6日目 日曜日

第31話 アマビエは、この疫病を終わらせる


 最近になってよく耳にする妖怪に『アマビエ』というやつがいる。


 長い髪にとがった口、キラキラした目にうろこの体、そして三本の足。


 そのイラストは今や知らない人は誰もいないと言われるほどで、ことの発端は世界的に流行した病に対し、そのアマビエのイラストを張っておくと病が収まると言われたことだ。


 そのつぶらな瞳に人々はかわいいと感じ、しばしば長い髪から連想されやすい女性のイラストとして登場することもある。


 しかし、騙されてはいけない。アマビエはおそらくオスである。アマビエの正体は『アマビコ』(阿磨比己)である。


 アマビコという妖怪はいわゆる予言獣で、猿のような毛むくじゃらな体に三本の足。海から上がってきて人に予言をするのだ。


『間もなくこの国に疫病が蔓延する。我を書いた絵を貼っておけばその難から逃れられる』


 このことを受け、巷で多くの民がこのアマビコの絵を買い求め、家に貼った。

 京都の瓦版屋も例外ではない。


 都である京都の多くの民がこのアマビコの絵を掲載された瓦版を買い求め、家に貼るというのは他と同じである。

 しかし、その瓦版に書かれていた〝コ〟の文字が〝ヱ〟と紛らわしかったのだ。京都の町で多くの民が手に取ったその瓦版に描かれていた絵というのが有名なあの『アマビエ』の絵であり、京都の町では『アマビヱ』として伝わった。

 

 まあ、名前なんてどうでもいいことだ。アマビコだろうがアマビエだろうが、皆の間に流行ってしまった病を治めてくれるというのならば、それにすがることに異はない。



 日曜日だ。明日からはまた学校が始まる。

 思えばこの一週間はいろいろあった。

 そしていまだ、それらのすべてが解決したわけでもなく、それを抱えたままで明日から過ごすというのは難儀なことである。


 いや、そもそもこんなことになってしまったのは、僕にだって責任があるのだ。

 だからと言って僕がすべてを解決することのできるような優れた人間ではないということは言うまでもないし、だからそう。

 この状況を誰かが何とかしてくれないかなと甘えたことを考える日曜日の朝に、僕のところにめずらしい相手から連絡がきた。



『少し話したいことがある。今日、少し時間を作れるか?』



 軽音楽部の部長、天野からだ。

 長髪で丸眼鏡、少し気取った態度のナルシストタイプの天野が、実は少し苦手ではある。


 しかし、彼の才能が人並外れたものだということは否定できない。

 軽音楽部のバンドメンバーが演奏する楽曲の作詞作曲は彼が一人で担当し、バンドマスターで、部長で、ギタリストでナルシストだ。


 もう、非の打ち所がない(たぶん)。

 

 そんな奴からの直々の呼び出しだ。逃げるわけにはいかないだろう。僕は顔と首を洗って準備をした。


 待ち合わせ場所は駅前のチェーン展開しているコーヒーショップだ。その店のどこかにいるだろうからと考えていたがそれは杞憂だった。

 天野はコーヒーショップの前を通れば誰の目にも飛び込んでくるような、通り沿いのウッドデッキのテラス席に座っていた。十一月の風は昼間といえども冷たくて、何もわざわざ外のテラス席に座ろうなんて奴は少ないから嫌でも目立つ。僕を見つけるなりきざったらしく片手をあげて合図してくるものだから無視もしづらい。本音を言えば、知り合いとさえ思われたくないので気づかないふりをしてそのまま家に帰りたいとさえ思った。

 

 ショップカウンターで今月のおすすめとなっているキリマンジャロブレンドのコーヒーを受け取り、紙のカップを持ったままテラス席に出る。僕は天野の向かいに、道路を背にして腰を掛けた。向かいに座る天野はウールのジャケットにニットのマフラーを巻いたまま、防寒対策をしたままでなんたらふらぺちーのとかいうかき氷みたいのものを飲んでいる。


「余計なお世話かもしれないけれど、そんなもの飲んでて寒くないのか?」


 開口一番、そんな厭味で宣戦布告してみる。


「俺は甘くて冷たいものが好きなんだよ。気にするな」


「そうか。なら構わないけれど……僕には理解できないな。甘いものは苦手だし」


「そのわりに上田さんとはアイスを食べに言っていたみたいだけど?」


「上田と? ……よく知ってるな。でもあれは単にななせとアイスを食べに行ったとき、上田と鉢合わせしただけだぞ」


「なんだ、二股か?」


「うらやましいだろ? 何なら一人分けてやってもいいが」


 僕は熱々のコーヒーをすすり、「ほうっ」と息をつく。白い湯気となってテーブルの上に浮いた。試合開始のゴングだ。


「それで、今日は何の用事だ? まさかデートに誘ったわけじゃないよな」


「もし、それが希望だったんなら、そう思ってくれてもいいんだがな」


「よし、それじゃあ日記に書いておこう。今日は天野君と初デート記念日っと」


「それじゃあさっそく本題に入りたいんだけどいいかな?」


「もちろん。この後別の娘とデートの予定もある」


 天野は眉をしかめた。流石にこれ以上ふざけて刺激しないほうがいいだろうか。


「冗談だよ。始めてくれ」


「ああ、高野も正直、困っているんじゃないだろうかと思ってな……最近起きている、旧校舎での一連の出来事について」


「ああ、まったくだ。次から次へと変なことばかりが起きて……」


「だからそろそろ、この流行り病みたいな一連の現象を終わりにさせようと思ってな」


「それに関しては賛成だ」


「そうしないと明日からまた一週間が始まるが、気分よく学校へ行けない奴もいるだろうからな」


 天野が冷たいドリンクに差したストローから一口吸い上げ、それに倣って僕もコーヒーを一口すする。


「先日の、あの犬の首なし死体のことなんだけど……高野はどう思う?」


「どうと言われてもな……気味が悪かった。でいいか?」


「あの時犬の死体を旧校舎裏まで運んだのは俺とおまえの二人だ。憶えているか?」


「できるなら忘れたい。今思い出しただけでも寒気がする。あのまだ血の通った生暖かい感触が今でも夢に出てきそうでな」


「いい加減、とぼけるのはよせ。あれが、本物の死体じゃなかったことぐらい、お前だってわかっていたんだろ?」


「本物の死体じゃなかっただと? そうはいっても、あの死体はまだ生暖かくて、明らかに生きた動物のそれだった。しかも、あの生々しい首の切断面、天野だって見ただろう?」


「ああ、確かに見たよ。しっかりとこの目で観察した」


 眉間の間に中指を立て、その丸眼鏡の位置を調整しなおして天野は続ける。


「わざとらしくに流れ出た血の断面に注意をそらされそうだったけど、まだ死んで間もない犬の肉の断面にしては淡い色をしていたな。あれは、多分スーパーで売っているような鶏肉の断面じゃなかったか? その断面に赤黒い血糊が塗られていたからわかりにくかったかもしれないが、あれが、死んで間もない中型哺乳類のものとは思えない」


「詳しいんだな。僕も観るには見たけれど、そういうのはよくわからないからね」


「まあ、一応俺の親父は医者だしな。将来は家を継げと言われているしそれなりに勉強もしている」


「それはすごいな。僕の父親は農業の機械を売っている。父親の口癖は『もっと勉強しろ、おれのようになるな』だ。だけど僕はこの父親を尊敬している。なにしろ今日まで無事に育ててくれたのだ。でも、僕は父の仕事を継ぐ気はない」


「今は高野の身の上話をしているわけじゃない」


「そうだったのか……すまない、本題に戻してくれ」


「あの時運んだ犬の死体、はっきり言って骨格が異常だったよ。プラスチックの芯を入れてそれっぽくしたつもりだろうけれど、触ればそれが犬の骨格とは明らかに違うことは誰にだってわかりそうなものだ。はっきり言って粗末だとしか言いようがない。犬の骨格標本を見たことはないのか?」


「犬の骨格標本ね。見たことくらいはあるけれど、詳しくは憶えていないよ。むしろ、そんなものはっきり覚えているやつなんているのか? つか、何が言いたい? この際はっきり言ってくれてかまわないぞ」


「そうか、それじゃあこれを渡しておこうか……」


 天野はテーブルの上に有名なデパートの紙袋を置いた。まさかどこかに行ったお土産というわけではないだろうと中を覗くと、中にはさらに半透明のビニールの買い物袋が入っている。口が厳重に結ばれていて、中には何か茶色いものが入っているように思えた。


 ここまでの話で、それが何なのかは大体想像がつく。


「どこで見つけた?」


「旧校舎の裏山の繁みの中に落ちていたよ。まったく、やることがずさんにもほどがある」


 内側のビニールをほどき、中の茶色い物体を取り出す。


 全体が茶色い毛におおわれた、大きな犬のぬいぐるみのようだ。それなりにリアルな作りで、表面を泥と砂とで汚しているので一目見ただけではそれがぬいぐるみだとはわからないかもしれない。首から上の部分は切り取られていて、付近には赤黒い血のような染みがびっしりとこびりついていて、それらは乾燥して硬くなっている。どうやら切り取られた首の部分から、初めに中に入れられていたであろうウレタンなどが抜き取られ、プラスチック製の棒が数本、それにシリコンのボール、使い捨てのカイロ、それに奥のほうには腐敗しかかった本物の鶏肉などが詰まっている。


 天野がこれを見つけて僕に突きつけたことを考えれば、天野なりにひとつの真相にたどり着いたのだろう。


 もはや僕に、言い訳の余地はなさそうだ。


「あの日、高野が一階にいて、俺達軽音部は二階の部室にいた。上の階からドンという音がして、不審に思った俺たちを代表して河本が高野のところに三階機械室の鍵を借りに行った。その時、すでに鍵は開いていて、河本は中に入る。そこで、後ろからドアを閉められ、鍵がかけられたのだ。中にはこの犬の首なし死体の偽物。鍵は河本の手の中だ。それなのに外側からしか開閉できないはずの鍵が閉められ、河本は閉じ込められることになった。

 高野は鍵がないからと言って職員室まで鍵を取りに言ったけれど、そんなことをしなくても、普段から鍵を管理していた高野なら、いつでも合鍵くらい作れたんじゃないのか?

 合鍵を持っていた高野は、鍵を河本にわたし、三階に上がっていく後ろをこっそりと後をつけた。河本が中に入ったタイミングを見計らってスペアキーで外側から鍵を閉め、いったん一階に戻る。河本が閉じ込められた三階で悲鳴を上げ、俺たちが三階に上がっていった頃合いを見計らって高野は後から上がってきて、鍵がほかにはないと言って職員室に鍵を借りに行った。自分自身がスペアキーを持っていたにもかかわらずだ」


 僕は、黙って話を聞きながらぬるくなり始めたコーヒーに口をつける。テラスに吹く風は冷たくて、もうこんなぬるいコーヒーなんかでは十分に暖をとれないと感じた。


「井上はすっかりおびえてしまっていてな、もう、あの旧校舎にはいきたくないと言い出した。部もやめたいだなんて言いだした。でもな、そんなことになったらせっかくバンドとして出来上がった俺たちは皆行き場を失くしてしまうんだ。

 もう、十分だろ。いたずらにしては質が悪すぎる。いい加減このくらいで手を引いてくれないか? そうしてくれれば、俺としてもこのことは誰に公言することもなく、いままで通りの生活に戻ると誓おう。悪い話ではないはずだ」


 ――悪い話ではない。僕が、すべての責任をかぶり、そのうえで誰からも罪にとがめられないのだというのならばそれはありだろう。しかし、それだけでは僕の目的は達成できずじまいだ。

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