5日目 土曜日
第28話 フィールドワーク
十一月の午前七時はまだ薄暗い。
東日本に住んでいる人間からすれば疑問の声も上がるかもしれないが、西日本では実際そうなのである。日本国内ではどこに行っても一つの標準時刻で生活しているが、なにせ日本列島は全長3000キロメートルもあるのだ。その東西では経度の関係上、実質二時間近くの差があるため、統一された一つの時間で語っても、その感じ方は生活の環境次第で違ったものになる。
僕らは皆、そういう世界で生きているのだ。
まだ外は薄暗いにもかかわらず、今日が土曜日だというにもかかわらず、運動部に所属している学生たちはすでにユニフォーム姿のままで登校し、部活動の朝練へと出発しているものも少なくない。実にご苦労なことだ。くだらないことでほとんど眠れなかったと愚痴をこぼしている自分がまるでヒドイ怠け者のように感じてしまう。
電車に乗り上田の住むアパートに到着するころにはしっかりと陽の光も上がってきている。
ドアチャイムを鳴らし、しばらくすると玄関が開き、パジャマ姿で眠そうな上田が出迎えてくれる。
「ふああ、すいません。まだ準備ができていなくて……すぐに用意するので少しだけ
待っていてください……どうしたんです? 外じゃ寒いので、中に入ってください」
「あ、ああ……それにしても上田……お前、寝るときもカラコン、つけたままなのか?」
「ふぇ? からこん?」
上田本人も、気づいていなかったようだ。さも寝起き間もないという風体にもかかわらず、上田の左目はいつものような漆黒の瞳。にもかかわらず、たいして右目は真紅の瞳孔だ。
「は! はわわわわわわ!」
上田は右てのひらで慌てて赤い目を覆い隠し、部屋の奥へと走って行った。
帰ってくると、いつもの見慣れた黒いレースの眼帯で右目を覆っている。
上田が普段放課後に黒い眼帯をつけていて、しかもその目には赤いカラコンをつけているというのは割と有名なうわさだが、実際に赤い瞳を見たのはこれが初めてだったかもしれない。確かコンタクトレンズを入れたまま眠ると目が腫れるというような話を聞いたこともあるが、ソフトだとかハードだとかそういうのがあるらしくて実際どうなのかはよく知らない。僕は、視力だけはやたらと良いので眼鏡だとかコンタクトレンズだとかそういうものの知識がほとんどない。
上田の部屋に上がり、隅のほうに腰を据える。たとえ上田が一人暮らしだと知っていても、これが通算三度目ともなると僕もいよいよ慣れてきた。若干賢者タイムは継続中だし、変に意識せずに、余計な場所は見ないようにする。それだけのことでそれなりにリラック……
「っておい、そこで着替えるのかよ!」
上田は僕がいるにもかかわらず、目の前でパジャマの上着を脱ぎ棄て下着姿に。
「いや、別にいいですよ。別に、減るもんじゃないですから」
そうは言われても、目の前で着替えられるとなるとこっちはいろいろとすり減るものがあるのだ。この程度の賢者モードで抑制できる限りじゃない。
僕は慌てて部屋を飛び出し、玄関のドアの前、寒空のもとでしばらく待った。
なぜ、右目に赤のカラコンを入れているのを見られるのが恥ずかしくて、着替えを見られるのが平気なのかが理解に悩むが、それぞれ育ってきた環境も違うのだから、そういう感覚に差があるのは否めない。夏がダメだったり、セロリが好きだったりもするものだ。
「ごめんなさい、お待たせしちゃって……」
玄関のドアが開き、着替え終わった上田が姿を見せる。僕はその姿にツッコまずにはいられなかった。
「上田、今日、池を探しに行くために山に入るんだぞ。お前、山をなめてるだろ」
上田の恰好は、黒を基調としたゴシックロリータ。右目の黒いレースの眼帯とは見事にマッチしてはいるが、池を探して山に入る恰好ではない。やりなおしだ。
おかげで、もうしばらく寒空の下にさらされることとなる。
「これなら、文句なんてないでしょ!」
上田が次に見せたいでたちは学校既定の体操服のジャージだった。しかし、それでは……
「その眼帯だけが妙にミスマッチだな」
「ああ、これなら大丈夫ですよ。これ、レース生地なんで結構ちゃんと見えているんです。山道に入るのに、視界を悪くしてしまうとか、そういう心配はありませんから」
そうはいっても、別の何かを心配してしまいそうだ。
それに体操服に小さなリュックサック。まるで学校行事の遠足にでも向かっているような恰好だ。
上田の家から学校まではそれほど距離があるというわけではない。しかし河童の池があるという場所は、どうやら調べる限り学校のある金山をぐるりと反対側に迂回した場所から入山する必要があるようだ。僕らはバスに乗って目的地付近に向かい、山のふもとにある小さな無人の八幡神社を目指した。どうやらその八幡神社の裏手の山道から神田池まで行けるようだ。
実に、ネットの力はすごいなと思う。地元民でもほとんど知りえないような小さな情報でも、探してみればなかなか出てくるものだ。
山道はほとんど立ち入る人もいないような場所なため、整備されているどころかほとんど道とは言えないような場所だった。草は生い茂り、伸びた枝が道をふさぐ。それらをかき分けながら進んだつもりでもいつの間にか顔中が蜘蛛の巣だらけだ。本来文科系の部である僕たちにとってあまりにも似つかわしくないフィールドワーク。時には背中を押し、手を取り合いながらも道を進み、躓き、滑り、泥だらけになったが、上田は始終楽しそうに黒い瞳を光らせていた。
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