第30話 ハーメルンの笛吹
僕が子犬に近づこうすると、子犬は自分のくわえているそれを奪われるとでも思ったのか、小走りで逃げ出し、脇にあった入口とは別の小さな横穴に入って行った。その場を追いかけてみたけれど、流石に横穴は小さすぎて人間では入れない。横穴にスマホを差し込みライトを照らしてみると、どうやら上のほうに続く縦穴になっているようだ。
その先が、どこにつながっているのか?
それは意外にも簡単に想像がついた。子犬が走って逃げたと入れ違いに滑り落ちてきた筒状の金属。僕はそれに見覚えがある。
安物ではあるけれど、災害時などに持っていると便利だろうと買っておいたLED式の懐中電灯だ。
昨日、上田と旧校舎の裏山に行き、その時に井戸らしき場所に落としてしまったライト。それがここにあるということは、おそらくこの場所はちょうどあの井戸の底だということだ。いや、そもそもここは井戸なんかではなかったのかもしれない。この神田池から巫女の住む社へと続く通路。神田池で汲まれた水をこの通路を使って持ってあがっていたのかもしれない。
長い年月使用されずにそのほとんどは土で埋まってしまっているが、まだわずかな隙間があり、あの子犬が通路として使っていたのだろう。おそらく子犬はこのボロイ廃屋に住み着いていて、この通路を通って、あの裏山の広場や旧校舎の稲荷のあたりまで餌を探してさまよっているのだろう。
LEDの懐中電灯を拾い上げスイッチを押すとスマホよりもだいぶ明るい光が手に入った。
昨日落した時にはついていたはずの照明が消えていたのでてっきり壊れているかと思ったが、どうやらここまで落下してくる間にどこかでスイッチが押されてしまっただけのようだ。
「どうしたんですかそれ?」
「昨日あの井戸に落としたライトだよ。ここに落ちていた」
「それってつまり……」
上田が何かを言いかけたとき、僕は懐中電灯をさっき子犬が土を掘り返していたあたりを照らす。
「ひいぃ!」
オカルト好きのはずの上田もさすがにこれには声を上げずにはいられなかった。
僕は先ほど犬が何か白いものをくわえているのを見たときに、あれは骨だったのではないかと感じたので、それなりの心構えはあった。
だけど、まさかこんなにもヒドイと思っていなかったのでさすがに息をのむ。
小犬が掘り返していたあたり一面、土の中にぎっしりと敷き詰められた人骨。いったい、何人分のものだろう?
多すぎてとても数える気にもなれないが、見る限り大人のものもあるが、小さな子供のものが目立つ。
「あ、あのスクナの頭蓋骨も、ここから持ち出したやつですよね」
上田のつぶやきに、僕は読みを間違えていたのではないだろうかと改めて思う。
「あれ、上田が自分で用意した偽物じゃないのか?」
「なんで、わたしがそんなことしなけりゃいけないんですか? あれは、あの子犬ちゃんが持ってきた本物ですよ」
「……マジか」
「ねえ、これってもしかして昨日言っていた神隠しのやつじゃないですか?」
「どういうこと?」
「だから、あの神田という家に住んでいたのがリョウメンスクナなんですよ! スクナは夜な夜な人里に現れては人間の子供をさらい、食べてはその残骸をここに捨てていたんですよ!
ヤバいです! ここ、絶対ヤバいとこですよ! さすがにこれはヤバいですって! 逃げましょう!」
上田は急ぎ、入ってきた横穴へと向かった。僕ももうここにいる意味もなくなったことだし、それに呪いだとか祟りだとか、そういうことには興味はないけれど、ここにある人骨は間違いなく本物だし、ここにいて心地いいわけがない。
――いや、正直に言おう。
たとえ祟りだとか呪いだとか信じていなくても、この場所が気味悪いと思わない奴なんていないだろう。
僕たちは足早に途中殆どしゃべることもなく、ただひたすらに逃げるように下山した。
山を下りてバス停まで行き、自動販売機でコーラを買った上田は半分を一気の飲み干し、残りを僕に渡した。いい加減、間接キスだとかつまらないことを気にする歳じゃない。かまわず口をつけて残り半分をすべて飲み切った。
甘い炭酸飲料を、これほどまで欲したのは初めてだったかもしれない。今はこれ以上苦い思いはしたくない。
上田は少々取り乱した様子で、ずっとつけていた眼帯をはずす。その下はすっかり汗でびしょぬれになっており、つややかな赤い瞳があらわになる。今朝はあんなに恥ずかしがっていたのに、今はもうそれどころではないようで、気にする様子もない。
「それにしても、正直意外だったな。リョウメンスクナの頭蓋骨も持ってうれしそうにしている姿を見て、呪いなんて怖くないんだと思っていた」
「だって、あれは、高野君がわたしのために用意してくれた偽物だと思っていたから……
なのに、さっき高野君、あれはわたしが用意したんのなんだろうっていうから、本当に子犬ちゃんが持ってきた本物だったんだってわかったから……」
「そう……なのか?」
「あれ、ほんとに高野君が用意したものじゃないんだよね?」
「ああ、違うな。残念だけど」
「じゃあ、やっぱり本物だったんじゃないですか……」ああ、どうしよう。あんなヤバいもん部室に飾っちゃいましたけど、これからどうしよう……。旧校舎のみんなに、呪いとかかからないかなあ……」
上田は本気で参っているようだ。冷静さを失い、自身のキャラ設定もかまわず、口調も変わっている。もしかすると、これが本当の上田で、僕は今まで彼女の本当の姿なんて全く知らなかったんじゃないかとさえ思う。
「こんなこと、気休めかもしれないけどさ。呪いなんてものは実際に存在なんてしないよ。
ほら、あの場所だって、食べられた人間の死体がとか言っていたけど、あれは単にお墓に過ぎないと思うんだ。地方なんかじゃ割と土葬なんて最近までやっていたみたいだし、子供の死体が多かったのも、あの山に神隠し伝説が多いことを考えると、ちょっとわかる気がするんだ。
ハーメルンの笛吹って話、知ってるでしょ」
「ええ、そのくらいは知ってます。ドイツのハーメルンの町でねずみの駆除をした男に報酬を支払わなかったために、男が笛を吹き、町の子供130人を連れ去ったという事件です」
「あの話の真相は、子供たちは笛吹き男に連れ去られたんじゃなくて、開拓民として売られたんじゃないかという説があるんだ」
「うられた?」
「そう。多分ハーメルンの町はその時代とねずみの駆除というあたりから、きっと何らかの疫病が流行して生活が困窮していたんだと思うんだ。だから、町の人たちはこのまま子供たちと共に飢え死にするのではなく、口減らしとして開拓者に子供たちを売ったんだと思う。大人たちはその事実から目を背けるために、まるで不幸な出来事、まるで笛吹の悪魔の所業によって子供たちが消えたのだと口裏を合わせた。
いや、そう信じ込みたかったのかもしれない。だからあのハーメルンの笛吹男の伝説を語り継いだんだと思う」
「それと、あの洞窟の死体となにが関係するの?」
「たぶん、神隠しがあったという伝説の正体だよ。おそらく昔、この辺りで飢饉だとか、災害なんかがあったんじゃないかな。村人たちは貧困状態にあり、自分たちが生活するために口減らしをしなければならなかった。例えばそれは、まだ幼くて働き手としての力のない小さな子供だったり、病気なんかで思うように仕事ができなくなってしまった老人などが優先してあの山に捨てられたんだろう。河童の正体については諸説さまざまある。その中で有力なもので、間引きされた子供の水死体、というのがあるんだ。水死体の体は時間がたつと体内のガスが醗酵して膨らみ腹は出て、膨らんだ背中は甲羅を背負っているようにも見えるだろう。そしてその死体の肌は緑色に変色する」
「そ、それじゃあ……」
「だけど、自分の家族を山に捨てただなんて、周りの人には言いにくいよね。だから、それを天狗にさらわれただとか、神隠しにあったと言ったんだ。おそらく近所の人にもその意味は分かっていたんじゃないかな。だけど、そういう理由ならば、『それは災難だったね』『あなたは悪くないよ』と慰めの言葉をかけてやれる。そうすることでお互いを護っていたんだと思う」
「そんな……」
「でも、それも仕方のないことなんだとは思う。そうしないと家族みんなが飢え死にしてしまったかもしれないし、そう自分たちを信じ込ませないとその後生きていくことが困難だったかもしれない」
「それぞれが、見たい世界を見るようにしていたってことですか」
「たぶんね。でも、あの神田という山の家を見ればそこに救いも感じられないかな?」
「どういうこと?」
「あの神田という家が、なぜあんな不便な山奥で、ひっそりと隠れるように住んでいたのかということ」
「あ、もしかして……」
「山に捨てられたけれど、うまく生き残った子供たちは、あの家に集まってひっそりと暮らしていたんじゃないだろうか? 神田池で目撃されたという河童の伝説とは、単に生きて水浴びをしていた子供たちなのかもしれない。それでも環境のいい生活とは言えず、幼くして死んでしまった子供もいるかもしれない。けれど、その子たちは仲間たちの家のすぐ近くで丁重に埋葬され、決して不幸な最期ではなかった。そう思えば、あの場所も単に不気味な場所なんかじゃなく、神聖な場所だったと思えるんじゃないかな」
――もちろんそれが、すべての真実だとは限らないかもしれないけれど、多分その世界こそが、僕自身信じたかった世界なのだろう。口減らしのために山に捨てられ、そのまま山で朽ちて死んでしまったなどとは、あまり考えたくもないものだ。
「このこと、やっぱり警察に届け出たほうがいいですかね? 現に死体が出てきているわけですから……」
「それは必要ないんじゃないかな。死体が出てきたとは言っても、あれは単に墓場の土を野良犬が掘り返したに過ぎない。仮に事件性があったとしてももうとっくに時効を過ぎている話なわけだし、このことがテレビやネットで報じられたとしたら、僕たちの放課後の静寂が失われてしまう。せっかくもう少しで静寂が取り戻せそうだっていうのに、ことを大げさにはしたくないだろ」
「それもそうですね」
「まあ、たとえこのことを誰かに誰かに伝えるにしても、それは僕たちが高校を卒業してから出いいんじゃないか?」
「それまでは二人だけの秘密、というわけですね」
「そのほうがいいだろうな」
「もちろん、伏見さんにも内緒ですよ。これは、ふたりだけの秘密です。ふたりだけの……」
「ああ、わかった。約束だ」
僕は上田を家まで送っていき、それから家路についた。
上田があの話で納得したかどうかはわからない。けれど、スクナの呪いなんてものを信じて学校に来なくなったなんてのは後味が悪い。
そう言えば、そのことでどうにか手を打たなければならないことがあったような気がするのだが……
夜中になって、ななせからLINEにメッセージが届く。
『今日のピクニックは楽しかった?』
――知ってたのかよ。気まずいな。
『ピクニックなんて、そんな楽しいものじゃないよ。ただのフィールドワークだ』
『ふうん。でも、アタシの作ったお弁当はおいしかったでしょ』
――あのサンドイッチ、上田が作ったんじゃなかったのかよ。やたらにべた褒めしたけど、かえって感じが悪かったかな? そう言えばあの時、上田は泣いていたような気が……ああ、やらかしたのか? 僕は?
『うん、お弁当はとてもおいしかった。さすがにななせだね。また食べたいよ!』
――自分の二枚舌加減にも少し腹が立つ。
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