第3話 旧校舎、全員集合

伏見ななせは明るく社交的で顔だちも整っている。いわば学校中のアイドル的存在で、多少背が低いだとか胸が小さいなんて些細なことを気に病むようなレベルではない。


むしろ僕のような冴えない男子学生に普通に接してくれるというだけで感謝に有り余るくらいだ。そんな伏見ななせは、当然文芸部の部員ではなく、軽音楽部の部員である。彼女がここを訪れるには理由がある。


この文芸部の部室にある唯一の電化製品、湯沸かしポットの存在だ。女子というものは冷え性が多く、ななせも例外ではない。すっかり寒くなったこんな季節には温かい飲み物がほしくなるのは当然で、ここならばそれがお金をかけることなく手に入れることができるからだ。


彼女はこの部室に自分のマグカップを持ち込んでおり、僕の用意しているインスタントコーヒーを遠慮なく使って暖かいコーヒーを淹れる。さらにそこにチューブのコンデンスミルクをたっぷりと注ぎ込み、甘くてマイルドなコーヒーをいただくのだ。

そして、この旧校舎でアイドル的存在の伏見ななせがいるところがすべての中心であり、多くのお呼びでないものまで引き寄せてしまう。


「失礼します」「ちーっす」「こんにちはー」「あの、どうも」


 それぞれに挨拶をしながら文芸部の部室に侵入してくる軽音楽部のメンバー。


 まず、ドラムの井上。背が高く、たれ目でやさしい印象の彼ではあるが、事実とても気の良い繊細な人物だ。その表情はどこか老犬のようではある。僕はひそかに彼のことを『犬』と呼んでいる。


 次に、ベースの河本。顔が少し大きめでえらのはっった顔立ち。ストレスがあるのか、あるいはそういう髪型をあえてしているのかはわからないけれど、頭頂部の髪が少し薄いように思える。てっぺんだけの短く刈っているのかもしれないがそんなことをいちいち聞くのも失礼かと思い聞いていないため真相はわからない。僕はひそかに彼のことを『河童』と呼んでいる。


 キーボードの花村。小柄で中世的な顔立ちだ。顔だちも整っていて、黙っていればショートヘアの美少女に見えなくもない。秘密のあだ名は『花子』。


 ギターの天野。純然たる男ではあるが、サラサラの黒髪セミロングヘア―。ジョンレノンでも意識しているのか丸いレンズの眼鏡がトレードマークだ。少々ナルシスト気味なところがある。よく見かける妖怪『アマビエ』のイラストにちょっと似ているためひそかに『アマビエ』と呼んでいる。


 四人はもともと別々に音楽をやっていて、学校の掲示板サイトでメンバーを募集して集まった。そこにななせがヴォーカルとして後から割り込み一応のバンドとして形は出来上がった。

 この秋に正式に部活動として申請をしてこの旧校舎に部室を構えた。


「伏見さん、そろそろ練習、始めるよ」


 アマビエ似の男、天野が言う。


「うん、わかった。それじゃあ、そろそろ……」


 ななせが立ち上がり、準備を始める。ちょうどそのタイミングで僕のスマホに着信がある。


表示される『上田麻里』という名にあきれ返る。どうして彼女は、いちいち通話をしてくるのだろうか? 普通はLINEやSNSのダイレクトメールでよさそうなものなのに…… 


 やはり、この旧校舎に集まる人間というのは、皆一様にどこかずれていると思えなくもない。


「何か用か?」


『あ、もしもし? わたし麻里。今オカ研の部室にいるんですけど、もしかして今、みんなそこにいます?』


オカ研というのはオカルト研究部のことで、その部室はこの旧校舎の二階、つまり、軽音楽部の隣にある。部員は上田麻里という僕と同じ一年生の部員がただ一人で、普段の活動は何をやっているかはよくわからない。ただ、怪しいということに関しては誰も文句はないはずだ。


「みんな、というのはこの旧校舎のメンバーということでいいのか? それなら今いるけど」


『じゃあ、今からそっち行きますね。ちょっと待っててください!』


 僕は、とりあえず軽音楽部のみんなに少し待つようにと言いかけたが、どうやらそれも必要なかったらしい。ななせが準備を終えるよりも早く、文芸部のドアが開き、上田麻里が到着する。その手には、何やら怪しげなペットボトルを二本携えている。


 前髪が隠れるほどのつややかな黒髪、そして右目はちょっと恥ずかしいような黒いレースの眼帯で隠し、見えている左目のほうは長いまつげと揃いで大きな黒い瞳をさらしている。


 彼女は、別に右目が病気だというわけではない。病気なのは、もう少し別のところだ。

 彼女は授業中、両目とも眼帯などせずに、黒い双眸で普通に授業を受けている。右目に眼帯を掛けるのは、放課後になってからだ。オカルト研究部などという痛みを伴う部活動をしているくらいなのだから、きっとそういうことなのだろう。


 全員がそろっていることを確認するなり彼女は、「よし、それじゃあ今からロシアンルーレットをやりましょう」と言ったのだ。


 不審がる皆を気にせず、片手に持ったペットボトルを掲げた上田は得意げに語る。


「ここに、激マズのドリンクがあります。もう一本は普通のお茶です。一つだけが普通のお茶で、残りが全部激マズドリンク。これをせーのっで一気飲みをするというのはどうですか?」


 まったく。くだらないにもほどがある。


「なんでそんなことしなければならないんだよ。ほとんどの確率でマズイものを飲まされて、そこにいったい何の得があるというんだよ」


「あれ、もしかして高野君、ビビッてるんですか?」


「ビビっているわけじゃない。それに付き合う理由がないだけだ」


「それじゃあ、こうしましょう。見事ふつうのお茶を引き当てた人は、伏見さんにハグしてもらえるというのは?」


「ななせを勝手に巻き込むな、それこそななせに何の得もないだろ」


 と、言うより、そんなわけのわからない理由でななせが誰かとハグするのを見せつけられるなんてたまったもんじゃない。僕は、ななせを護ろうとしたのだ。しかし……


「アタシ、別に構わないよ。別に減るもんじゃないし」


 ――ななせは、少し空気を読めないところがある。


「いや、でも別に何の得もないだろう?」


「でも、なんか面白そうじゃん。それにアタシのハグを求めてみんなが戦うって、なんかお姫様になった気分じゃない?」


――しかも、自分という価値をいまいちわかってもいないようだ。


「わかった。くだらないとは思うけど、俺は付き合おう」


 一番初めに名乗りを上げたのはアマビエ天野だ。丸眼鏡の中央を中指でそっと抑え、インテリを気取ったような態度をとるが、結局のところななせのハグが目当てなのだろう。このスケベが。


「じゃあ、ボクも……」


「ええ、じゃあ、しかたないあ」


 犬顔の井上が参加を表明し、河童の河本がそれに続いた。


「ええ、そんなあ、みんな怖くないの」


 乙女チックな花村がしおらしく、僕が参加するつもりなのかどうかをうかがっている。


 実にくだらないゲームだ。僕は、ななせのハグになんて興味があるわけではない。しかし、女である上田は別にいいとして、ななせがこの男連中の毒牙にかかることを考えるとやはり不憫でならない。ならば、自分が参加することでその確率を少しでも下げるように計らうのが紳士の務めではないだろうか。だから僕は――


「仕方ない。付き合ってやるよ」


「ええ、じゃ、じゃあ、ぼ、ぼくも……」


 花村が参加を表明したことで、男の全員参加が確定する。


「よし、それじゃあ決まりですね」


 上田が湯沸かしポットの横においてある紙コップを六つ取り出して並べる。手に持ったペットボトルのキャップを開けようとしたところで、ななせが一言。


「あれ、紙コップの数、一つ足りなくない?」


 僕は周りを見ながら指折り数える。


「軽音楽部の四人と、僕と上田。コップは六個であってるよ」


「え、なんで? アタシの分は?」


「ななせも参加するのか? いや、そもそもその場合、ななせが勝ったら誰とハグするんだ?」


「それは……アタシが好きな人とハグすればいいんじゃない?」


 そういうことならば、おそらくななせは無害となる上田とハグすることになるのだろう。確率論から言えば、それは決して悪くない。しかし……


「うーん、でも、伏見さんはやめておいたほうがいいんじゃないですか?」


 上田が言う。


「この、激マズドリンク、とにかくめちゃくちゃ苦いんですよ。バンドのヴォーカルをやってる伏見さんが、もしそれで喉を痛めてしまったら、みんなに迷惑がかかるんじゃないですか?」


「そうだな、そういうことなら伏見はやめておいたほうがいい」


 などと、軽音部の面々は口々に言う。きっとおそらくななせ本人が参加することで、自分がハグする権利を獲得する確率が減ってしまうことに気づいたのだろう。あさましい奴らだ。


「えー、そんなあ」


 ぶーを垂れるななせを尻目に「そういうわけで」と、激マズドリンクを注ごうとする上田。「おい、上田。ちょっと待てよ」


「なんですか、高野君」


「その作業は、ななせにやってもらったほうがいいんじゃないのか? 上田がやった

んじゃあ、不正し放題だろ?」


「疑り深い人ですねえ。いいですよ。そういうことなら、伏見さん。お願いできますか?

 こっちのやつを五つのカップへ、こっちのペットボトルのやつを一つのカップへお願いします。あ、くれぐれも量にばらつきのないよう、なるべく同じ量で頼みますよ」


「うん、わかった」

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