第6話 稲荷の祠


 旧校舎には幽霊が住んでいる。開かずの扉となっている三階の時計塔からは時折物音や、ピアノの音が聞こえてくる。


 旧校舎の裏には小さな稲荷の祠があり、そこに油揚げを供えると願い事をかなえてくれる。


 この学校のある山は昔、神の巫女の住む山として祀られており、そこに建てられたこの学校自体が呪われている。


 この学校のある山には神田池という沼があり、そこには河童が住んでいると言われている。


 この学校がある山には、人面犬が住んでいる。


 以上だ。


 僕は、それらを指でなぞりながら数えていく。

「五個しかないよね」

「今のところ見つかったのが五個です」

「じゃあ、なんで七不思議って言っちゃったの?」

「そのうちあと二つくらいは見つかりますよ」

「三つ、四つ見つかることもあるよね?」

「数の問題じゃないんです。七不思議っていうのは」

「は?」

「何でしたら後からいらないのを削ればいいだけですから」

「まあ、今の時点であまり学校に関係なさそうなものもあるけどね。というかほとんどこの学校とは関係ない、この学校のある山に関するうわさ話だ」

「ともかく、今わかっているこれらを調べていこうと思うんです」

 とはいえ、直接学校に関するうわさとしてあるふたつはいずれもこの旧校舎に関するものだ。調べるには簡単な問題ではあるけれど……

「まず、この一つ目に関してはすでに解決した問題だな。この旧校舎に幽霊は住んでいない。三階の開かずの間にはちゃんと鍵が存在していて、時々人が出入りしている。そこにピアノが置いてあるし、不思議なことは何もない。

 それは、この旧校舎の部室を使っている人たちならみんな知っているはずだ」

「競技かるた部を除いてですが」

「まあ、それは……」

 この旧校舎一階の文芸部ともう一つある教室は、本来競技かるた部の部室だ。しかし以前幽霊騒動があった時に怖がって誰も活動をしなくなり、今はほとんど空き教室になっている。

 旧校舎三階の鍵は、数年前に無くなったとされていた。が、それはひょんなところから出てきたのだ。なんと、この文芸部の本棚に差された誰も読まないであろう辞書をくり抜き、その中に鍵を隠してあったのだ。鍵は、職員室へと返却したのだが、僕は当然のようにこっそりとスペアキーを作っている。その鍵は僕が管理をしていて、そのことはこの旧校舎を使う部員たちにとっては既知の事実だが、おそらくそのことをこの学校のほとんどの生徒は知らないままだ。

「それにさ、確かにわたしたちは三階の時計塔の鍵を持っているけれど、だからと言ってこの旧校舎に幽霊がいないという証拠にはならないはずですよ。ネットに寄せられた目撃例は多数あるし、それらのすべてがわたしたちの誰かだという確証はない。むしろ、わたしたち以外にこの旧校舎を訪れる人なんて殆どいないはずなのに、これだけの目撃報告があるというのはすごいことなんじゃないでしょうか? だって、わたしたちのように旧校舎の開かずの間に鍵がちゃんとあることを知っているならこんな目撃報告はしないだろうし」

「まあ、確かに幽霊がいないという証明はむつかしいけどね。それこそ悪魔の証明というやつだ。でも、それと同時に幽霊がいるという証明もされていない。ただ、そこにある目撃報告を都合よく解釈して結論付けるのは危険だと思う」

「高野君はロマンがないですね」

「でもさ、むしろそれら怪異譚を単純に怪異だと決めつけてしまうことだってロマンがないようにも思えるな。例えば推理小説のトリックを読み解くように、怪異譚を読み解くことで見えてくる真相だってあると思う。それを推察することのほうがよほどロマンがあるようにも思えるんだけどな」

「屁理屈ですね」

「そうさ。例えばチュパカブラというUMAを知っているよね?」

「もちろんですよ。主に南米のあちこちで目撃されている生物で、家畜の血を一滴残らず吸うという恐ろしい生物です。宇宙人のペットだとかCIAが造った生体兵器だという説など様々です」

「僕は、そのチュパカブラの正体はコヨーテじゃないかと思っているんだ。チュパカブラの目撃情報と、コヨーテの生息地域はとても良く似ている。ヒゼンダニに媒介される疥癬という病に侵されたコヨーテは毛が抜け落ちてしまうんだ。暗闇で目の光った毛のないコヨーテって、よくイラストに描かれているチュパカブラとよく似てないか? 病気でやせたコヨーテの浮き出た背骨はチュパカブラのイラストにある背中のとげに見えなくもない」

「ははは、確かにそういわれると見た目は似ていますよね。それに生息地も似ているかもしれない。でもですね、コヨーテは血を吸いません。肉を食べるんです。ましてや殆ど外傷もなく血を一滴残らず吸うなんてことができるわけないでしょう?」

「でもさ、チュパカブラが血を吸っているところを目撃した例はないよね? あったとしてもそれは一時の間を見かけただけで、元気に生きている家畜に食いつき、血を一滴残らず吸い取ったという目撃例は僕の知る限りないんだ」

「そりゃあ確かに聞いたことはないですね。でももし、そんなに長い間じっと観察するような暇があったのならば、もっと確実な証拠映像でも取ってほしいところです。ですけどね、チュパカブラの目撃されたその場所に、血を一滴も残らず死んでいる家畜の死体があるわけですから否定のしようもないでしょう?」

「でも、それはチュパカブラが血を吸ったという証拠にはならない。ほかの生き物に血を一滴残らず吸われて死んでいるところにたまたまコヨーテがいただけかもしれない」

「それこそ都合のいい偶然じゃないのでしょうか? それに、だとして血を吸った生き物はなんなんなにですか?」

「それこそヒゼンダニじゃないかな? ヒゼンダニはコヨーテの毛が抜ける原因となる疥癬を媒介するダニだ。そしてダニは家畜の血を吸う。当然ダニであるならば目立った外傷はない。病気にかかって自力で餌をとる能力のないコヨーテはダニに血を吸われて弱った家畜の肉を食おうと夜な夜な近づいてくる。それを人間が目撃するわけだ。

 つまり、ダニと家畜とコヨーテの三角関係を、目に見えにくいダニの存在を無視して都合よく解釈してしまった結果がチュパカブラの正体だという訳さ。

 でも、もちろんこれだって、確証があるというほどのことではない。本当にチュパカブラという生き物がいて、家畜の血を吸っているのかもしれないけれど、そうじゃない論理的な見方だってできるわけだ。単純にオカルトとして仕上げてしまうにはもったいなさすぎる」

「あまり、聞いていて楽しい話じゃありませんね。もしそれが事実だとしても夢が壊れます……でも、話は戻りますが、この七不思議の二つ目はどうですか? 旧校舎の裏には稲荷の祠があって、油揚げを供えると願い事をかなえてくれるっていう話です。油揚げを供えて、次の日にそれがなくなっていれば願いはいずれ叶うというものらしいです」

「この旧校舎の裏か……そんなとこ行ったことなかったな。ほんとに稲荷の祠なんてあるのかな?」

「それがですね、あったんです。昨日わたしが調べてみたところ、本当に小さな祠なんですけど、それは確かに存在しました。なので、噂は本当です」

「本当なのは祠があった問だけで、キツネが願いを叶えるかどうかということは立証してみないと何ともな。それじゃあ、どこかで油揚げでも買ってくるか? それを置いてその油揚げが明日無くなっているか? その願いはちゃんと叶うのかを検証すればいいんだろ?」

「うん、そのことなんですけどね……」

 上田は制服のポケットからラップにくるまれた茶色いもの……おそらく状況から考えても油揚げに違いないものを取り出した。

「実はですね、こんなこともあろうかと今日のお昼に食べたきつねうどんのやつをこうしてちゃんと大事にとっておいたのですよ」

「まったく……用意周到だな。祠の場所も確認していて、油揚げまで用意していたんなら、何も僕が手伝う必要なんて何もないんじゃないのか? 上田が一人で勝手に検証すればいいだけのことで、手伝いなんていらないだろ?」

「えっと、あっと……それは……その……」

「もしかして、怖いのか?」

「そ、そ、そんなことがあるわけないでしょ! わたしはもう、高校生なんですよ!」

「それをいうなら高校生は七不思議なんて興味ないけどな」

 まあ、そんなことはどうでもいい。上田の、ちょっとだけかわいいところが見えただけで僕的にはもう十分だ。

 上田と二人、旧校舎を出る。軽音楽部の演奏は外に出ても少し聞こえてくる。

 冷たい風に少しだけ身震いし、上着を取りに帰ろうかと思いもしたが、どうせすぐに終わるだろうと思い、面倒くさいこともあってそのままにした。

 この旧校舎は山の斜面から街を見下ろすように建てられており、それなりに景色もいい。しかし、稲荷の祠があるという裏手は山の斜面側で、言ってみればただの繁みだ。

 件の稲荷の祠は確かにその場所にあった、まるで繁みの隠れるように小さな石碑と石で彫られたキツネがある。どちらも風化して形は多少ぼこぼこしてはいるが、それがかつてキツネであったことは疑いようもない。

 上田がラップから取り出した油揚げをそこに供え、ミッションはコンプリートだ。

 手を合わせ、願い事をする。

「ねえ、高野君はなんてお願いしたのですか?」

「こういうの、人に言わないほうがいいんじゃないのか?」

「でも、ちゃんと何をお願いしたのか明言しておかないと、あとで願い事が叶ったのかどうかが判定できないんですけど?」

「言わなきゃ、ダメなのか?」

「あ、照れてる。もしかして、素敵な恋人ができますようにとか?」

「違うよ。『静かな放課後が取り戻せますように』だ」

「ああ、やっぱりあの軽音楽部のこと、どうにかしたいと思ってるんですね。結構性格悪いですね」

「う、うるさいな。そういう上田はなんてお願いしたんだ?」

「わたし? それ、言わなきゃダメですか?」

「あとで願いが叶ったのかどうか判定できないからな」

「う、うん。その……なんていうのか……好きな人が、振り向いてくれますように……とか?」

「あ、ああ……なるほど……それは、まあ、なんというか……」

「な、何ですか、その哀れんだ眼は!」

「いや、憐れむというか、上田も女の子なんだなって。正直、上田のことだから少し頭のイカレた願いでもしたかと思っていたんだけど……それで、その願い事が本当に叶った時はちゃんと教えてくれるんだろうな? でないと七不思議は本当なのかどうかの判定ができない。せっかくこうして付き合ってるんだ。その結果がどうなのか教えてくれないと手伝った甲斐がない」

「そ、そうだね……まあ、その時はちゃんと報告するよ」

「そうか、それは助かる。叶うといいな、その願い」

「た、高野君もね……くしゅん!」

「今日は冷えるな。中へ入ろう」

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