4日目 金曜日

第20話 お弁当を一緒に


ななせが風邪をこじらせてしまったらしく、今日は学校を休むとのLINEが来た。

昼休みになり、ひとりで学食へ向かおうとしているときに着信があった。


『もしもし、わたし麻里です。今、旧校舎にいるのですが……その……今から一緒にお昼をどうかと……思いまして……』


 今まで、上田と昼食を一緒に取ったというようなことはないし、そんな誘いは正直意外だった。しかし……


「今日、学校来てるのか? 調子、少しはよくなった?」


『いや、少しも何も全快ですよ。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした』


「そうか、それはよかった。でも、昼飯のことはすまない。僕は、あいにく弁当派ではなく学食派なんだよ。そっちに行っても、食べるものを持っていない」


『あ、いや、そのことなんですけど……た、高野君の分もあるのです』


「え、僕の分?」


『あ、いや、その……ですね。今日は少したくさん作りすぎてしまいまして……どうにも食べきれないんですよね。ほら、残してしまっても荷物が重くなるだけというか、衛生的のことも考えると……あ、そうだ、そうです。フードロスですよ。そういうの、SDGS的にも気を付けなくてはいけないので……』


 まったくもって意見がまとまっていないようだ。しかし、今日の僕は一人だし、小遣い的なことも考えると節約できるものは節約したほうがいいのだし、その、なんと言おうか、断る理由が見当たらないのだ。

 しいて言うならば、このことをななせが知ったら、なんと思うだろうかということだ。


 無論。ななせは僕の恋人というわけではないし、そのことでとやかく言われる心配もないと言えばないのだけれども……


「ああ、それじゃあ、今からそっちに行くよ」


『はい、待っています』



 昼休みの旧校舎は、放課後のそれよりもさらに静かだ。二階のオカルト研究部の部室を覗いたが、誰もいなかった。


 おかしいな、上田は確かに今部室にいると言っていたはずなのに……

 不意に、後ろに誰かの視線を感じて振り返る。


「高野、お前オカ研の部室で何してんだ?」


 長髪で丸眼鏡のきざな男、ギターの天野がそこにいた。鞄を抱え、ひとり軽音楽部の部室に入ろうとしているところだった。

 もしかすると今、僕は誰もいないオカ研の部室に侵入しようとしている不審者に見えていたのかもしれない。


「あ、いや、違うんだ。その、上田を探してて」


「そのうち来るんじゃないのか? 昼食はいつも部室で一人で食べてるみたいだし」


「ああ、そう、なのか……」


 いつも一人で飯を食っているという上田の話に、少しばかりの不憫さを感じた。というか、いつも上田が一人でいることを知っているということは、おそらく天野もその同類。いや、不憫に思うほうが失礼なのかもしれない。二人とも単に、ひとりでいる時間を大切にしているだけなのかもしれないし……

 さて、どうしたものかと思いつつ、僕は階段を下りて一階へ、自身の文芸部の部室の前に来た時に、中に誰かがいる気配を感じた。

 もしかして、と思い、そっとドアを開ける。


「ああ、高野君。やっときましたね」


「上田、ここにいたのか」


 クラスが違う上田と放課後以外に逢うことはあまりない。眼帯なしで黒めがちな双眸の姿はあまり見慣れていなくて少し新鮮味を感じる。


「あれ、わたし、言いましたよね? 部室にいるって?」


「オカ研の部室だと思てったよ」


「だって、高野君が来るならこっちのほうがいいでしょ? ここ、食後のコーヒーもありますし」


「それが目当てかよ」


「いや、いつも食後にコーヒーが飲みたいなとは思うのですよ? でも、さすがに誰もいない文芸部の部室に入ってコーヒーを飲むというのはいかがなものかと」


「いや、気にしなくてもいいぞ。ななせなんて、自分のマグカップを持ち込んでい勝手にコーヒー飲んでるし」


「あ、そうですよね。それじゃあわたしも、今度自分のマグを持ってきますね」


 そんな会話を交わしながら、上田と向かい合わせに椅子に座る。その時に、ふと思った。

 僕に電話を掛けていた時に、この部室にいたというのならば、僕が初めから上田の誘いを断らないとわかっていたみたいじゃないか。


「じゃあ、これ、高野君の分です」


 上田が僕によこしたのはペイズリー柄のバッグから取り出されたお弁当箱がふたつ。一つを僕のほうへ、そして、それと同じものをもうひとつ、上田は自分の手元に置いた。


 量が多すぎるとは言っていたが、これはあきらかに二人分作ってきたということではないだろうか、それは、つまり……


 スカーフをほどき、弁当箱を開ける。とても、素人とは思えないような彩のバランスが取れた立派な弁当だ。


「うわあ」


 と、言ったのは僕ではなく上田さんのほうだ。


「いただきます」のあいさつをしてから箸を持ち、まずは玉子焼き。

 まだ、ここで判断するわけにはいかない。

 続いてミニハンバーグだ。口に入れてニ、三度かみしめ、慌ててご飯を口に放り込む。


 ――完璧だ。まったくもって非の打ちどころのない完璧な弁当。


「味、どうですか?」


「……か、完璧だ。まさか、上田にこれほどの料理技術があるだなんて考えてもみなかった。これはきっと、すてきな奥さんになるだろうな」


 僕の遠慮ないその誉め言葉に、上田は少し困惑したように目線をそらした。


「そ、そこまで褒めてもらうと、さ、さすがに心が痛むので正直に言います……

 こ、これは、伏見さんが作ったお弁当なのです」


「え? ななせが?」


「はい。実は今日の朝、伏見さんがうちに来て、このお弁当を置いていったんです。もう一つは高野君の分だから、今日は高野君を呼び出して一緒に食べるといいって。もし、高野君が断るようだったら、伏見さんがわざわざ作ったんだと言えば、高野君は絶対に断らないからって言ってました。

 でも……実際は伏見さんが作ったって言わなくても、高野君は来てくれましたよね。だから、わたし、もう少し黙っていようと思ったんですけど、あまりに褒めるものだから、なんだか罪悪感が出てきて正直に言っちゃいました」


「そ、そうか……ななせが……いや、まあそれならわからなくもないんだけどね。ななせは調理科の生徒だし、そっちでの成績はクラスでもトップらしいからな」


 いや、よくよく考えてみれば、もう少し早く気付くべきだったのかもしれない。上田は先日だって学食できつねうどんを食べたと言っていたのだ。だったら、普段から部室でボッチめしをしているわけではないのだ。多分、学食で食事が終わった後、昼休みをここで一人過ごしているに過ぎない。


「ところでさ、ななせは今日、風邪をこじらせたって言って、学校を休んでいるんだぞ。なのに僕たち二人分の弁当をわざわざ作って持ってきたのか?」


「ああ、それなんですけど、伏見さん、昨日の夜わたしに電話をかけてきて、『明日は学校に来られそうか』って聞いてきたので、『大丈夫そうです』って言ったんです。そしたら伏見さん、『じゃあ、お弁当作っていくから』って。なんでも、体調を崩したのは食生活の乱れが原因だって、まあ、確かにそれは反論の余地もないんですけど……

 そしたら今日の朝、このお弁当を持ってきて、伏見さん、体調が悪いから今日は学校には行かないって、だから、伏見さんが用意した自分用のお弁当は高野君に食べてもらったらいいって……」


「なるほど、そういう訳か。でも、ななせも律儀だな。体調が悪いなら、そのまま休んでお弁当を用意するって言ったのは謝ればよかっただけなのに、それをわざわざ作って家まで届けるなんてな」


「そうですよね。伏見さんって、なかなか意志が強いところがあるから、一度作って持って行くって言ったら、体調が悪くても無理しちゃうタイプなんですよね。そういうの、かいがいしくってやっぱりわたしなんかじゃかなわないなって」


「いや、なにもななせに張り合わなくてもいいんじゃないのか? 上田には上田のいいところだってあるだろうし」


「それが、そうもいかない理由もありまして……」


「どういうことだ?」


「いえ、乙女心はいろいろあるのですよ」


「ふーん、そうか……。僕にはよくわからないからなあ、その乙女心っていうのは」


「はい。まったくです」


弁当を食べ終わり、コーヒーを淹れて二人で飲んだ。上の階で、天野が一人ギターを弾き始め、あの甘ったるいバラードを歌い始めた。決して歌が下手なわけではないが、やはりななせが歌うのに比べると幾分劣る。

僕が、不機嫌そうに天井を見上げると、上田はブラックのコーヒーをすすりながら、


「いつもですよ。昼休みはいつも天野君が一人で弾き語りをするんです」


「そうか、それはお気の毒に」


「ええ、まったくです」


 ポケットの中でスマホが振動する。

 見ればななせからのLINEで

『願いが叶うかどうか知りたいから、昨日の油揚げがなくなっているかどうかを確認しておいて』とのことだ。


 まったく。なぜ女子というものはこんなに占いだとかまじないだとかを信じてしまうのだろうか。

 もし、油揚げがなくなっていたところで、それはあの野良犬がとって食べているというだけだし、当然そのことで願いが叶うというものでもない。


 まあ、言ってしまえば、そうとわかっていたところで僕もそれなりに願い事はしてみたのだけれど、その願いがかなたっところで学校七不思議が真実であるという確証にはならないだろう。


 僕と上田は旧校舎の裏手に回り、祠を見る。油揚げは見事に二つともなくなっていた。やはり、鶏肉入りというのがポイントが高かったのだろう。所詮犬なのだから油揚げなんかよりの中の鶏肉のほうが絶対好きなはずだ。


「昨日の油揚げにはどんな願いを込めたんですか?」


 上田の質問に、僕は答えない。むしろ、さすがにそれは言えないという願い事だ。


『願い事は叶いそうだ』


 とななせに返信しようとしたが、あいにくスマホや財布やらを全部ポケットから出して部室に置いてきたままだ。まあ、誰かにとられることもない。もし取られているとしたら犯人は確実に天野だしな。

 なんてこともすべては杞憂に終わった。当然財布は盗まれることもなくそのままそこにあり、ななせにメッセージを送る。

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