2日目 水曜日

第11話 軽音楽部


 翌日の放課後。やはり寒波の影響で冷たい風が吹いている。旧校舎は新校舎から少し離れた坂をさらに上ったところにある。吹き抜ける風は冷たく、ポケットに手をつっこむ。耳が、ちぎれそうになる。小刻みに震えながら文芸部の教室のドアを開ける。


 伏見ななせがそこにいた。僕がいつも座る特等席に腰を掛けてスマホをいじっている。


「あ、マコトだ!」


「そりゃ、そうだろ。ここは僕の部室で、僕しか来ない場所だ」


「最近、上田さんがちょくちょく来ているみたいだけど?」


「暇なんだろ。オカルト研究部って、普段何してるんだ?」


「知らないわよ、そんなこと。自分で聞いてみたら? 仲いいんだから」


「別に、仲がいいわけじゃない」


「でも、エッチな想像をしてオカズにしてるんでしょ?」


「してないよ、昨日のあれはなんだ、言葉のあやというか、その場のノリで言ってるだけだ」


「どうだか」


 ――そんなこと、正直に言えるわけないだろ。


「ところで、なんか用か?」


「うん、昨日ね、ついに新曲が完成したから聞きに来ないかなって。今から部室で通しで演奏するから聞きに来てよ」


「まあ、新曲って言っても、僕としてはもうとっくに知っている曲なんだけどな。なにせ真下で音をずっと聞いてる。何なら、僕が歌うことだってできるかもしれない」


「え、まじ? だったらさ、今度演奏するときにコーラス参加してよ」


「冗談だろ?」


「まじまじ!」


「断るよ」


「だってマコトは頼まれれば断らないタイプでしょ?」


「え、普通に断るよ。絶対嫌だ」


「どうしても?」


「僕は決して押しに弱くない」


「じゃあ、仕方ない。コーラスに参加してもらうのはあきらめるからさ、そのかわり今日は付き合ってよ、今日だけ。お願い。いいでしょ?」


 まったく。美少女にこうまでして頼まれると、さすがに断ることなんてできない。


「ちょっとだけな」


 言いながら、荷物を置いて教室を出る。ななせと二人、軽音部の部室へと向かう。


「はーい、みんなー。ギャラリー連れてきたよ」


ギャラリーとはいってもどうやら僕一人だけのようだ。

 僕の姿を見るなりバンドメンバーは一様に頭を下げる。ここ旧校舎にいるメンバーは僕を含め全員が同い年の一年生なのだが、皆は僕のことを一目置いてくれているように思える。


 まずその要因の一つとして、軽音楽部もオカルト研究部も今年の秋に新設されたばかりの新しい部だが、僕のいる文芸部はもっと以前からこの旧校舎を使っていたからだ。今、この旧校舎を使用している経験値で言えば僕一人が長いのだ。それに、三階時計塔の合鍵を持っているのは僕だけなので、使用の際は僕に一声かけなければならないということもあるだろう。


 しかし、決定的と言っていい理由はおそらく、僕が伏見ななせと個人的に仲がいいということだろう。はたから見ても軽音部のメンバー全員が美少女伏見ななせに首ったけであることは明白である。


 バンドメンバーが楽器を手に持ち準備を始める。僕は一人向かい合わせの椅子に座ってこれから始まる演奏をただじっと待っている。その姿はほとんどアマチュアバンドの審査をするプロデューサーのようだと言っていい。しかし、あいにく僕は音楽の知識やセンスはあまりない。ただ、座って聞くだけしかできないのだけれど。


「それじゃあ、みんな行くよ!」


 ななせの掛け声でバンドの演奏は始まる。

 バラード曲だ。


『君は無口だから、もっと君のことを知りたい。振り向いてほしい』


 そんな、歯の浮くような言葉が次々と並べられている。


 正直に言って、彼らの演奏はとてもうまい。音楽の知識なんてほとんどない僕だけど、聞いていて心地がいいのは事実だ。特に、ヴォーカルがいい。声がもういい。ルックス的にも申し分ない。後のメンバーも、まあ悪くない。


 もし、ここではない他のところで演奏していたなら、きっと悪い印象なんて持っていなかっただろうし、もしかしたらファンになっていたかもしれないとは思う。


 しかし、やはり出会い方が悪かったのだとしか言いようがない。


 この新曲と呼ばれた耳になじんだ演奏も、今の僕にとっては読書を邪魔する雑音に聞こえてしまうだ。


「ねえ、マコト。今の曲、どうだった?」


「うん、とてもよかったよ。みんなの将来が楽しみだ」


 ――僕は、他人に気を遣うことができる優しい人なのだ。それに、彼らの将来に期待をしているというのも嘘じゃない。将来には期待するけど、高校生活の放課後には期待していないというだけのこと。


「うんうん、やっぱそうだよね! やっぱアタシたちもさ、聞いてくれてる人いるほうがテンション揚がるよね! あっ、折角だからほかの曲も聞いていってよ!」


「え、あ、いや、ちょ、ちょっと待って」


「え、なに?」


「えっと……」


 断る理由がない。しかし、それではこのままいつまでも延々と演奏を聞かされる羽目になりそうだ――と思ったところでポケットの中のスマホが音を鳴らす。


 上田麻里。という名前が画面に表示されている。どうして彼女は相変わらずメールやSNSでなく直接通話をしてくるのだろうか。だが、まあちょうどいいわけとしては成り立つ。


「もしもし?」


『あ、もしもし、わたし、麻里。今、文芸部の部室にいるの。高野君、今、どこにいるんですか?』


「えっと……軽音部の部室に……」


「あの……昨日のこと、憶えています?」


「えっと……」


『稲荷の祠の油揚げがなくなっているのかを確認しに行く約束でしたよね?』


「あ、ああ、そうだったな。うん、わかった、すぐに行くよ」


 僕はスマホの電源を切った。


「ごめん。ちょっと約束があって……」


「麻里ちゃん?」


「えっと、まあ……」


「約束があるんなら仕方ないか」


「ああ、またゆっくり聞かせてもらうよ」


 言って、僕は文芸部の部室を後にする。部室を出て、一階へ下りる階段に差し掛かったところで、後ろからドタドタと足音が聞こえる。その音だけで、誰なのかすぐにわかる。


「あのさっ! 部活の後、部室で待っててね!」


「今日は、どこに?」


「たい焼き!」


「うん、わかった」


「じゃあ、あとでね!」


 ななせはそれだけ言い残すと手を振って、軽音部の部室へと帰っていった。

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