第12話 旧校舎の裏山
階段を降り、文芸部の部室の戸を開ける。
いつもの僕の指定席に怪しい女が座っていた。
制服の上に学校指定の紺のダッフルコートを着て、漆黒のつやのある髪に、右目には黒い眼帯。そしてさらに今日は大きな黒い布マスクが鼻から口にかけて覆っている。もう、ほとんど真っ黒で、一瞬、ヒグマか何かと勘違いするところだった。
彼女は僕のほうをギロリと睨む。
「ねえ、約束。忘れていたでしょう?」
今日の上田は、少し鼻にかかった声を出す。
「それより、風でも引いたのか?」
「ちょっと調子がわるいだけです」
「こんな寒い中、アイスを四玉も食べるからだよ」
「それを言うなら、伏見さんだって……」
「あいつは特別なんだよ。それに、僕だって少し手伝った」
「そう、伏見さんは特別だから手伝ってあげたのね」
「それだと少し、意味がちがうくないか?」
「厭味で行ったのよ?」
「厭味?」
――よく、意味が解らない。
「まあ、ともかく僕は約束を忘れていたわけじゃあないよ。僕だっていろいろと忙しいんだ。っていうか、別に約束はしていないよね?」
「そういうヘリクツはいいからさ」
「そうだな、とりあえず祠へ行ってみるか」
僕は上着を羽織る。昨日と同じ轍は踏まない。
「まあ、そうがっかりするなよ」
昨日油揚げを置いた場所に何ら変わらずそこにあり続ける状態に肩を落とした上田に、僕は優しい声を掛ける。このままここに置いておいて腐ってしまうと見栄えも悪いだろうし、いかんせんそんなことになってしまったら、石像ではあるがキツネ様に悪いような気もして片付けようと近づく僕を「ちょっと待って」と上田が制す。
「あの繁みの中から、何かがこっちを見ています」
また上田の中二病的妄想かと思いきや、本当に繁みからこちらをうかがう光る双眸がある。どうやらこちらを警戒しているようだ。僕たちは言葉を交わすことなく、そのまま静かに後ずさりして、旧校舎の陰からじっと祠を観察した。
ほどなくして、繁みから何かが姿を現した。
人面犬。と言えばなかなかしっくりくる言葉ではある。それは小さな子犬ではあるけれど、まるで立派なひげを蓄えた老人の顔にも見える。
確かシュナウザーという犬種だったと思う。全身がグレーの毛並みだが、泥がこびりついていて、薄汚れた上にガビガビしている。怪我でもしているのか、片脚をひきずっているように見える。あたりに誰もいないことを確認したその子犬は、警戒しながらも祠に供えた油揚げをくわえ、またそのまま繁みの中へと逃げ帰ってしまった。
「なあ、もしかして都市伝説の正体って、さっきの野良犬なんじゃないのか?」
「野良犬……ですか? あんなかわいい犬が?」
「かわいいか? 僕には老人の顔にしか見えなかったけどなあ」
「高野君は美的感覚が少しおかしいと思います」
「そうかな?」
「では、試しに聞きますが、高野君は、わたしのことかわいいと思いますか?」
「は? 急に何を言っているんだ?」
「かわいいと思いますか?」
改めて、上田の顔を見てみる。右目は眼帯で隠していて見えないが、見えている左目は大きな黒い瞳孔が潤いを保ちつつうるんでおり、白磁のような白い肌、つややかな漆黒の髪、今はマスクで隠れてこそいるがそれなりに整った顔立ちだ。しかしだからと言って、この場でそのまま「はいかわいいです」だなんて言えるわけがない。
「何を言ってるんだ? 調子に乗るなよ」
口から出たのはそんな言葉だった。
「ああ、やっぱり高野君の美的センスは絶望的ですね。わたし、どう見たってめちゃくちゃかわいいですから」
「ああ、そうかもな」なかなかに面倒くさい奴だ。「話を戻すが、昨日上田が調べたというこの学校の七不思議。人面犬が住んでいるというやつと、揚げをキツネが持って行って願いを叶えるっていう二つの真相は、ただ単にあの住み着いた野良犬のせいだったんじゃないのか?」
「あの、言ってる意味が解りません」
「わからないふりするなよ。要するに学園七不思議のうち、二つの謎が解けて、確か残り二つつになったてことだよ。後は確か、河童の池と巫女の呪いだっけか? まあ、どちらもこの学校に直接的なものじゃないけどな?」
「ちょっと待ってください。なに勝手に旧校舎の幽霊がいないことになってるんです? まだ、それはわかっていないはずですよ」
「はいはい。でもそれは証明のむつかしい悪魔の証明なんだけどね」
言いながら、僕は犬の立ち去った祠へと近づく。先ほどの犬が逃げたあたりの繁みをかき分け、奥を覗いた。
そこには、さらに山の奥へと続く獣道のようなものが見える。
「どうやらこの奥に住み着いているらしいな。さっきの野良犬」
「ひとが、通れないほどの道じゃありませんね? ちょっと行ってみます?」
「その恰好で大丈夫か? 服、汚れるぞ」
「好奇心を抑えるほどには重要なことではありませんね」
「わかった」
僕が先導しながら、山道を行く。
五分ほど歩いたところで突如開けた場所に出た。
「うわあ、ここすごい!」
さっきまでが獣道だったことが嘘のようだ。突然現れた直径二十メートルくらいの平地。草は生えているものの足は短く歩きやすい。地面にはところどころ大きな石や腐った木材が埋まっている。かつて、この場所に建物が立っていたのではないだろうか。切り立った崖からは僕たちの学校のあるこの町が一望できる。まさに絶景だ。
しかし、さっきの犬はいない。それでもそのことはあまり気にはならなかった。何しろこんなところに秘密の場所を見つけてしまったという興奮のほうが勝っていたということは言うまでもない。
「まさかこんなものがあるなんて知らなかったな」
「わたしもです。ねえ、この場所、わたし達だけの秘密の場所にしません?」
「むしろ誰かに話したところで、信じてもらえないかもしれないけどね」
「なんだかここ、とても神聖な場所の様な気がします」
「それに関しては同感だな。なんというか、神様の住む場所、というような雰囲気がある。事実、過去にここに人が住んでいたことがあるかもしれない。ほら、ここ」
僕は地面の一部を足で軽く蹴って土を掘り、そこに埋まっていた角材と地盤の砂利を見せる。
「わたし、なんだかこの場所をずっと前から知っていたような気がするんです。もしかしたら、この場所に来るために、わたしはずっと前から導かれ続けていたのかもしれないです」
上田は胸の前で両手を組み、目を閉じて何かに祈るようなポーズで立っていた。冷たい風に黒い髪がなびかれ、正直言ってそれは確かに美しいとさえ思えた。
もちろん、調子に乗られても困るのでそんなことは口には出さないが、確かにこの場所には神聖な何かがあり、それは中二病心を忘れない彼女にとってはそう思わせるだけのものがある。
「おい、上田。そろそろ帰るぞ。風も冷たいし、いつまでもいると風邪をひく」
しかし、上田は反応しない。浸りたい気持ちはわかるけれど……
そのとき、上田は膝からガクッと崩れ落ちるようにその場に倒れた。
「大丈夫か!」
急いで駆け寄り、地面から彼女を抱え起こす。が、どうやら意識がもうろうとしているようだ。荒い呼吸が熱を帯びて空中で白く舞う。
額に手を当てると随分と熱い。
迂闊だった。風邪っぽい雰囲気ではあったが、おそらくかなり無理をしていたのだろう。にもかかわらずこんな山の上まで連れてきてしまったのは僕の失態だ。
こんな山道を、今の彼女に歩いて降りる力などないだろう。上田を背負い、山道を下る。軽音楽部の演奏が聞こえる旧校舎の前を通り過ぎ、新校舎の保健室へと向う。
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