第27話 カワウソ君と河童君

「正直に言うとね、僕は河童の正体はカワウソじゃないかと思ってるんだよ」


「カワウソ……ですか? それじゃあなんですか? あの名作ギャグマンガのコンビ、かっぱ君とかわうそ君は同族だったとでも?」


「まあ、そのギャグ漫画がどうであるかはさておき、今ではほぼ絶滅したと言われている二ホンカワウソだけど、水辺なんがでは割と二足で立ち上がったりするんだよね。身長90センチくらいで水かきもある。頭のてっぺんは平べったくて、水からあがった際にはそこに残った水が太陽の光に反射してお皿のように見えたんじゃないのかって思うわけだ」


「それはまあ、確かにそういう事例なんかもあるかもしれないですけれど、だからと言って探さなくてもいいという理由にはなりませんよ? それに、そもそも河童を目撃したその人は、なんで、カワウソを発見したって言わなかったんですか? だってそのほうが普通じゃないですか? それなのにわざわざ河童を見たと証言するのは、それがとてもカワウソには見えなかったからじゃないんですか?」


「でもさ、初めから河童とかわうそと両方を知っている人からすればどうだろう?」


「そりゃあ、カワウソならカワウソを見た。そうでないものを見たなら河童を見たというの言うのでは?」


「僕が思うに、その見たものがどうであれ、河童を見たいと思っている人は河童を見たといい、カワウソを見たいと思っている人ならカワウソを見たと証言するんじゃないかな?

 人はどうしても見たい世界を見ようとする癖がある。だから、それを見たときに自分にとって都合の良いところだけを観察して、都合の悪いところは見ても見ぬふりをするんじゃないだろうか?」


「うーん……そういう穿った見方をするのは好きじゃないです。ともかく、とりあえずそいつを捕まえればわかることです。つかまえてから、じっくりと河童なのかカワウソなのか判断すればいいんじゃないですか?」


「ま、まあ、そうだね……もしかしてこの調査は、河童を捕まえるまで続いたり……しないよね?」


「でも、わたしが納得するまでは終わりませんよ。わたし、そう簡単にはあきらめたりしないタイプなので、それが嫌ならなるべく早くに捕まえることをお勧めします」


「そう、なのか……まいったなあ」


「さあ、話がそれました。本題に戻りましょう。ここ、高野君、わかります? ここじゃないかと思うんです」


 僕が手に持ったスマホの航空図とにらめっこをしている時、上田は体を乗り出して画面の一部を指先で差し示した。旧校舎の裏手にあるあの広場当たりのひどくピントのぼやけているあたりだ。しかし、上田は興奮のあまり気づいていないのだろう。さっきから、僕の背中には何やら上田の柔らかいものが押し当てられ、耳元では湿り気を含んだ荒い吐息がかかっているのだ。言っておくが、僕だってごく一般的な高校生男子だ。しかも一人暮らしをしているという女の子の部屋に上がり込んでいる。だめだとはわかっていつつも理性を抑えられなくなる可能性もあるのでいい加減にしてほしいものだ。


 思春期の男は、河童や呪いなんかよりも恐ろしいことを彼女は理解していない。


「ほら、ここですよ。この緑色の部分。ここって、池じゃないですか?」


 そこだ、その背中に当たっている部分、そこって、もしかして……


「たぶん、ここが噂の河童の池じゃないですか? 明日ですね、ここを見に行ってみ

たと思うんですよ。うまくすれば、河童に逢えるかもしれません……ねえ、高野君。聞いています?

 だから、あした。ここに行こうと思うのですが、高野君も一緒に行ってくれますよね?」


「い、行くって。そういう、約束だろ?」


「はい」上田は微笑んだ。「一緒に行きましょう」


 正直なことを言うと、さっきから割と手汗がヒドイ。意識しないようにと思えば思うほど意識してしまう。その航空写真からでは沼とも池とも判然しないその場所に探索に向かう段取りを簡単に決めた。出発は、朝早くになるようだ。



「よし、それじゃあそういうことで……」


 僕は半ば逃げ出すように立ち上がった。


「え、ちょ、もう帰っちゃうんですか?」


「鍵は渡したし、もう、いいんじゃ……」


「え、でも、その……せっかくここまで来たんですから、よかったらコーヒーでも」


「いや、折角だけれど大丈夫だ。そこまでされると、つい、腰を据えたくなってしまうし」


「あ、もしかして警戒とかしてません? 大丈夫ですよ。睡眠薬なんていれませんから」


「え、ちょっと待って、まさかそんなことされるなんて思ってもみなかったんだけど?」


「あはは、そうですよね」


「うん、まあ、明日も早いみたいだし、今日のところ早めに帰って……」


「あの、もしなんだったら、今日はここに泊っていくというのはどうでしょう?」


「いや、それはちょっとまずいんじゃ? だって、上田は一人暮らしなわけだし……」


「いえ、ひとり暮らしだから問題ないのですよ。親と同居していればさすがにとやかく言われるでしょうけれど」


 ――ああ、なるほどそうか。上田は、僕のことをまるで異性だと思っていないからこそそんなことが言えるのだ。だが、あいにく僕からしてみればそうではない。


「うん、まあ、でも、その……今日のところは帰ることにするよ」


 荷物を抱え、玄関に向かう。

 ドアノブに手を伸ばした瞬間、上田が後ろから覆いかぶさってきた。


「ど、どうしたんだ?」


「……わたしって、そんなに魅力ないですかね? これでも、それなりに覚悟は決めているんですけど……」


 僕には、その言葉の意味がよくわからなかった。

よく、わからないフリをした。


そんなこと、冷静になんて考えられるわけがない。


沈黙の中、玄関の戸口の隙間から入ってくる冷たい風が体に当たり、一瞬だけではあるが、僕はその風のせいにしようとした。冷たい風が、すべて悪いのだということに……


コートのポケットの中からコール音が鳴り響く。


 手に取ってみると、『伏見ななせ』の名前が表示されていた。


『ねえ、マコト。今、どこにいるの?』


「えっと……学校から帰っている、途中……」


『うん、そっか』


「それより、体調のほうはどうなの?」


『だいぶ良くなったよ。来週はちゃんと学校に行くから』


「そうか、それなら安心した」


『あ、ねえ、マコト。お弁当、おいしかった?』


「ああ、上田から受け取ったよ。とても、おいしかった」


『よかった。じゃあ、また作るね』


「無理は、しなくていいよ」


『無理なんかしてないよ。アタシが好きでやってるだけだから。あ、そうそう。空になったお弁当箱は、麻里ちゃんの家に置いといて、洗わなくてもいいから置いといてくれれば、アタシが取りに行くから』


「うん、わかった。それじゃあ」


『うん、それじゃあね』


 通話を切り、鞄から空になった弁当の箱を取り出す。上田に説明は不要だった。何しろ通話中もずっと僕に覆いかぶさっていたのだ。話が、聞こえていなかったわけではあるまい。


 お弁当箱を受け取った上田は、少し冷たい表情で「それじゃあ、またあしたね」とつぶやいた。


「うん、またあした」


 その言葉だけを彼女の部屋に残して、僕は帰路についた。



 明日の朝は早いから、早めに風呂に入って、早めに布団にもぐりこんだ。だけど、上田の部屋での出来事を思い出して、余計に眠れなくなってしまう。


 そう言えばあの時、ななせからの電話。『空になったお弁当箱は、麻里ちゃんの家に置いといて』という言葉は、まるで僕があの時、上田の家にいることを知っているみたいではないだろうか?


 その日の僕にはそんな雑念と、背中で感じた上田の感触と、耳元でささやかれた彼女の『覚悟』という言葉か繰り返し廻っていた。


 まったく。明日は朝が早いというのにもかかわらず、どうしたものだろうか。

 僕には一刻も早く眠りに落ちるため、少しばかりの賢者タイムが必要だった。

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