第13話 一人暮らしの家

 上田をベッドに寝かせる。コートを脱がせ、呼吸がしにくいだろうと黒いマスクを外し、代わりに白い熱さましシートを額に貼ると、なんだかオセロのゲームのように思えた。黒いものをやたらと好む上田だが、その肌は陶器のように白い。印象が急に黒から白に替わったようだ。右目を覆う黒い眼帯も汗でぬれている。これも外してやったほうがいいかと思いながら、手を触れようとした直前に思い直す。なんだか自分の行為がとてつもなくスケベなことをしているように感じたのだ。眼帯が、黒のレースでできていて、違う何かを連想してしまったのかもしれない。汗にぬれた眼帯は、そのままにしておくことにした。


僕はそのまま立ち去ってもよかったのだが、やはりそれは何か無責任のように感じて上田の隣でしばらく待つことにした。


 ここはそれなりに静かな場所だ。あるいはここならゆっくりと読書ができるのではないかと無神経な考えが頭をよぎったが、そもそも手元に本を持っていないし、もし持っていたとしてもやはりここでは落ち着いて読むことなんてできないだろう。


 しばらくして、上田が目を覚ました。


「高野君、ごめんなさい。わたし……」


「僕のほうこそ悪かった。気づいてあげられなくて……」


「そんなことないの、あれは……」


 上田はいつもよりも急にしおらしくなってしまっていて……なんだか急にかわいらしくもある。


「気にせずにもう少しやすんでいろよ」


「うん……」


 僕は保健の先生に言われ、部室においてある上田の荷物を取りに行った。帰ってくると上田はもう起き上がっていて、だいぶ楽になったとのことだ。


「上田さんはおうちの方は連絡が取れるかしら? 今日は無理しないように迎えに来てもらったほうがいいの思うのだけれど」


 保健の先生が気を遣っていってくるが、


「今日は、家に誰もいないので……」


「あら、そう。それは大変ねえ、どうしようかしら?」


「大丈夫です。家、ここから近いので」


「そう、なら無理をしないようにね」


「はい」


「じゃあ、彼氏君は家まで送って行ってあげるのよ」


 ――カレシクン?


 きっと、僕のことを言っているのだろう。僕たちは当然そんな関係ではないのだけど、だからと言ってここで即否定するような野暮なことはしない。そもそも、僕にも責任があるのだから家まで送っていくことくらいは吝かではない。


 確か上田の家は39アイスから少し先に行ったところだと聞いている。ならば、歩いたところでそれほど時間がかかるわけでもないし問題ない。


 道中、上田は僕と一緒に歩くことが申し訳ない思っているのかあるいは気恥ずかしいと思っているのかあまり口をきいてはくれなかった。単に、元気がないだけかもしれない。


 39アイスを通り過ぎたあたりで、おそらくもうすぐ家だろうと考えていた時、上田が急に立ち止まった。


「あ、あの!」


 声が少し上ずっている。


「なんだ?」


「わ、わたし、もうこれ以上は歩けないかもしれないです」


「うーん、困ったな。家、もうこの近くなんだろ?」


「はい、もうすぐそこです。な、なので……」


「うん」


「家までおぶってもらえませんか?」


「はい?」


「お願いしますよ。カレシクン」


「ちょ、調子に乗るなよ……」


「でも、さっきはおぶってくれたじゃないですか。山の上から保健室まで……」


「覚えているのか……」


「それが、あんまり覚えていないんですよ……。せっかくそこまでしてもらったのに。なんだかもったいなくないですか?」


「なにがもったいなのかよくわからないんだが?」


「あー、もう、やっぱりだめです。もう、これ以上は一歩も歩けそうにありません」

 上田は駄々をこねる子供のようにその場所にしゃがみ込んでしまう。慌てて周りを見回すが、この辺りは人通りがほとんどない。胸をなでおろすとともに、それならば致し方ないかと上田に近づく。


「今回だけ特別だぞ」


彼女を背中に背負い歩き始める。背中にかかる吐息は驚くほどに熱い。もう一歩も歩けないというのはあながち本当なのかもしれない。


 背中でぐったりとしている上田のかすれるような声の道案内に耳を澄ませてようやくそれらしき場所へとたどり着いた。


 その場所は……言っては申し訳ないかもしれないが、あまり裕福な家庭環境とは言い難い老朽化したアパートだった。上田から差し出された古い鍵を受け取り、縁のさびたた金属の玄関ドアを開ける。


 アパートに一歩入った瞬間、気づいたことがある。室内はそれなりにかたづいてはいるようではあるが……


「なあ、上田。ご両親は……」


「いないですよ。わたし、ひとり暮らしなんです」


「そ、そう、なのか……」


 両親がいないということで不憫に感じる想いよりも先に、ひとり暮らしの女の子の部屋に上がり込んでしまったという罪悪感のほうが先に立つ。


 上田はコートと制服のブレザーとを、わずかに残った体力でその場に投げ捨てるように置き、黒い眼帯をはずしてベッドの上に倒れこんだ。


 僕は床に投げ捨てられたコートとブレザーを拾いハンガーにかける。床に投げられた黒の眼帯を拾いベッドわきのサイドテーブルの上に置きながら、


「ここでいいか?」


 と言いながらベッドの上の上田を見る。一瞬だけ、思わず息をのんだ。さっきまで彼女が眼帯で隠していた右目の瞳孔はきれいな赤色だった。いつも通り左の眼はいつもの通り黒い目なので、左右の眼の色があまりにも違うことに一瞬驚いた。思えば授業中はいつも左右黒色なのにもかかわらず、放課後だけ眼帯をしている理由はこういうことだったのだと驚かされた。


 ベッドのわきにあるカラーコンタクト。どうやら彼女は放課後毎に装着し、それをあえて隠すように眼帯をして隠しているという自身のキャラクターづくりの徹底さに感服する。更に、部屋に置かれた化粧品の中に、黒の毛染めがあるのも確認した。上田の、まるで人形のようにつややかな黒髪も、実は彼女なりの努力で作られた作品であることを知り、人によっては幻滅してしまうかもしれないその行為に僕はむしろ好感を持てた。


しかしまあ、考えてみれば上田の左右の眼の色が違う状態という半ばコスプレ的な状態で、しかも病的に少し弱り頬を赤らめてベッドの上に横になっている。しかもこの部屋には上田と二人きりだという事実を踏まえると、どうにも緊張感がぬぐえない。家まで送るという役目はすでに果たしたが、僕はこのまま帰宅するべきなのか、それとも病気の上田を看病すべきなのか、正解がわからない。人道的に考えれば看病すべきなのかもしれないが、ひとり暮らしの女の子の部屋にいつまでもいていいものなのか。看病するにしても部屋の中をむやみに触っていいものでもないだろうし……

そこに、助け船の様な電話がかかってきた。


ポケットの中で鳴り響くスマホを取り出し、『伏見ななせ』の名前を確認したときはぞっとした。時間を確認して、『たい焼き』という言葉が思い出される。


『ねえ、マコト。今どこにいるの? アタシ、今文芸部の部室にいるんだけど……もしかしてもう帰っちゃった? 約束、忘れてる?』

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