海綿に石鹸を擦り付けながら問いかけてくる。
「髪も洗ってやろうか?」
「いや、背中だけ頼む」
「ふぅん。そんじゃ背中、ぴっかぴかにしてやっかんな!」
「あぁ、楽しみにしてる」
陸王が言葉を返すのと同時に、雷韋が背中を流し始めた。余程気合いを入れているのか、背中を海綿で擦る雷韋の鼻息が荒い。けれど、その力加減も丁度よかった。ただ、難を言うなら、肩口から腰までを一気に上下する時の力加減が時々弱すぎる事があり、それがくすぐったく感じられる事くらいだ。それでも人に背中を流して貰う事など本当に久しぶりなので、気持ちよく、気分も
僅かばかりくすぐったい思いもしたが、しっかり背中を洗い終えて、お湯をかけられる段になった時、「あれ?」と背後から雷韋の声がした。
「どうした、雷韋」
軽く振り返って声をかけると、
「このお湯、水で埋めすぎだ。ほとんど水になってる」
一つの手桶の中に手を突っ込んで、温度を確かめている。
「構わん。流せ」
「駄目だってば。水なんか被ったら風邪引くぞ。ちょっとだけ待ってろよ。あったかくすっから」
「そんな事が出来るのか?」
「水の精霊に火の精霊で干渉すれば、すぐにあったかく出来るよ」
「そうか」
雷韋が手桶に手をかけた時、扉が小さく叩かれる。
「誰だ? 今、風呂に入っている最中だ」
その言葉に返ったのは
「私です。雷韋君はいますか?」
「あぁ、いるぞ」
「ちょっと失礼しますよ」
紫雲はそう言って、扉を細めに開くと顔だけを覗かせた。
「雷韋君、さっきの本なんですが……」
「
「そうですが……、え? ちょっと、雷韋君!」
「ん?」
無邪気なまでの顔だけを紫雲に向け、手元は陸王の背中に向かって桶を傾けるところだった。
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