第19話 トイレの花子さん
「はい、あーん」
……もぐもぐもぐもぐ。
「ねえ、おいしい?」
「いや、めちゃくちゃ甘いんだって。僕が甘いものは苦手だと知っていて、どうしてななせは僕をこうやって連れまわすんだよ」
「え、だって……ここのずんだあんって、めちゃくちゃおいしいんだよ。甘いのに、結構しっかり目に塩も効いてるでしょ、それが絶妙なわけ。かといってさ、定番のつぶあんを食べないわけにもいかないじゃない? だけどさ、さすがにふたつも食べちゃうとあれでしょ? アタシ、思春期の乙女だよ」
「だから、僕に半分食べさせるというわけだね」
「そうよ、いつも言ってるでしょ」
「時に僕は思うんだが、」
「なあに?」
「それならば、39アイスのスノーマンズキャンペーンに行くというのはどうなんだろう? ただでさえ、ボリュームが倍になっているというのに、何も僕を連れて四倍で食べる必要はないんじゃないのか?」
「え、何言ってんの? だって倍だよ? おとくじゃん」
「うーん、だからさ……」
ななせは僕の言葉になど耳を傾けず、僕がひとくち齧った残りのずんだたい焼きを胃の中に収める。僕は少しあきれ顔でそんなななせを見ていた。続いて今度はつぶあんたい焼きを取り出す。
「ねえ、マコトはたい焼きを食べるときはあたまから? それともしっぽから?」
「そうだな、どちらかと言えば頭からかな。なんでかっていうと、頭のほうがあんこの――」
「アタシはしっぽからだな」人の話は全然聞かない。続けて、「じゃあ、こういうのはどうかな。このたい焼き、マコトがあたまからで、アタシがしっぽから。ポッキーゲームみたいにさ――
あは、何紅くなってんのよ。エロいの想像しすぎ!」
なんて言いながら、つぶあんたい焼きを一匹丸々食べつくした。結局のところ、僕が一口齧っただけで実質ななせが二つ食べているようなものだ。これで、本人がダイエット的なものを気にしているというのだから驚きだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
僕が立ち上がろうとすると、
「あ、ちょっと待って、アタシ、ちょっとお手洗いに行っておきたいの」
「そうか」
僕は再びベンチに腰掛ける。が、ななせも座ったままでトイレのほうへと移動する気配がない。まさか、トイレに行きたいなんてのは嘘で、ただもう少し僕と一緒にいたいだけではないか……というようなバカげた妄想を僕はしない。
「トイレ、行かないのか?」
「うん、ちょっと待ってる」
「待ってるって、なにを?」
「さっき、女の子が一人お手洗いに入っていったからさ。あそこのお手洗い、個室一個しかないんだよね」
「そんな人、いたっけ? 気づかなかったけどな」
「それはマコトが、アタシのことしか見てないからだよ」
そういわれると少し語弊があるようにも感じるが、よくよく考えてみるとやはりななせの言うことに間違いはない。
しかし、それらしい人はすぐには出てこない。外は寒く、あまりここに長くいるのもどうかとは思う。ななせは風邪気味なのだ。
「なあ、いっそのこと男子トイレに入っちゃえば?」
「な、なんてデリカシーのないことを!」
「別にだれも使ってないんだしいいんじゃないのか? それに、この公園の女子トイレって幽霊が出るらしいぞ」
「大丈夫よ、そんなの信じてないから」
「でもさ、さっきトイレに入った女の子って見間違いだったのかもしれないだろ? とりあえずあっち行ってみようぜ」
僕はとりあえず立ち上がり、公園のトイレのほうへ歩いていく。こうしている間にその女の子だって出てくるかもしれないし、トイレから離れたベンチでずっと待っているというのはあまり性に合わない。僕はそもそもせっかちなのだ。
渋々とついてきたななせ。女子トイレの中に数歩入ったところであたりを見渡し、
「あれ?」とつぶやく。
「誰もいないや」
一応男である僕が中に入るというわけにもいかないし、入口の前に立って中にいるななせに向かって話しかける。
「やっぱり、見間違いだったんじゃないのか?」
「そんなことないよ。黒いワンピースのロングヘアー女の子」
「いや、それってさ、うわさの幽霊なんじゃないのか?」
「やめてよお、これから入ろうっていうのに」
「信じてないんじゃないのか?」
「信じてないけどお……」
トイレの入り口で、そんなことを言い合っていると、後ろから不意に「何やってるんですか? こんなところで?」
振り返ると、後ろに立っていたのは軽音楽部のキーボード奏者、花村だ。相変わらずきれいで女の子みたいな顔立ちをしている。
「あれ、いつから?」
「うん? 今来たところだけど? 誰かいるなと思ったら伏見さんと高野君だったから」
「うん、そうか」
「ねえ、アンタたち、アタシが出るまでずっとそこにいてよ!」
ななせはそれだけ言い残し、個室へと入って行った。トイレの外からとはいえ、それを見守る自分に罪悪感を感じる。
「伏見さん、なにかあったの?」
「幽霊を、見たらしい」
「幽霊?」
「知らないのか? ここのトイレ、花子さんが出るらしいぞ」
「それはそれは」
「花村は信じないのか? そういう話」
「ぼく、もう高校生だよ。あ、それとも、少しくらい怖がったほうがいいのかな?」
「そうだな、そのほうがかわいく見えるかもな」
「またそうやってぼくのことをからかう」
「つか、トイレ。いいのか? そのために来たんじゃ?」
「あ、そっか、伏見さんに言われてつい」
「まじめだな、お前」
「うん、ちょっと行ってくる」
「いや、別に必要ないなら無理に行かなくてもいいんだぞ」
「うん?」
僕は、花村が手に持った紙袋を指さす。
「黒いワンピースが、入ってるのか?」
「あははあ…… 気づいてたの?」
「ななせがな、黒いワンピースの女の子を見かけたって。僕たちのいたベンチからだと、トイレの男性用、女性用のどっちに入ったかなんて見えないからな。ななせは女子トイレに入って行ったと思い込んでいたようだけど、その黒いワンピースの女の子は男子トイレの個室に入って着替えて出ていたというだけの話さ」
「まあ、そういうことだね」
「なあ、ところで花村、お前、もしかして、ジェンダー……だったのか?」
「いや、別にそういうことじゃないよ。ほら、駅前にストリートピアノがあるでしょ? あれをさ、弾きに行っていたんだよ」
「わざわざ女装して?」
「知らないの? 世の中は女尊男卑だよ? 男の恰好で弾くのと、女の恰好で弾くのではギャラリーの反応がまるで違うんだよ? ぼく、その筋では割と有名人になってるみたいだし」
「それは、花村だからできることだな。もし、僕が女装してピアノなんて弾いたら完全にホラー画像でしかないからな」
「そんなことないと思うよ。高野君なら、それなりに美人に化けられると思う。何なら今度やってみる? 化粧、教えるよ」
「冗談はやめてくれ、しかし、残念だな」
「なにが?」
「いや、もし花村が、中身が女の子だっていうなら、僕としてもワンチャンありだったんだけどね」
「はは、それは残念。でも、ぼくは正真正銘普通の男だよ。だからさ、伏見さんにはこのこと、言わないでもらえると助かるんだけどな。彼女にバレて、嫌われたりすると困るから」
「ああ、なるほど……そういうことか……」
「そういうこと」
「それなら何としてもななせに教えて、ライバルを一人減らしておかないとな」
「大丈夫、高野君はそういう卑怯なことはしないよ」
「それは僕のことを買いかぶりすぎだ」
「でも、こういっておけばやっぱり言いにくいでしょ」
「ま、そうかもしれないけど……安心しろ。このことはななせには絶対言わないよ。そんなこと言ったら、ななせは花村のこと嫌いになるどころか、ますます興味を持つことになるだろうからな。そういうやつだぜ、ななせは」
「ははあ、なんだかさ。余裕を見せつけられちゃったね。高野君は、僕なんかよりも伏見さんのことをよく知っている。だから、お前に勝ち目はないって言われた気分だ」
「そう思って身を引いてくれるなら何より」
「ごめん、むしろ燃え上がっちゃうタイプなんだよなあ、ぼくは」
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