第35話 わたし麻里。今、あなたの後ろ


 土曜日。まだ、夜も明けきらないうちに訪問者があった。


「ごめん。起こしちゃったかな?」


「いえ、大丈夫です。今日は朝早くから予定があったので、早く起きていました」


「そう、マコトとデートだものね」


「伏見さん、知っていたんですか?」


「うん、マコトから聞いたの!」


「あ、あの……もしかして……怒ってます?」


「怒る? なんで? ああ……そういうこと? ううん、気にしなくていいわ。それよりこれ」


 伏見さんが渡してくれたものは、今日予定している河童捜索に持って行くお弁当だった。


「そんな、そこまでしてもらうなんていくらなんでも……」


「ううん、気にしないで、好きでやってるだけだから!」


 それは、言ってみれば強者ならではの余裕のようにも感じた。『好きでやっているだけ』という言葉の意味は、たぶん高野君のことが好きだからやっているだけ。わたしのほうが、おまけなのだと言っているのかもしれない。所詮わたしなんかが高野君と出かけたところで、気にするほどのことでもないと言っているのかもしれない。


 伏見さんからお弁当を受け取り、昨日のカラになった二人分のお弁当箱を渡す。



 ――たぶん事実そうなのだろう。高野君はいつだって、伏見さんのことしか見ていない。だからわたしは決めたのだ。


 この日の河童池の捜索を、最後の思い出にしようって……


 そして、この日はいろいろあった。その中で、、一番大事だったこと。


 それは、高野君がサンドイッチをおいしいと言ってくれたことだった。

 たぶん、これが最初で最後かもしれない。


 高野君と伏見さんが相思相愛で、わたしなんかじゃどうにもならないことを知っている。


 伏見さんは料理上手で、きっと彼女の作ったお弁当はとてもおいしいのだろう。

 でも、これは最後の戦いだった。

 わたしは下手なりに頑張って早起きをして、今日のこの日のためにサンドイッチを手作りしたのだ。伏見さんがお弁当を持ってきてくれたけれど、それは家に置いてきた。


 だけど、高野君はわたしの作ったサンドイッチをちゃんとおいしいと言ってくれたのだ。


 その瞬間に、思わず涙があふれてしまった。――最後に、ちゃんといい思い出が作れたんだと。


 伏見さんがわたしのアパートに訪れたのは夕方になってからのことだ。伏見さんの体調もすっかり良くなっているらしく、マスクもしていない。今日一日あったいろいろなことを話したくて、部屋に上がってもらい、お茶を淹れた。冷蔵庫にあった貰い物の伊予柑ゼリーを二つ引っ張り出してテーブルにつく。


伏見さんはテーブルの隅に置いていたペイズリー柄のお弁当バックが、中身の入ったままそこに置かれているのを見つけ「ああ、そういうことだったのね」とつぶやいた。


どうやらやらかしてしまったようだ。本当は伏見さんが来るまでに中身を処分して、高野君と一緒に食べたことにしようと思っていたのだけど……


「ごめんなさい。わたし、自分でお弁当を作っていて……でも、せっかく伏見さんが

持ってきてくれたのにいらないなんて言えなくて……」


「いいのよいいのよ。アタシが勝手にやったことなんだから、麻里ちゃんが気にすることはないわ。それより、河童は見つかったのかしら?」


「いや……さすがにそれは……。でも、いろいろ大変なものを見つけてしまいました」


「そう、それは気になるわね。どんなことがあったのかしら? 今日はトウチョウできなかったから気になるわ」


 そう言って、伏見さんは伊予柑ゼリーをスプーンですくって口に運ぶ。



 『トウチョウ』という言葉に疑問符が浮かぶ。真っ先に思い付いたのは『登頂』だ。河童池のある金山は確かに山登りをする必要があったわけで、伏見さんはそこについてこなかったからこんな言葉を使ったのだろうかと。でも、それはどうにも違う気がした。


「トウチョウ?」


 言葉に出して聞いてみた。


「うん、このお弁当箱の袋にね――」


 伏見さんはペイズリー柄の袋の底の隅、縫い合わせの部分をつまんで見せてくれた。


「――盗聴器を仕掛けていたんだ。気が付かなかった?」


「え?」


「あ、だってほらあ。やっぱアタシがいないところでマコトと麻里ちゃんがどんな話しているのか気になるじゃん? でもさ、今日はお弁当持って行ってるはずなのに全然話し声聞こえなくってさ、どういうことなんだろうって考えていたのよ。だからなるほどそういうことなのかって納得したわけ。今日は麻里ちゃんが自分でお弁当を作って持って行ってたってことなのね。

 アタシさ、もしかしてついにこの盗聴器に気づいちゃったのかなって思ってさ」


 伏見さんは、屈託のない笑顔でそう教えてくれた。


「え、え? ちょっと待って……盗聴? もしかして、昨日のお弁当の袋も?」


「そーだよー。だからさ、昨日のお昼ご飯の時も、昨日マコトがこの部屋に来て話をしている時も、アタシはちゃんと聞いていたのさっ!」


「あ、ああ、それって……」


 わたしは思い出してみる。昨日お弁当箱の袋を置いていた時に、高野君とどんな話をしていたのだろうかと。


 お昼休みの時はたぶん大丈夫だ。問題は放課後。高野君を部屋に呼んで、泊って行けばいいなんて言ってしまった。あの会話を聞かれているとなるとさすがに凹む。


「ごめんね、麻里ちゃん。でも、役には立ったわ。ほら、マコトって押しに弱いから、あのまま迫られたら麻里ちゃんのこと、押し倒しちゃっていたかもしれない」


 そう言えばあの時、絶妙なタイミングで伏見さんからの電話があったのも、話を聞いていたからだと思えば納得できる。


「ほんと、残念でした。あの時伏見さんからの電話がなければ、既成事実を作って完全にわたしの勝ちだったんですけど……」


 そんな強がりを言ってみたのは単なる虚勢だ。電話がなくても高野君はわたしを拒

んだことぐらい、あの場の雰囲気でわかる。


「それにさ、お昼休みにも意外と役に立ったし」


「え、お昼休み?」


「そうそう。アタシさ、昨日は学校を休んだフリをしてさ、いろいろ準備してたんだよね。

 最初はね、職員室に行って旧校舎の時計塔の鍵を借りてこようとしていたんだけど、そのまま借りたんじゃアタシだってバレちゃうじゃない? だから、体育館倉庫の鍵を貸してくださいって言って、わざと間違えて時計塔の鍵を借りようとしたのね。だけど、教師の監視が中々厳しくって、仕方なく用もない体育館倉庫の鍵を借りていったの。

 だけどさ、アタシ思いついたの。

ほらあ、麻里ちゃんってさ、いつも荷物を部室に置きっぱなしにしているよね。だから昼休みに二階の女子トイレに隠れて、マコトと麻里ちゃんが文芸部の部室で昼食をとっているうちに、麻里ちゃんの部屋の鍵を鞄から抜き取って、それからマコトに電話をかけるでしょ、『旧校舎裏の稲荷の様子を見に行ってほしい』って。

うまくいったわ。マコト、財布と一緒に時計塔の鍵を文芸部の部室に置いたままにしてあったから、あの隙に時計塔の鍵と麻里ちゃんの部屋の鍵をすり替えたの。鍵なんて同じメーカーで持ち手が同じならその先の形が違ったところで普通わからないものね。そしてみんなが午後の授業を受けている間に時計塔の鍵を使って中に犬の死体のフェイクを置いておいたの」


「死体のフェイク……ああ、そういえばそんな話を聞いたわ。軽音部の井上くんがだいぶパニックになったって、あれ、伏見さんがやったの? わたしてっきり……」


「あの時、麻里ちゃんはいなかったから詳しくは知らないのよね。いいわ、教えてあげる。

 放課後になってみんなが集まっているときに、時計塔にいたアタシはわざと大きな音を出してみんなをおびき寄せた。来るのは誰でもよかったんだけど、マコトが相手だと見抜かれたかもね。でも、来たのは河本君だった。時計塔の室内は光が少なく暗くて見えにくいのでアタシはドアの陰に隠れていて、河本君が中に入り、暗さに目が慣れる前に入れ違いで外に出た。そのまま外から鍵をかけて階段を下りて二階の女子トイレに隠れていたのよ。

 時計塔の中に閉じ込められた河本君は部屋に電気をつけ、犬の死体を見つけ、きっと恐怖におののいたと思うわ。でも、本当に怖がったのは井上くんの方だったと思う。なにせアタシ、犬の死体は井上くんが見せてくれた犬の写真そっくりに作ったんですもの!

 ぬいぐるみの首から上を切り取って中の綿を抜き、代わりにシリコンと使い捨てのカイロ、プラスティックの棒と、それに生の鶏肉も入れておいたわ。本当にみんな驚いてくれたみたいで、アタシもわざわざ授業を休んでまで頑張った甲斐があったというわけね。

 だけど、埋めたはずの犬の遺体が消えちゃうっていうのは想定外よ。多分あれは本物の犬が掘り起こして持ち去ったんだと思う。アタシさ、あの犬には前から餌付けしていたんだよね。本当は油揚げを食べるように仕込みたかったんだけど、なかなかうまくいかなくて、油揚げの中に鶏肉を入れたものを差し出したら食べるようになったわ。だから、きっとあの埋めた犬のぬいぐるみの中にある鶏肉が食べたくて掘り起こしたんじゃないのかな? まさか、あの茶色い毛並みが油揚げに見えたってことではないと思うけれど。

 まあ、それはともかくさ、そのあとマコトの鍵と元通りにすり替えるタイミングがなくて仕方なく麻里ちゃんの鞄の中に戻しておいたのだけど……なんだかうまく行ったみたいでよかったわ。場合によってはアタシが犯人だと名乗り出て、マコトから麻里ちゃんの部屋の鍵を取り返さなくちゃいけなかったんだけど、狙い通りマコトは事件の真相を大体見抜いていたみたいだから」


「大体?」


「そう、大体。マコトはたぶん、犯人は麻里ちゃんだと思ってるんじゃないかな」


「わたしが、ですか?」


「ほら、麻里ちゃんってすごく静かに歩くでしょ? 旧校舎の階段を歩いても音がしないのは麻里ちゃんだけ。だから、マコトは必然的にあの犯行ができるのは麻里ちゃんだけだと思い込んでいるのね。でも、アタシは麻里ちゃんよりも小柄で体重だって軽いんだから、慎重に歩けば音を立てずに歩くことくらいできるのよね」


「伏見さん、さらっと厭味を入れてくるのね。わたしのほうが体重が重いって」


「ふふふ。それにね、麻里ちゃんも本心では軽音楽部が旧校舎からいなくなったほうがいいと思っていたでしょ? そうすれば、あの旧校舎であなたはマコトと二人きりになれるものね」


「ええ、それは、まあ……」


「そしてそれはマコトにしても同じ。せっかく本を読みたいと思っていたのに軽音楽部の演奏がうるさくて集中できないと腹を立てるようになっていた。

 井上くんにさ、昔拾ってきた犬の写真を見せてもらった時、もしかしたらビビっちゃうんじゃないかなって思って、裏山に住み着いている犬とおんなじ犬だって言ったの。本当は全然違うのにね。

 でも、マコトはそれに合わせて自分が見たのも同じ犬だって言ったのよ。あの時、マコトもアタシと同じで井上くんをおどかそうと企んでいるって気づいたのよ。だからアタシは学校を休んだことにして思いっきりおどかしてやろうって考えたの。もし、途中でバレそうになっても、マコトのことだからおおよそを察知して、うまく話を合わせてくれると思っていたの。

 うまくいったわ、でも、うまくいきすぎちゃったみたい。井上くん、まさかあそこまで本当におびえるなんて思ってもみなかったもの」


 そこまで語り、伏見さんはお茶を飲み、そうして伊予柑ゼリーを口に運ぶ。


「ねえ、一つ聞いてもいいかしら?」


「なあに?」


「どうして、伏見さんはそんなことしたんですか? それに、なんでわたしにそのことを全部打ち明けたんですか?」


「ひとつじゃないじゃん?」


「数なんてどうでもいいです」


「うーん。そうね、理由はアタシも、軽音楽部をやめたかったから……で理由になるかしら?」


「どうしてやめたかったの?」


「本当はね、もっと軽い気持ちで始めただけなのよ。バンドメンバーが足りない、ヴォーカルがいないって話を聞いたから、ただ何となくやってみたかっただけという理由なの。だけど、みんなアタシが思っていたよりも本気で、こんな甘い気持ちで続けるのはかえってみんなの迷惑なんじゃないかなって思っていたのよ。アタシよりももっとふさわしい人が、ほかにいるんじゃないかって……だから、ほかに誰かいい人が見つかればその人に替わってもらってやめようとは思っていたのよ。

 そうしたらさ、やっぱマコトも迷惑がっているみたいだって気づいたし、そんなことでアタシがマコトに嫌われちゃうのも嫌じゃん?」


「だから軽音楽部をつぶそうと思ったの?」


「まあ、こんなこと言っても言い訳にしかならないんだけどさ、本当はちょっとだけおどかして、何も幽霊が出るなんて噂の旧校舎で練習なんかしなくてもいいじゃん。どっか他の場所でやってもいいんじゃないの?って方向で考えていたんだけどさ。なんか収集つかなくなっちゃって……」


「そう、それで、なんでわたしにこんな話を? 別に黙っていれば、わたし、いろいろ気づきもしなかったのに……」


「まあ、それに関しては大部分が罪悪感かな?」


「罪の意識、あるんだ」


「ひっどーい、アタシだってさ、これでもそれなりには悩んだんだよ。そうは見えないかもしんないけど」


「うん、見えない」


「うんうん、アタシ、損する性格だよね。まあともかくさ、こんな回りくどいやり方は、アタシらしくないかなって思うわけ。だから……」


「だから?」


「だから、そろそろ正々堂々とマコトにぶつかってみようと思うの。だからさ、そうなると麻里ちゃんには今の恋を、あきらめてもらわなくっちゃいけなくなるでしょ? だからさ、今日のデートが、最後の思い出になればいいかなって思って、アタシは見守ることにしたのよ」


「見守るとか言っちゃって……結局は盗聴しようとしていたじゃない」


「でも、失敗した。だから、何があったのか、聞かせてくれると嬉しいんだけどな」


「虫のいい話。そういうことならそうですね……教えないことにします」


「ええ、なあんでー」


「だって、これはわたしと高野君との、最後の思い出だから。二人だけの、秘密……」


「そっか……、まあ、そういうことなら仕方ない。麻里ちゃんには犯人役をやってもらうわけだし、そのくらいは我慢しなくちゃね」


「犯人役をやってもらうって……もし、わたしが高野君や軽音部のみんなに全部真実を話しちゃうかもしれないでしょ?」


「でも、麻里ちゃんはそんなこと言わないわ」


「かいかぶりです」


「そうでもないわよ。だってあの時。ほら、39アイスでフレーバー当てをやったときに、勝ったほうがなんでも言うことを聞くって約束だったでしょ? アタシ、あの時勝ったんだから、黙っていてよね」


「勝ったって……ずるしたじゃないですか」


「勝ちは勝ちよ。そういう約束でしょ? アタシだって、こんな卑怯なことしたって、マコトにだけは絶対に知られたくないもん。口が裂けても言えないわ」


「でも……きっと高野君は、それでも伏見さんのことをかわいいって言うと思う」


「そうね、だってアタシはかわいいもん!」


「それにどのみち。高野君はきっと伏見さんが犯人だなんて信じませんよ。高野君にとっては伏見さんは理想の女性であって、伏見さんの邪悪な側面なんてきっと見ようとしないでしょうから」


「ひとは、見たい世界しか見ないからね。よくいる陰謀論者だってそう。ちゃんと冷静になってみればわかるはずの真実でも、みんなそれぞれが自分に取ってみたい世界の、都合のいいところばかり貼り合わせてしまうから、人によって真実は違って見える」


「真実は、ひとつとは限らない……」


「ねえ、麻里ちゃんもそう? そこに、見たい世界があるからそうやってオカルトだとか、不思議を追い求めるのかな?」


「まあ、ありていに言えばそうですね。わたしは……

 わたしは、世界はもっとおかしなことで満ち溢れていてほしいんです。

 そうすれば、自分が特別じゃないって思えるから……

 わたしも、伏見さんみたいに普通のかわいい女の子で、普通に恋していいんだって思いたいから……」


「そう……だから、そうやってカラーコンタクトを入れたり、髪を黒く染めたりして普通を装っているのね」


「遺伝、みたいなんです。母親は普通の日本人的な黒い目と黒い髪なんですけど、おばあちゃんは小さいころから左右の眼の色が違って、髪の色を子供のころから銀色だった。わたしはこの目や、髪の色のせいで小さなころからみんなに気味悪がられて、化け物だって言われてきたんです。わたしの育った小さな町では、わたしはちょっと変わった有名人で、なにをやったって、誰かに後ろ指をさされてしまう。だから、わたしはこうして生まれ育った町を離れて一人暮らしをすることにしたんです。だけど、やっぱりわたしみたいな変わった子はあんまりいなくて……ああ、もっと世の中にはおかしなことがたくさんあれば、わたしのことなんて誰も気にしないのになあって……そうしているうちに、オカルトだとか、そういうものに居身を持ち始めて……世界がこんなにも不思議なことであふれていたなら、自分なんて全然普通だし、普通に生きていてもいいんだって思えるから……」


「ふうん、そうだったのね。あなたもいろいろ大変なのね。

でもさ、アタシは逆にうらやましいと思うけどな。その、真っ赤な右目だってすごく素敵だと思う。なにも毎日黒いカラーコンタクトを入れて無理に左右の色を同じにしなくたって、それは麻里ちゃんの個性なんだからいいんじゃないかな? それに、たぶん放っておけば、その髪の毛もきっときれいな銀色になるのでしょうね? 毎日きれいに染めて分からないようにしているみたいだけど、そんなことしなくてもきっとそれはそれでかわいいと思う。普通じゃないことって、別に悪いことじゃないんだよ。むしろ、うらやましいくらい」


「でも、やっぱりわたしは周りの目が気になってしまうから……」


「それでもきっと、マコトは麻里ちゃんのこと、かわいいって言うと思うな」


「……言わないと、思います」


「やっぱり麻里ちゃんはマコトのこと、わかってないなあ。もし、言わなかったとしても、それはきっと照れてるだけよ。アイツはねえ、はっきり言って麻里ちゃんみたいな子、タイプなんだよ。

 それがわかってるからあ……、アタシがこんなに警戒しているわけ」


「ほんとに、本当にそう思ってます?」


「思ってるよ。アタシ、卑怯なところはあるけれど、これは本当に本当のこと」


「そう……ですか……」


「うん、そうそう」


「じゃあ、わかりました。わたしも覚悟を決めます。さっきは最後なんて言いましたけど、やっぱりわたし、高野君のことあきらめません!」


「え!」


「だってわたし、あの伏見さんに墨をいただいたんですよ? 今更そう簡単に高野君のこと、あきらめたりしませんからっ! 来週からは、本気で本気のライバルですか

らねっ!」


「う、あ、お、おうん……。アタシ、余計なこと言っちゃったかな?」


「はい、きっといつか後悔すると思います」


「そっか、じゃあ、仕方ないね……だったら容赦はしないわ。かかってきなさい! ウエダマリ!」


「――あ、ごめんなさい、伏見さん。こんな時に言うのも何なのですけど、わたしの名前、ウエダじゃなくて、カミダです。

 〝上田〟と書いてウエダって読むのが普通かもしれないんですけど、どういう訳かカミダなので、そこは先祖を恨んでも仕方ないですし……、でも、わたしやっぱり普通が良くって、みんなには『ウエダ』って名乗ってます。別に困ることもないので……

でも、伏見さんはこれからはライバルになるので、ちゃんと覚えていてくださいね」


「ああ、もう。わかったわよ。めんどくさい子ね」


「そう思ってもらえて何よりです」


 伏見さんは去り際に振り返り言った。


「あ、そうそう。あの贈り物、気に入ってくれたかな?」


「贈り物?」


「あの、変な形の頭蓋骨のレプリカよ」


「リョウメンスクナ……あれ、伏見さんが?」


「そう。ネットで見つけて買ったのよ。カミダさん、ああいうの好きかなって思って……

 リョウメンスクナっていうんだ。アタシてっきり、妖怪二口女かと思ってたわ」


「二口女ね……。伏見さん、知ってます? 妖怪二口女の正体って、本当はただ単に大メシ喰らいの嫁のことなんですって」


「あら、かわいいじゃない? たくさん食べる女の子は魅力的なのよ」


「二口女は、実は妊娠していた嫁って話もあるわ。普通の女の子が食べすぎると、太るわよ」


「大丈夫。アタシはいくら食べても太らないから。

 あ、だけど、あの頭蓋骨が男だとしたら、二口女じゃないから、きっと妖怪〝二枚舌〟ね」


「なによ? 妖怪二枚舌って?」


「八方美人な男の妖怪よ。こっちの女の子にはいいことをいっておきながら、もう一つの口で別の女の子を口説いちゃうのよ」


「ああ、でもそれなら……」


「なあに?」


「あの頭蓋骨の形の通りなら、二人の女の子と同時にキス。できるのよね……」


「それはだーめ。どっちもアタシが独り占めするから」


「まけませんから……」



 月曜日の朝。学校へと向かう金山の坂道で、わたしの前を仲睦まじそうに歩く高野君とライバルの後姿が見える。わたしはそっと後ろに近づき、小さな声でぽそりとつぶやく。



 ――わたしは麻里。今、あなたのすぐ後ろにいるの。



 高野君は振り返った。「おはよう」と彼は言う。


 

 ――やっぱり、あの稲荷の伝説は本当だったんだ。



 わたしの願いは確かに叶った。

 この世界は、不思議なことであふれている。

 これから先だって、どんな予想もつかない未来だって起きうると、今は思う。


                                     了


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放課後のメリーさんが、リョウメンスクナを連れてきた 水鏡月 聖 @mikazuki-hiziri

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